個人的なことを書きます。


【生い立ち】

 宮城県で生まれました。幼児期の家は塩釜と多賀城の境の下馬にあったらしいです(よく憶えていない)。両親ははじめ名前を「太郎」にするつもりだったらしいです。太郎もまあ悪くはないけど、今の名前の方が良いかな。

 父は医師、母は看護士。父は新潟高校から東北大医学部に進み、もともとは研究志向が強かったようですがいろいろと事情があって勤務医に。母は会津若松の出で、末娘のため兄姉たちにとても可愛がられて(甘やかされて?)育ったようです。父とは東北大附属の看護学校時代に安保闘争のなかで知り合ったと聞いています。読書家です。僕が生まれた当時は二人とも仕事が大変で、父は赤ん坊の僕を背負って診療をしたこともあったとか。

 幼年時代は多賀城市高崎で過ごしました。父方の祖父(Wikipedia)は長く新潟大学に勤め、定年退官後、東北学院大学の工学部(@多賀城市)に再就職し、その近所に家を建てたため、祖父母と同居することに。やがて妹と弟も生まれ、両親、祖父母、妹弟の7人家族になりました。

 祖父は三河地方旧老津村(今は豊橋市)の出で東北帝国大学に進み物理を学びました。祖母は仙台の出で、その父は旧制第二高等学校の名校長と言われた阿刀田令造(Wikipedia)。祖父母の仲人は土井晩翠だったそうです。育ちはお嬢さんですが、終戦間際に祖父と7人の子らとともに旅順に渡り、終戦後は大連に抑留され、大変な苦労をしたそうです。でもおかげで(?)中華料理がとても上手でした。子ども時代、祖父母にはずいぶんとかわいがってもらいました。祖父の散歩につきあって多賀城の山の中を歩き回ったのが良い思い出です。祖父にはいろんな実験を見せてもらったり、気象観測を教えてもらったり、研究室にも時々連れていってもらったりして、自分の将来像としてもぼんやりと祖父のような研究者も良いかなと感じていたように思います。

 子供のころには親がたくさん絵本を買ってくれました。とくに好きだった絵本は『とこちゃんはどこ』『どろぼうがっこう』(かこさとし)、『さかさま』『ふしぎなえ』(安野光雅)、『11ぴきのねこ』(馬場のぼる)など。


【少年期】

 小学校ははじめ多賀城小学校に入学しましたが、子どもの数が増えていた時代で、途中から城南小学校に校区が分離。3年生から5年生の途中まで通いました。家の近くに自衛隊の官舎があったので友達には自衛官の子どもが多かったように思います。いちばん仲良しだったO君やN君なども自衛隊の家の子でした。

 5年生の2学期から父の仕事の都合で古川市(現在は大崎市)へ転居。古川第一小学校に転校しました。同じ県内とはいえ、多賀城と古川ではいろいろと文化の違いもありました。とくに印象的だったのは古川には丸刈りにしている男の子がけっこういたことで、多賀城ではほとんど見かけなかったので驚きました。中学校(古川中学校)は男子はみな丸坊主という校則だったので、その影響もあったのでしょう。

 中学校も1年生から2年生になるときに校区が分離。僕は古川中学校に残る組でしたが、親しい友達(や、ちょっと好きだった女の子)が古川東中学校に移って行きました。制服のボタンを交換したりしたけど、別にそれ以上は何もなく……。中学生のころはちょうど全国的に学校が荒れている時代で、まあうちの田舎でも多少はそのようなこともあってのですが、基本的には牧歌的な生活だったと思います。歌謡曲や”ニューミュージック”の全盛期で、YMOのような新しい音楽も出てきた頃だったので、テレビのベストテンやFM放送で音楽をチェックするようになりました。

 小学校の頃は江戸川乱歩の少年探偵団シリーズをはじめ、子供向けミステリが好きでした。怪人20面相が出てくるのも良いけど、『影男』とか『大暗室』みたいな、ちょっと大人っぽい雰囲気の話が印象に残っています。

 マンガは、小学生の頃が少年チャンピオンの黄金時代で、『マカロニほうれん荘』はとくに衝撃的でした。他に好きだったのは手塚治虫の『どろろ』や白土三平の『サスケ』など。幼なじみの女の子Kちゃんの家のお父さんがマンガ好きで、手塚や白土はその家で読ませてもらいました。あとは学研の『ひみつシリーズ』が大好きでした。本屋さんはまだ立ち読みに寛容だったので、中学生の頃は本屋で『ドカベン』を読破するとか無茶なこともしていました。少女マンガへは『キャンディキャンディ』や『いらかの波』から入りましたが、本格的に読み始めたのは中学の高学年くらいからだったかな? クラスメートの女の子Tさん(いまでいう文化系女子?)が『日出処の天子』を読んでいて、それで興味をもったというのもあります。


【高校時代】

 高校は自宅から数分の宮城県古川高校へ。いまは共学ですが当時は男子校。リベラルな校風の中にバンカラ気風も残る面白い高校でした。クラブは地学部。天文班太陽黒点観測係。屋上の天体観測室の大きな望遠鏡で毎昼に黒点の記録をつけていました。記録はしていましたが、それに何かの意味があったのかはよくわからず……。まあでかい望遠鏡を動かすのは楽しかったので良いか。古川高校は大崎地方という田舎では一応の名門であり進学校でしたが、とくに受験対策や指導というものがあるわけでもなく。たとえば僕は世界史と倫理社会で共通一次を受けたのですが、3年生の3学期まで受験に関係のない日本史の授業も受けていました。しかも授業は現代までたどりつかず、受験に日本史をとった人も大変だったのではないかと思います。

 高校には面白い先生がたくさんいましたが、2年生のときの担任だった保健体育のK先生はとくに面白く、彼の保健の授業は最高でした。日本の性風俗史(若衆宿や夜這の習慣、稚児と衆道など)の話がとくに印象に残っています。京大を受けてみたらと勧めてくれたのもK先生でした。それまでは祖父も父も東北大卒だったので、何となく自分も東北大理学部に行こうかなと思っていましたが、そのおかげで外にも目が向くようになりました。

 その頃には漠然と研究者になりたいと思うようになっていたので、物理学者の叔父などにも相談して、京都大学理学部を志望する事に。東大と比較して京大の学風に惹かれました。しかし現役のときはあえなく敗退(京大の模擬試験すら受けていなかったので無理もない…)。共通一次の自己採点がそこそこ良かったため代々木ゼミナールが学費を無料にしてくれたので仙台校に1年間通いました。

 この頃、父が自宅にSHARPのMZ-700を購入。それ以前も父の仕事場にはTRS-80があったのですが、自宅でコンピュータを使えるようになって、BASICを覚え、自分で簡単なゲームを作ったりして遊んでいました。

 中学から高校生にかけての読書はミステリよりもSFやヒロイックファンタジーにシフトしてました。ハヤカワと創元にどっぷり。SFMも買ってました。本格SFも好きでしたが、どちらかというと『ウルフガイ』『グインサーガ』『キマイラ・吼』『ダーティペア』などの和物を好んで読んでいました。今で言えばラノベか。でも一番衝撃を受けたのは高校3年生の夏に読んだ『罪と罰』でした。本を読んで頭がくらくらして熱が出そうになったのはあれが初めて。

 高校時代はLaLaの黄金時代と重なっていて、少女マンガを中心に読んでました。森川久美『南京路に花吹雪』や吉田秋生『カリフォルニア物語』に衝撃を受けました。吾妻ひでおや佐々木淳子などSF系のマンガもよく読んでました。『少年少女SFマンガ競作大全集』とか『Wings』とか。あとご多分にもれず『ふぁんろーど』と『OUT』ね。『ぱふ』なんかもよく買っていたかな。『Wings』にはいまや心のベストテン第一位を明智先生と争うほど好きな伸たまき(獣木野生)の『パーム』が載っていましたが、実は連載初期にはよく分からなかった…。あとから読み返して大好きになりました。


【大学時代】

 一浪したらさすがに受かって、憧れの京大学理学部へ。物理学をやるつもりで大学に入りましたが、のちに生物学に転向。その頃に読んだJ.モノーの『偶然と必然』に、あらゆる学問のうちで生物学こそが「人間とはなにか」という問いの核心にもっとも直接的に迫るものである、ということが書いてあり、この本に大きな影響をうけました。授業はあまり真面目に出ませんでしたが、サークル(科学論研究会)で科学史や科学哲学を勉強。古本漁りと映画を観るのが趣味でした。マクロの生物学(生態学とか動物行動学とか)にも興味がありましたが、いろいろと学ぶ中で、結局、発生学を専攻しました。京大の生物系では4年生で研究室に入って卒業研究をする前にゼミナール的に外書購読を各講座に分かれてやるような授業があって、一般には卒業研究をやりたいラボのゼミを受講するような形になります。僕ははじめカドヘリンの竹市先生(生物物理)のラボを希望したのですが、希望者が多かったため、よそに移れる人はいませんか? というので動物の発生研(米田満樹教授、佐藤矩行助教授)のゼミを受ける事にしました。ここで移っていなかったら人生は大きく変わっていたと思いますが、移ったのは大正解だったと今では思っています。

 大学院でもそのまま発生研を志望。試験は…まああまり出来なかったと思うので、拾ってもらった感じでしょうか。あとで米田さん(教官も「先生」ではなく「さん」で呼ぶのが発生研のならわしでした)から、院試の面接のときに僕がズボンのポケットに岩波文庫だか岩波新書を入れていたのをみて、こいつ面白そうな奴だなと思った、という話をききました。さすがに、それで受かったわけではないと思う(思いたい)のですが。(何の本を入れていたのかは憶えていない……)。

 高校までは読書の中心は小説でしたが、大学生以降は自然科学系、哲学系、社会問題などを読む事が多くなりました。ちなみに院生の時には京大生協の書評誌『綴葉』の編集委員もしていました。いろんな分野の読書家の院生たちの間に入って、自分では読まないような本も知る事ができて良い経験でした。

 大学に入ってからLaLaから花とゆめ系にシフトして、明智抄の『始末人』シリーズと衝撃の出会いをします。「なんだこれは!」と思いました。いま読んでも「なんだろう、これは……?」と思いますが(笑)。『サンプル・キティ』も凄かった。学生時代はあまりお金がなかったので、マンガは買って読むよりも食堂などで読む事が多かったと思います。


【研究者への道】

 院生時代は佐藤さんのもとでホヤの初期発生の分子メカニズムの研究をしました。テーマはホヤ卵に外来遺伝子を導入して発現させる系を確立し、この系を利用して組織(とくに筋肉)特異的遺伝子発現の分子機構を解析する、というものでした。当時の佐藤研はまだビッグラボではありませんでしたが、活気にあふれた勢いのあるラボでした。大学院の5年間をこの時期にこのラボで過ごせた事は大変な幸運でした。佐藤さんは直接に何かを教えてくれることはほとんどなかったのですが、その言葉のはしばし、興味の持ち方、研究への姿勢から、多くのことを学ばせてもらいました。また真壁さん西方さんをはじめとするラボの先輩方、同級生、後輩たちもみな個性的で才能あふれる人たちで、あのメンバーとともに研究生活を送る事ができたのは本当に良い経験でした。余計なことは考えず、研究に没頭していれば良かった、とても幸せな時代でした。

 もうひとつ、大学院時代にはホヤの卵を材料にしていたため、各地の臨海実験所に滞在して実験をする機会が多くありました。特に東北大学の浅虫臨海実験所には長期間滞在させてもらい(あまりに居心地が良かったので…)、特に沼宮内先生には大変お世話になりました。ほかに東北大学の女川、東京大学の大槌、広島大学の向島、岡山大学の牛窓などにもお世話になりました。これらの実験所で、スタッフ、院生、外来研究者の皆さんとともに過ごし、知り合えた事も大きな財産になりました。のちに妻となる(旧姓)片山智恵とも臨海つながりで仲良くなることができました。佐藤研の仲間はもちろんですが、自分は臨海で出会った仲間に育ててもらった面も大きいと思っています。多様な海産無脊椎動物に対する興味もこの時期の経験で育まれました。

 大学院の初めの2年ほどはまったくデータが出ず、苦労しました。修論は惨憺たるものでした。しかし佐藤さんが「(大変な仕事なので)のんびりやって下さい」と大きく構えてくれていたのであまり焦る事もなく、そうこうするうちにD1の頃からようやく系がうまく動くようになってきて、なんとか研究が形になりはじめました。このプロセスでは兄弟子の西田さんにとてもお世話になりました。

 その頃の佐藤研では、和田くんを中心にして動物の分子系統学の仕事も始まっており、また安尾くんのホヤのBrachyuryの仕事で面白い結果が出たりして、端でみていた僕も生物の進化に興味をもつようになりました。自分でもマボヤの遺伝子発現調節メカニズムがユウレイボヤでも保存されているかどうか、なんて仕事もやりながら、進化に関連した研究をしたいなと考えるようになっていました。とはいえ当時はまだEvo-Devoなんて言葉もなかった頃で、発生と進化を結びつけて考えるということ自体がまだあまりメジャーではなかったと思います。その頃にあった「進化生物学春の学校」という会に佐藤研からも何人か参加したのですが、参加者のほとんどが遺伝学や分類学、生態学、古生物学などの人たちで、「なんで発生屋さんがきてるの?」みたいに珍しがられたことを憶えています。

 さてD3終了までになんとか3報の筆頭著者論文を出す事ができ(先輩の真壁さんや同級の日下部くんには大変助けてもらいました)、無事に学位も取得することができました。大学院に入る時に、佐藤さんからは「就職ないよ」と言われていたのですが、D3の終わりに紹介してもらった公募に出してみたところ、広島大学総合科学部(河原研)に採用していただきました。広大の理学部には嶋田先生や赤坂先生、道端先生などの知り合いもいましたが、総合科学部にはまったく知り合いもいなかったし、河原先生とは面識もなかったしで、拾ってもらったのは運が良かったと思います。僕の実力というよりたぶん佐藤さんの推薦状が良かったのではないかと思っています(佐藤さん、名文家ですので)。

 ちなみに採用が決まってから初めて知ったのですが、僕の人事と並行して僕の叔父(物理学者で、京大に進学する時に相談にのってもらった人です)も総合科学部での人事が進んでいて教授に採用が決まっていました。お互いに同じ大学学部の公募に応募しているとはまったく知らず、こんな偶然があるものかと本当に驚きました。結局まったく同じ日に辞令をもらいました。


【研究者として】

 広島大総合科学部に就職して東広島へ。研究材料はアフリカツメガエル。テーマは変態の分子機構ということで新しい地で研究を始めました。しかし最初の数年はいろいろとやってみるものの思ったように結果が出ず、ちょっとしたスランプでした。論文どころか学会発表のネタすら出て来ないような状態。研究費も当たらないし…。どうしようかなあと思っていました。

 そうこうするうちに、当時、大学院生だった横内さんがたまたま拾ったcDNAの配列を解析していたところ、その中にゲノムの中で非常に大量に増幅している単純反復配列が含まれている事がわかりました。おや、と思って調べてみると、どうもその配列はMITEというトランスポゾンの一種に由来しており、トランスポゾンに乗ってゲノム中で大量に増幅しているらしいということが分かりました(詳しくは研究紹介を参照してください)。これは面白い、と思いました。前に述べたように僕は進化に興味があったので、これをきっかけにトランスポゾンやそれに由来する単純反復配列が増幅し転移することで生物の進化にどのような影響を与えてきたのかについて調べてみたいと思うようになりました。このときに思い出したのが、僕が広大に就職するときにある先生がおっしゃっていた言葉です。いわく——自分たちは凡人であるから、周知の材料をもとに一生懸命に研究のアイディアを考えても、そんなアイディアは他の誰かがとっくに考えているだろう。独創的な研究をするのはとても難しい。だから、もし研究の過程で何かたまたま偶然に(誰も知らない)新しい事象に出会う事ができたなら、それを逃がさないようにするべきだ。そこにはまだ誰も考えていないような独創的な研究へと発展する芽が秘められているかもしれないから——というような趣旨でした。このトランスポゾンが、僕にとっての「独創の芽」になるのではないか、とそう思いました。

 その後の研究の展開については研究紹介をみて欲しいのですが、少なくとも自分では、この小さな芽をとても面白い研究テーマに発展させる事ができたのではないかと思っています(歩みが遅いのが悩みですが、competeしているライバルもいないので助かっています)。論文もすこしずつですがこのテーマで出せるようになってきたし、研究費も(百発百中とはもちろん行きませんが)少しは取れるようにもなってきました。何よりも、誰かから与えられたテーマでも誰の真似でもなく、自分で見つけ育てたテーマで研究できることが喜びです。Wetの実験と(独学ではありますが)好きなプログラミングという手法を用いたDryの解析の相乗効果で勧めて行けるテーマなのも魅力的です。

 またここ数年は、妻の智恵との共同研究で無腸類(Acoela)と微細藻類の共生メカニズムについての研究にも関わる事ができるようになりました。無腸類は学生時代に西村三郎先生の『動物の起源論』を読んで以来、ずっと興味をもち、いつか使いたいと思っていた材料です。こちらもぼちぼちと楽しみながら進めていきたいところです。


【家族】

 プライベートでは1997年に結婚。妻と初めて出会ったのは1991年の秋、妻がM1のときに岡山大学の牛窓臨海実験所から佐藤研に実験を習いに来たときでした。マンガや読書の趣味(グイン・サーガとか銀河英雄伝説とか花ゆめ系マンガとか)が合ったので親しくなったんんだと思います。明智抄が好きな人というのも身の回りでは珍しかった。つきあいはじめたのは1992年の夏でした。 結婚式や披露宴はしなかったのですが(二人ともやりたくなかった)、5月3日に婚姻届を出したのでその日が結婚記念日ということにしています。ちなみに日本国憲法施行50年目の憲法記念日。仮に現憲法が改正されても結婚は解消しませんが(笑)、できうれば末永くいまの憲法であって欲しいと思います。

 2000年春からは猫兄弟2匹(シロさんとチャイチャイ)と同居。チャイチャイは2009年8月1日、惜しくも亡くなってしまいましたが(享年14歳)、同い歳のシロさんはいまでも元気です。

 2007年に娘が生まれました。3月1日生まれ。名前はひらがなで「つばめ」といいます。上田敏の訳詩集『海潮音』の冒頭に「やよいついたち、はつ燕」ではじまるダンヌンチオの「燕の歌」という詩があります。この詩にちなんで命名しました——というと格好良いのですが、実は命名したあとでこの詩の存在に気づきました(笑)。すごい符合だなとびっくりしました。『海潮音』は学生時代に読んではいるので、記憶の底に残っていたのか(たぶん残っていないですけど)。実際には、読みやすく、憶えやすく、平凡すぎず、かといって奇異ではなく、親しみがもてて、親の願望があまりストレートには透けて見えない名前、ということで選びました。つばめはみんなに愛される鳥ですよね。そんな愛される人になって欲しいと思います。


【これから】

 生活も研究も楽しく!

 娘がもうすぐ3歳になるころに、はてなダイアリーに書いた文にリンクしておきます(かえる研究日誌 2010年2月25日)。こういう気持ちで生きて行きたいと思っています。


(last updated: 2012. 01. 17)


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