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最終更新日 2000.04.01


好きな本(オールタイム・ベスト)


個体発生と系統発生

「個体発生と進化」というテーマは、いまや生物学のトレンドと言ってよい。しかし、その視点はヘッケルが「個体発生は系統発生をくりかえす」といった時代の視点とは大きく異なっている。現在の研究の中心は「多様な生物における個体発生の分子メカニズムの共通性」であり、研究の手法は相同遺伝子の探索と機能の比較である。それはそれで良いのだが、(多くの場合)ショウジョウバエと脊椎動物という全く異なる系統の動物で見い出される発生機構の共通性は、個体発生機構の普遍性を示唆はするが、その間の莫大な時間に何がおこったのか、個体発生のいかなる改変が多様な生物を生み出してきたのかについては、ほとんど何も語っていない。
ヘッケル式の考えでは、祖先生物の個体発生の終端に新たな発生段階が付加されることによって新しい形態を持った子孫が生まれる。これが進化のプロセスでおこったことであり、故に「個体発生は系統発生をくりかえす」。現在ではこのようなプロセスが(一部の系統では起こっているにせよ)普遍性をもつものではないことは明らかだ。しかしライフサイクルや形態の大規模な進化を問題にする限り、そのような大規模な変化に結び付く進化プロセスはどのようなものだったのかについて考えることは避けて通れない。「無方向の変異が偶然に生じ、自然選択された」というあまりに一般的な言い方では、理解は一向に進まない。系統発生の各ステップで、形態やライフサイクル、それを構築する個体発生メカニズム、その背後にある遺伝子群、といった各レベルで具体的にどのような変化が生じたのか、ということこそが問題なのだ。古生物学がミッシング・リンクを埋められないならば、発生学こそが(想像が入り込まざるをえない場合もあるが、実証によって極力それを排する方向で)その間を埋める任を担わねばならない。分子発生学と比較発生学が結び付くことによってそれが可能になるのではないかという希望が僕にはある。
さて、現在の発生学においては、形態進化の要因の一つとして遺伝子の重複やホメオボックス遺伝子に代表される発生制御遺伝子の機能変化が想定されている。進化の要因と考えられているもう一つの大きなカテゴリーは「異時性」である。祖先の個体発生で発現するある形質が、子孫の個体発生においては祖先とは別のタイミングで発現するのが「異時性」である。グールドのこの大著はこの異時性の問題を中心に扱っている。
グールドが本書の冒頭で述べているフォン・ベーアの説とヘッケルの説の区別は示唆に富んでいる。前者は初期発生の保守性を要求し、進化は発生のより後期の段階の変更によって生じるとする。一方、後者は発生のタイミングの変化(異時性)を要求している。グールドがもう一つの区別として強調しているのは、進化をもたらす2種類の個体発生の変更の区別である。すなわち、「新しい形質が発生段階のどこかに導入され、それ以後の発生段階にも変化を及ぼす場合」と、「すでに存在している形質が、発生のタイミングを変更される場合」である。もちろん後者のプロセスが「異時性」である。生物の系統発生において、これらのプロセスはそれぞれどの程度重要な役割を担ってきたのだろうか。具体的にどの進化的変化が真の「異時性」の例なのか(たとえば脊椎動物は尾索類からの幼形進化なのか?)を明らかにし、「異時性」の生じる要因(調節機構の変化?)を調べることがこの問に答える道であり、最近の分子生物学と系統学の進歩はそれを可能にしつつあると思う。
変態現象の研究をしていることもあって、僕は最近、動物のライフサイクルの進化に興味を持っている。多くの動物は胚発生によって幼生を生じ、変態によって幼若個体を生じ、成熟して生殖をおこなう。胚--幼生--幼若体--成体という大まかに分けられたステージ間でも形質の移行は頻繁に生じている。ある種は祖先の幼形を保ったまま成熟し、ある種は祖先の幼生形質を胚に押し込め、ある種は祖先の成体形質を幼生に押し込めている。胚発生と変態におけるこのようなタイミングの変化が門や綱レベルの大進化に役割を果たしている可能性もある。近縁な種間でこれらのタイミングの変化がどのようにして起こったのかを調べること、あるいはもっと離れた分類群の間で相同な形質がどのような調節機構によって発現しているのか比較することが、進化のプロセスを理解する鍵となるのではないかと思う。
個体発生と系統発生の関係に関する様々な混乱を上記のように整理して提示した本書は、異時性の問題が分子生物学の手法によって解析されうるようになった現在、さらにその価値を増していると思う。
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ワンダフル・ライフ
動物の進化の歴史を考える上で、バージェスやエディアカラの化石が与えたインパクトには、計り知れないものがある。本書はバージェスの奇妙な動物化石の研究史をたどり、進化の歴史における「偶然性」の役割を強調している。
ちょうど動物の初期進化に興味をもって色々考えていた頃に翻訳が出たので、夢中で読んだ。読み物としも非常に面白い。ただ、グールドはバージェスの動物の異質性を強調するが、実際にはバージェス動物群は最初に考えられていたほどには現生の動物とかけ離れてはいない、という見解もある。サイモン・コンウェイ・モリスの『カンブリア紀の怪物たち』(講談社現代新書)などを併せて読むとバランスがとれて良いかも。(こちらも面白い本だし)。
この本を読んで一つ思ったのは、実は現生の生物たちも、単に我々が見なれているからあまり不思議に思わないだけで、よく考えるととても奇妙な形をした生物というのはたくさんいるんだよなあ、ということ。たとえば、ウニやヒトデがたまたま絶滅していて我々になじみがなかったとしたら、その化石を見つけた古生物学者はものすごく驚いただろうなあと思う。いや実際、僕は臨海実習や水族館でそういう生き物を見るたび、こいつらはどうしてこんな姿をしているんだろう、と完動し、不思議に思い、かれらの進化の道筋を知りたいと切に思う。絶滅したものも、生きているものも、ワンダフル・ライフなんだよね。
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偶然と必然
ノーベル賞科学者であるジャック・モノーが、分子生物学の哲学的な含意を論じた本。世界的ベストセラーとなり、多くの論争をよんだ(らしい)。モノーはこの宇宙で生命や知性が発生するのはまったく必然ではなかったかもしれないと述べ、我々(人間)は宇宙において約束された存在ではなかったことを主張する。モノーは分子生物学の立場から、人間中心的な世界観から脱却し、宇宙にはあらかじめ約束された意味など無いことを直視し、その上で新たな倫理を基礎づけなければならないと説く。
非常に魅力的な本である。いくぶんドーキンスの『利己的な遺伝子』の読後感と近いかもしれない。(科学的知識が素朴な価値観や倫理観をぐらつかせるところへ導いていくという点で。)僕はしばらくの間、この生命観から抜け出すことができなかった。
読んだのは大学の教養部時代。ちなみに僕はこの本を読んで生物学に進もうと決意したのでした。
若かった、あの頃...... (^^; 。
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動物の起源論
単細胞の原生生物から多細胞動物がどのようにして進化してきたのか。生物学がこれほど進んだ今でも、進化史上のこの大問題には定説と言えるものはない。大きくいえばヘッケル式の群体起源説、ハッジ式の多核体起源説があるが、そのマイナーチェンジともいえる説も多数存在する。繊毛虫、鞭毛虫、海綿動物、板状動物、刺胞動物、扁形動物、中生動物、有櫛動物、といった「始原的」な生物たちの間の関係も、論者によってさまざまな説が並びたつ状況だ。最近の分子系統学の研究によって、ようやくこの深い闇に光がさし込む気配はあるが、明白な図式が描かれるには至っていない。にもかかわらず、日本語の本でまともにこの問題を扱った本というのは、ほとんど無いと言ってよい。この本は数少ない貴重な一冊である。
従来の系統学は実験という手法に乗りにくい面があったため、論者の主観が入り込み、多分に思弁的な色を帯びていた。分子系統学のような、無邪気で高尚さには欠けるがはるかに客観的な方法論が取り入れられてきたのは、確かに喜ばしい(そして必要不可欠な)進歩だろう。しかし思弁的とはいえ、詳細な観察と生物に対する深い洞察に基づいた論の中には、やはり多くの真実が含まれていると思う。さらに言えば、そのような曖昧模糊とした思弁の中から実証的研究への動機は生まれてくるのだし、思弁的だといって排してしまう極端な経験主義は第一、味気ない。
この本では、ヘッケル、ハッジらの代表的な系統論の紹介に加えて、西村先生自身の考えも展開される。西村先生の文才と興味深いテーマがかみあって、とにかく面白い。ヘッケル説とハッジ説を様々な証拠を挙げながら検証していくくだりは、推理小説を読むように、いや並みの推理小説をはるかに凌駕してエキサイティングだ。著者の考えに納得するかどうかは別にしても、何が問題とされているのかを知るだけで十分に価値がある。このような系統論的視点は、生物学に興味のある人の基礎的教養だと思う。
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星を継ぐもの
SFの中から僕のお気に入りを一冊選ぶと、この本になる。魅力的な謎が提示されて美しく解決されるというミステリ的な部分も僕の好みに合う。それと、出てくる科学者が、すごくかっこ良いのだ。ホーガンの『創世記機械』や『造物主の掟』なども好きだ。
ところで、SFはもともと「サイエンス・フィクション」の意味だから「科学」と深く関係してはいるのだけれども、「科学」という精神活動はむしろ(狭義の)「ミステリ」に近いところがあるのではないかと僕は考えている。「魅力的な謎」が提示され、証拠を集めることによって、その謎の背後にある真実を探り、最終的に謎は合理的に解決される、というミステリのフォーマットは、科学の「知的好奇心の満足」という側面をシミュレートしているように思われるのだ。SFは逆に科学を素材としつつも、「合理」をすりぬけて想像力の及ぶ範囲をどこまでも拡張していこうとする志向をもつもので、科学というよりむしろテクノロジーの発想に近いのではないかという気がする。
『星を継ぐもの』が面白いのは、この2つの側面を非常にうまく融合させている点にあると思う。
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幻の女
最初に読んだのは、確か小学生の時で、子供向けに翻案されたものだった。(タイトルがたしか『幻の証人』だったかな?)主人公の危機にはらはらどきどきしながら読んで、最後の落ちには完全に「やられた!」という感じ。スリル、謎、どんでんがえしのバランスがとても良い。大学に入ってハヤカワ文庫で読み直したが、やっぱり面白かった。僕は海外ミステリはあまり読んでいないので大きな事は言えないが、ベスト・ミステリによくランクインしているところを見ると、やはり名作なのだろう。
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コナン
言わずと知れたヒロイック・ファンタジーの古典的名作。昔のことなので記憶があいまいなのだが、『グイン・サーガ』のあとがきで栗本薫が『コナン』のことを書いていたのが、読んだきっかけだったと思う。コナンは僕のそれまでのヒーロー像とはかけはなれた主人公で、おいおい、そんなことして良いんか、などと思いながら、その妖しくて野蛮な世界に引き込まれていった。これがきっかけで『ブラク』、『ゾンガー』、『ファファード&グレイマウザー』、『ルーンの杖秘録』などにも一時期はまった。(でもやっぱりコナンが一番おもしろい。)
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グイン・サーガ
7巻の表紙に魅かれて読み始めたのが、高校生の頃だから、もう20年近いつきあいになる。人生の半分はグインとともにあったわけだ。
話の面白さには波があるけれど、なんだかんだと文句は言っても、読み続けている。長い期間つづくシリーズものって、途中でだるくなって読まなくなってしまうものが多いんだけど(幻魔とかウルフガイとかキマイラとか魔獣狩りとかDとか魔界都市とか魔界水滸伝とか)、グインだけは最後まで付き合うことになるだろうと思っている。やっぱり好きなんだよね。(ちなみに『豹頭王の花嫁』は絶対リンダだと思っている。確かめるまでは死ねない!)
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猛き箱船
船戸作品を最初に読んだのは『山猫の夏』で、熱い熱い骨太の作風に圧倒された。一時期、手に入る船戸作品は片端から集めて読んでいた。それらの作品群の中でも、『猛き箱船』『砂のクロニクル』の熱さは格別。日本の冒険小説の中でも最高峰に位置する作品だと信じている。逢阪剛も志水辰夫も大沢在昌も真保裕一も馳星周も、確かに悪くはないけれども、船戸与一と比べるとやはり一歩ゆずるというのが僕の(勝手な)評価。とにかく読んでみて、と言いたい。
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魍魎の匣
一作目の「うぶめ」のときは雰囲気は良いけどメイントリック(?)は強引すぎる、と思った。
「魍魎」は、はなからそういう話だと思って読んだから、荒唐無稽な仕掛けも楽しめた。
そういうわけで「魍魎」が一番です。
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虚無への供物
日本のミステリの人気投票などでは必ず上位に来る作品。やはりそれだけのことはあって、面白い。妖しくて、読んでいて頭が朦朧としてくる感じ。
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桃尻娘
僕ごときがいうまでもなく、橋本治はすごい。
この本を読んだとき、読むのが遅すぎたと後悔した。高校生のころに読むべきだった。
第一作のインパクトが強烈だけど、続編もまた良い。全6冊。読んでいない方は是非。
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風の万里 黎明の空
小野不由美の異世界ファンタジー『十二国記』シリーズの一編。
『十二国記』は全部好きだが、本書は主人公の3人の少女の成長を描いた物語で、読後感が抜群に良い。
本書と、『図南の翼』が今のところ僕にとっての『十二国記』のベスト。早く続きを!
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竜馬がゆく
これを読んだのは、大学入試を終えて、合否の発表を待っていた十数日の間だった。受験勉強をしなくても良いという解放感と、結果を待つなんとなく不安な気分、合格していたら始まるであろう京都での学生生活への期待、といった、なんとなくふわふわとした気分の中で読んだ竜馬のスケールの大きな生き方は、心に染みた。本には読むのにふさわしい時期があると思うが、僕の場合、この本はうまくそれにはまってくれたと思う。
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罪と罰
読み終えて、熱がでた時のようにしばらく頭がくらくらした、高校3年の夏(ほんとに熱が出てたかもしれない。それくらい強烈だった)。「殺人はなぜ罪なのか」。神を信じられない僕らにとって、この問いに明確に答えるのは難しいことだし、この本がその解答を与えてくれるわけでもないのだけれど、主人公ラスコーリニコフの激しい苦悶が、その答えへの手がかりを指し示しているように思えた。
犯罪小説として読んでも一級のおもしろさ。
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人間の条件
生死のかかった極限状況の中で、人間は人間であるための条件を守り抜くことができるのか。
この本も、夢中で一気に読んでしまい、しばらくは頭が朦朧とした本。名作です。
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悪童日記
ラストが強烈。
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虫づくし
別役実の、ロジカルなのかそうでないのか分からない奇妙な文章のおかしさは、名人芸。どの作品も同じ様な趣向なのだけれど、ついつい笑ってしまう。「真説・動物学大系」シリーズの『鳥づくし』『けものづくし』なども併せて読むべし。
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妊娠小説
本書冒頭で斎藤美奈子は「日本の近現代文学には、『病気小説』や『貧乏小説』とならんで『妊娠小説』という伝統的なジャンルがあります」と宣言する。「妊娠小説」とは何か?著者の定義によればそれは「望まない『妊娠』を登載した小説」であり、「『妊娠』を標準装備した小説はとりあえずすべて『妊娠小説』である」とされる。そう、かの『舞姫』も『風の歌を聴け』も、実は「妊娠小説」だったのだ。本書は文学史、文学批評から黙殺され続けてきたこの一大ジャンルに光を当てる、挑戦的な文芸評論である。
著者は「妊娠小説」を歴史、形式、内容の面から、ばっさばっさと切り刻み、整理し、ラベルを張り付けていく。こういう読まれ方をしたら作品も作者もたまったものではないだろうが、読むほうにすればとても痛快。毒舌皮肉の切れも良く、笑いながら読ませてもらった。
文芸評論なんて、面白くないものの代表みたいなイメージがあるけれど、本書は別。最高のエンターテイメントでした。
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ふつうがえらい
佐野洋子の文章が好きだ。とてもリズムが良くて、こういう文章を書けたら良いなあと、いつも思う。
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文体練習
バスの中で起こった日常の些細な出来事を様々な文体で綴っていく言葉あそび。登場する文体はメモの文体、隠喩の使用、手紙文、電報、会話、詩、論文調、罵倒体などなど全部で99通り。(中には「文体」とは言えないほど解体されているものもあるが。)とにかく、面白い。僕がここで何を書いてもこの面白さは伝わらないと思うので余計なことは書かないが、文章や言葉遊びに興味のある人はぜひ手にとってめくってみて下さい。ちなみにレーモン・クノーは『地下鉄のザジ』の作者。原文はもちろんフランス語だ。言葉あそびをふんだんに盛り込んだ文章を作者の意図を汲みながら訳す作業は並大抵の苦労ではなかったと思う。訳者の朝比奈氏に敬意を表したいと思います。
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御教訓大全
「ビックリハウス」に投稿された「御教訓」(「クロネコヤマトの卓球部員」とか「ホソオモテヤマネコ」とか、そんなかんじのダジャレですね)をあつめた本。「御教訓」には根強いファンが多く、今も毎年『御教訓カレンダー』が発売されている。僕もまたこの手のダジャレをこよなく愛する一人であるが、これだけ高度なダジャレを多数集めた例を他に知らない(知ってる方はぜひ教えて下さい)。ダジャレのバイブルである。
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HIKOSAKA Akira - 1995年04月作製 - 2000年04月01日更新 - 制作者にメール