2019年度第1学期・放送大学・「西洋古代・中世哲学史」Q & A

   (ab 2001.01.04.)

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放送大学/2019年度第1学期/西洋古代・中世哲学史(2019.04.20.土)

以下は,第1日目(4月20日)の終了時に,1日目の講義を受けての「質問・感想・要望」として,受講者に自由に書いてもらったものと,それぞれに対する回答です.受講生の氏名は匿名,順不同です.

Q. 1 タレスは水が含まれていたら人工物も魂があると考えられていたのでしょうか?人工的な物に命があると考えた哲学者はおられますか?(たとえば今だったらスマホとか)物が壊れることに何か意味があるという考え方は哲学にありますか?

A. 1 最初から難しい質問です.「魂」とか「命」の意味をどう考えるか次第です.残されたテクストからは,タレスが考えていた「水」=「生命原理」,そして「魂」というのは,「自然(ピュシス)」のことを言っていると思われます.

人工物に「命」というと,比喩的な意味でしか言えないのではないでしょうか.比喩的な意味ではなくて,文字通り「命」があると認める例を,寡聞にして知りません.ご存知ならば,ご教示ください.

物が壊れることに何か意味を見出すということも,物理的な説明以外に,何かの知らせであるとか,象徴的な意味を読み取ることは,各自の自由ですが,合理的説明を求める立場からでは認めないと思います.しかし,学問としてはそうであっても,個人がどう受け取るかは,もちろん,自由ですし,本人にとっては大切なことであることは確かです.

Q. 2 教わるにギリシア哲学は不完全なものの様に思いますが,こんなにも今に至るまで人々を引きつけるのはなぜでしょうか?

ギリシア人がポリスを成しとげてアクロポリスなどの神殿を残したことでしょうか?

史上初めて大帝国を築いたことでしょうか?

後のローマ帝国がギリシアに対するあこがれを残したためでしょうか?

昔「バラの名前」という映画で,アリストテレスの詩学「笑ひ」の文章をなくする為に多くの人命が失われたというのがありましたが「どうしてそこまで?」と疑問に思ったものです.

哲学の始まりが,神話的な仕方で万物を説明するのではなく,まちがっていても論証可能なやり方で説明しようと試みることというのがおもしろかった.

論の発展が広がりがある=いろんな人が参加できる→人を引きつける理由?

日本の皇室が神話的なものを基礎にせざるを得ない事がいささか心もとなく感じてしまいます.

A. 2 古代ギリシアの哲学者たちが,考察し主張した内容には,現在の私たちから見ると,不完全と思われるところがあっても,アリストテレスが言っているように,その時点でわかっている前提から,妥当な推論を経て或る結論を得る,という方法は,時代や場所に限定されないで通用する学問の方法であって,それを明確にしたのが,古代ギリシア哲学であるということと,その方法を,文献に残っている限りで最初に試したのが,古代ギリシア哲学である,ということでは,現代でも受け継がれていることであり,その最初の知的営みとしてのギリシア哲学が人をひきつけるのではないでしょうか.

「バラの名前」は,不勉強にして見たことがありませんが,ウンベルト・エーコ(原作はイタリア語)は,中世哲学に詳しい学者ですから,中世から近現代哲学にまで影響力のあった,アリストテレスの著作『詩学』に,「笑い」が取り上げられていてはまずい,というストーリー設定だったのでしょうか.

Q. 3 物事を深く考える事なしに生活している私にとって,哲学はとてもむつかしい学問だと思います.でも,放送大学だからこそ,全く畑違いの哲学を学べると思って受講しました.

難しい言語も分かりやすく例えを入れてくださり解説して下さいました.特に,粘土で作った怪獣の話はとても分かりやすかったです.

せっかくなので少しでも理解しようと頭をフル回転させて受講しました.受講中は分かった様な気になっていましたが,いざ何を学んだかと聞かれると,申し訳ないのですが,答える事ができません.すみません.

A. 3 講義を受けたことが,何か,自分でも考えるきっかけになれば幸いです.

Q. 4 1頁にギリシア語などがたくさんあり驚きましたが少しずつ慣れていきました.

風邪などひかれて体調の悪い方がおられますが,充分休養と予防していただきたいと思います.

A. 4 ギリシア人にとっても,学問,とくに,哲学をするには,ひま(スコレー)がないと,できません.今は,いそがしすぎて,哲学をするひまがないような状況です.充分な休養をとって体調もととのえていただきたいと思います.

Q. 5 本日は特に質問はありません.

一部分ではありますが,アリストテレス前後(特に前)の哲学史が体系的(時系列的)に良く解った.

哲学は切り口(学習法)を変えて,反復して学習することが大事と思う.哲学史が理解できなければ,太極的に哲学がとらえられないと思う.

A. 5 大局(全体のなりゆき)ではなくて,太極(陰陽の二元が生じるまえの万物の本体)と書かれたことに,感じるところがあります.

Q. 6 西周の「希哲学」は,もしや「希=ギリシア」で,「ギリシア哲学」のことではないか,とフト思いました.

「自分の頭で考える」ことが哲学には重要だと思いますが,授業の中でも試しに一部取り入れてみてはどうでしょうか.(申し訳ないが,ちょっと生意気な要望になると思いますが)たとえば,先生のことばとして,「今から自分で考えてみるコーナーとします.今から以下のテーマについて,自分なりに考えて,答えをまとめて下さい.5〜10分考える時間をもちます.その後3人(2人)指名して答えを言ってもらいます」

問い

(1) タレスはアルケーとして水と考えたのは,その理由について.

(2) ピタゴラスは「数」としました.その理由は.

(3) 「哲学は驚きから始まる」とは?

等々.

*かつての体験で(世阿弥についての面接授業でしたが),

・芸の極致としての「花」とは,「秘すれば花」とは.

・「初心忘るべからず」とは,どんなことか.

などの質問で,5〜10分考える時間をもたせてから,指名で発表させられました.学生にはオチオチ寝てられない効果をもたらします.自分なりに考えても,たいした答えにならなかったとは思いますが,記憶に残りました.

A. 6 授業中に,受講者に自分で考える時間を設ける,というご提案をいただき,ありがとうございます.今回は,話すべき内容が多過ぎて,実施することはできませんでしたが,機会があれば試してみたいと思います.

西周が,ギリシア語の原義(philo=愛する,sophy=知恵)に従って,philosophyを,最初は「希哲学」または「希賢学」と訳したところ(文久2年),いつの間にか,「希」が脱落して,「哲学」(慶応末年)だけになって定着したことは知られています.一方,中江兆民は,最初から,philosophie(フランス語)を「理学」と訳していたようですが,こちらは,定着しませんでした.詳しくは,下記をご覧下さい.

中公バックス『日本の名著 34』「西周/加藤弘之」,中央公論社,1984.

麻生義輝,『近世日本哲学史 幕末から明治維新の啓蒙思想』,書肆心水,2008.(初版は,近藤書店,昭和17年.)

Q. 7 問題を自分の頭で考える「哲学」はとうてい学ぶことは出来ないが,哲学者の考えを学ぶ哲学史ならばどうにかと思ったが,今日の講義に接し,これもなかなか困難と感じた.

講義のときは理解したつもりでも本当には理解できていない.努力したいと思います.

A. 7 学習したことを,自分のことばで表現し直してみることで,理解できていないところが明らかになり,何を学び直すべきかもわかるようになると思います.

Q. 8 まず,ギリシャ哲学の拙訳についてのお話がありました.拙訳が正確であるかどうかは特に古典においてアポリアにおちいります.古典は拙訳しても完全に伝えることはできないと思います.オーストラリアでのカンガルーの名前が完全に訳せないということがあります.

哲学史と哲学の学説について特にギリシャ時代について深く学習することができました.哲学史について,学の統一性で,アリストテレスのThalesの哲学が始まりとするが,その前のイオニアの哲学者も「自然について」を書いています.人間についても書いていただろうと先生の説と全く同感です.

アリストテレスの学説を深く学びました.四元説や学問の区分も大切だと思いますが,もう少しEthicsとしての中庸について説明が欲しいと思います.

A. 8 「拙訳」という日本語の使い方が,ちょっと違うと思いますが,原典で読まず,翻訳だけで読むと問題がある,ということは理解しておられるので,その点は結構です.

アリストテレスに関しては,「四元説」というのが「四原因説」のことですね.『倫理学』の「中庸」については,高校の「倫理」でも取り上げられ,よく知られていることですので,あえて触れませんでした.それよりも,アリストテレスの哲学,学問論にとって,その骨格であり,基礎である,学問対象の分類のほうが,重要であるのに,触れられることが少ないので,それを中心に説明しました.

Q. 9 何故たくさんいる哲学者の中からアリストテレスを研究されているのですか?

この時代がわかる映画でお勧めのものがありましたら教えてください.

2,400年前の原書で残されたものはあるのですか?

A. 9 なぜか,気がついたら,アリストテレスをやっていました.周囲にはプラトンをやっている人が多かったからかもしれません.また,中世哲学や近現代哲学を学び始めたら,批判されるにせよ,肯定的に継承されるにせよ,アリストテレスの哲学を知らないとどうにもならないくらい,アリストテレスの後世への影響は絶大ですから,アリストテレスをある程度勉強しておかなくてはならいと思い,それが今でも続いています.ですから,研究対象としてではなくて,個人的に魅力を感じる哲学者は,他にいます.フェリ=モリヤン・ラヴェソン(Felix-Mollien Ravaisson, 1813-1900),シャルル・ベルナール・ルヌヴィエ(Charles Bernard Renouvier, 1815-1903),ジュール・ラニョー(Jules Ragneau, 1851-1894),ジャン・カヴァイエス(Jean Cavailles, 1903-1944)とかです.

映画はほとんど見ないのでわかりませんが,現代のギリシア製の映画で「イフゲニア(イフィゲニア,イピゲネイア)」というのがあります.現代ギリシア語が使われています.

2,400年前に書かれたものが,そのまま残っているわけではなくて,次々と書き写されたもの(写本)が残っています.

Q. 10 人間の知は観想(観照)→行為→制作で完了する(意味あるものになる)と言えないか?「知行合一」と同じ?

p. 7, l. 307, 哲人とは,「書かれたものの限界を知る,書かれたもの以上のものを自分の中にもっている人」とは,まだ,ロゴス化されていないもの(更なる考え)を自分の中にもっている人ではないか?

A. 10 制作までを要する活動は,「観想→行為→制作」という過程が想定されますが,そもそも,ギリシア人は,自分で手を下して,何かを制作する,ということを重視していない(実際には,いろいろ作っていますが)ので,「観想」は「観想」で完結し,「行為」は,「行為」に焦点があてられています.中でも,「観想」だけで完結する活動がもっとも理想的だと考えられているのです.肉体をもたない「神」の活動は,この「観想」のみで完結しており,これが理想なのですが,肉体をもって生きる人間の場合は,いわば,必要悪としての,「行為」や「制作」がこれに続いてあると考えられています.

哲人については,「ロゴス」と「ことば」,それに「書かれたもの(文字)」の関係をどう解するか次第です.

Q. 11 感想

(1) 本日の授業で哲学することは考えることが根本的中心的だと教えられた.

(2) 古代ギリシャの資料が充分ない点があるのだが現代までつながりをもっている哲学という学問がおもしろく思った.

(3) 学問は論証が必要であることが大切だと実感した.

(4) ミレトスの思想家たちの話がおもしろかった.

(5) 最近テレビで観たブラックホールの中に吸い込まれたら,学問も全部消滅してしまうのか,又は何か生まれてくるのかなぁと思った.科学の力も不思議だなと思った.以上.

A. 11 他の受講生も述べていたように思いますが,哲学にとって「論証(アポデイクシス)」ということが重要であるということに気づいていただけたのはうれしく思います.

Q. 12 1. 哲学はなかなか奥深いです.現代哲学への挑戦,ドイツ哲学の系譜など学びましたが,考え方の基本は2,000年以上前のアリストテレス,プラトンまでさかのぼって学習するのですね.人類の考え方の本流は長く長く本線が流れているのですね.

2. 現代はあまりにも進化しすぎています.政治,経済,文化,自然科学,何と何とその未知で懸命に活動しております.

A. 12 哲学史を学べばわかることですが,哲学は時代とともに進歩するものではなくて,個々の哲学者の哲学は,いわば,それ自体で完結しているので,単純に,新しいから正しい,古いから間違っている,ということにはなりません.新しくてもとるにたらない哲学や哲学者も少なからずあります.このことは,哲学の書物でも同様で,新しいものがよいとは限らず(話題が現代風なだけです),時代に関係なく,これは!という思う哲学者の著作に出会うことを期待します.その哲学者の考え方を学び,その考え方で現在の自分の問題を考えてみることが必要です.

Q. 13 質問:今日,「対象のあり方---必然的---第一哲学---数学」を習いましたが,数学的センスが欠如している私には,哲学は理解しえないでしょうか?

感想:私は,放送大学で2年間,哲学を学んできましたが,哲学は難解でまるで霧の中を歩いているようでした.今日,はじめて生身の「哲学者」のリアル授業を受けることが出来,やはり,哲学はおもしろいし,勉強は続けて行きたいと思いました.

A. 13 数学的センスが欠如しているからといって,哲学は理解しえないということにはならないと思います.哲学が扱う対象にはいろいろありますから.しかし,数学に限りませんが,わからいことや,知らないこと,また,苦手なことを毛嫌いせずに,取り組んでみる,という態度は必要です.

Q. 14 哲学の始まりは,B.C.585年 Thalesからである.そもそもの始めは,驚くということで始まったと!! Aristotelesが言ったことを知り,一日かけて哲学の講義を聞きながら頭はなかなかついていかなかったのですが,先生がアリストテレスに見えてきました!! 本日はありがとうこざいました.

A. 14 そう言われましても・・・

Q. 15 質問・要望は特にない.私にとって哲学は必ずしもなれ親しんだ領域ではないので,提示される情報・思考法に対処する(理解する)のに精一杯であった.

感想:この領域の学問は大変興味深いと分かる.放送大学で「人間と文化」というコースで学ぶことがらであり,このコースを私がかつて卒業しているのだが,哲学の単位取得は少なかった.放送大学の全コースを卒業したあと,哲学の学習をさらに行いたい.

A. 15 勉強を続けられることを希望します.

Q. 16 講義中に黒板を使用され,その際にラテン語,ギリシャ語の訳に関して,カタカナで仮名ふりをして頂き理解するのに大変よかった.

A. 16 外国語の知識を前提としないで講義をする必要があるので,原語を提示する場合は,意味と読み方を並記するようにしています.

Q. 17 もう少しはっきりと少し聞き分けにくい所もあり,その他詳しく説明していただき哲学というものが少しわかってきました.むずかしいものと思っていましたが,くり返し読む事が大切だと思われてきました.ありがとうございました.

A. 17 つい,早口になったり,説明が不十分であったところがあるかもしれません.申し訳ありません.また,ご指摘いただき,ありがとうございます.

Q. 18 難しいような気がして明日のレポートが不安.

A. 18 理解した範囲で,授業内容をまとめて,それに対する疑問点を述べる,というものですが,何でも,思ったことを書いてくださって結構です.

Q. 19 気を使っていただいてありがとうございます.2度言ってくださると助かります.

A. 19 私自身は,地デジ難民で,家でテレビを見ることはなく,ラジオを聴いていることが多いのですが,ラジオの出演者の話が聞き取りにくいこともあり,もし,私の講義をテレビではなくて,ラジオで聴くとすれば,どうなるのか,ということを意識していました.

Q. 20 授業の冒頭であったように,現在出版されている書物の事情を知る(直訳か他言語からの訳か等)ことで,書物の選び方がわかった.

以前から同じ人物を扱う書物でも著者によって見解が違う等でどれを買うのか迷っていた.

又,「書物」としての「出版」事情以前に,古代から受けつがれてきた「カタチ」(哲学者本人の著作でないとか,アオイドスとか・・・)の歴史を学ぶと深く理解できるように感じた.

テキストもわかりやすいので,今後掘り下げて学ぶのに貴重なモノになります.

A. 20 哲学や西洋哲学史に限りませんが,日本語以外で書かれたものを翻訳で読まざるをえない(原語で読むのが理想です),という場合,どうすればよいか,ということですが,そもそも,哲学史を勉強する方法に関して,ショーペンハウアーとヤスパースが言っていることが参考になると思うので,これを最後に掲げておきます.

 哲学者自身の著作を読まずに,彼らの学説のいろいろな解説あるいは一般に哲学の歴史といわれるものを読むということは,あたかも食物をだれかほかの人にかんでもらうようなものである.往事の出来事に関心を有する場合,自らの目でこれを確かめることがだれにでもできるのであれば,世界史など読む者はいなくなるであろう.ところが哲学の歴史にあっては,目ざす対象物をじっさいにこの目でみることができるのだ.それは哲学者の著作そのものを読むことである.そのさい手短かにすまそうとおもえば,厳選された主要箇所のみに範囲をかぎることもできよう.著書のすべてが同じ趣旨の繰りかえしであれば読むのが省けるからなおさらである.ところが昨今,年に半ダースも出版される哲学史からは,哲学教授の頭のなかへはいりこんだものだけを,しかもそこで評価されたとおりに受けとるしかない.自明のことであるが,そのとき偉大な精神の抱懐した思想は,哲学寄食者の三ポンドの脳味噌に収められるようにひどくいじけたものとなり,ついで当世流行の学術的隠語の衣を着せられて,彼の脳味噌から巧みぶった批評づきで取りだされる,という段取りになる.[ショーペンハウアー/有田潤訳, 1973, 「哲学史のための断章」より「哲学史について」,『余録と補遺(パレルガ・ウント・パラリポメナ)』所収,『ショーペンハウアー全集10』白水社,pp. 53-54.]

ここで,ショーペンハウアーが言っていることは,哲学史の本や,概説書などではなく,哲学者の原典を読め!ということですが,そうすると,放送大学の教科書も,講義も(もちろん,私の講義も)同じことで,信用してはならない,ということになります.そう言われても,誰でもが,カントのドイツ語の原書や,アリストテレスのギリシア語の原典をすぐに読めるわけではありませんから,どうしても,教科書や入門書をひもとくことになります.

そういう学び始めの人たちに対して,ヤスパースが次のようなアドヴァイスをしてくれています.

 ある一つの解釈をそのままに信用して,それにとらわれるということのないように,あらかじめ用心するために,常にいくつかの哲学史の書物をあわせ読むことをお勧めしたいのです.たった一つの書物しか読まないと,知らず識らずにその方式を押し付けられることになるからです.

 さらにお勧めしたいことは,哲学史の書物を読む場合は,少なくとも任意試験的に,叙述されたものについて原典に当たってみることであります.[ヤスパース/草薙正夫訳, 1954, 『哲学入門』, 新潮文庫,p. 183.]

ヤスパースが,ここで言っていることは,哲学史の本にせよ,概説書にせよ,1冊だけしか読まないと,そこ書かれている解釈だけしか知ることができず,それを唯一正しいと思ってしまうのは危険である,ということです.もちろん,最初は何か1冊(教科書でもよい)を基本に読むことになるでしょうが,余裕ができたら,別の哲学史の本や概説書の該当箇所を比較して読んでみるとよい,というわけです.さらに,たとえば,カントのことを学んでいるときならば,教科書や概説書が説明している事柄を,カント自身の著作ではどう書かれているのかを,その箇所だけでもよいから,自分も読んでみることをすすめています.ヤスパースが「原典」といっているのは,みなさんの場合ならば,日本語訳されたものでもよいでしょう.ただし,カントの『純粋理性批判』ならば,何種類か翻訳があり,その訳し方が違っていたりしますから,できればそれも,何種類か比較すると,より一層理解が深まります.図書館を多いに利用することをすすめます.(2019.05.01.記)


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