ヒロシマの詩人・峠三吉が亡くなって50年になりました。20世紀は戦争の世紀ともいわれ、その中でも原爆投下は最大のものでした。
広島の教訓から、人類は21世紀へ豊かな夢を紡いだのでした。しかし、現実は無差別テロを口実とした一国覇権主義が、アフガンやイラクを戦火にさらし、子どもを含む一般市民が傷つき命を落としています。
原爆詩人・峠三吉の平和への思いを継承し、彼の文学的足跡をなぞって、21世紀に果たすべきヒロシマの責任をみんなで一緒に考えたいと思います。
峠三吉の原爆詩集の序詩の重さ!です。
峠三吉没後50年の会共同代表・御庄博実
平和記念公園を歩くと、市民、旅行者が峠三吉詩碑の前で足を止めて感慨深く見ている姿があります。没後50年の節目に、広島の文学者であり、平和への願いを発信し続ける峠三吉の文学資料展示の開催は、これを次世代に継承しようとする市民活動があってこそ可能となったもので、峠三吉没後50年の会を始め、関係者の皆様の取り組みに感謝いたします。
広島には実に様々な市民活動があります。市民が主役になって、心豊かな生き方を目指す生涯学習や、公益を目指すボランティア活動を着実に、かつ力強く進めています。広島市まちづくり市民交流プラザでは、こうした活動を支援するため、活動の場・情報の提供、講座・展示の実施などの事業を行なっています。「どのくらい市民参加が得られるか」、「一人ひとりの行き方と活動にどう結びつくか」を大切にしていきたいと考えています。
この資料展がご来場いただいた皆様の心に残り、まちづくりへの参加につながることを願っています。
広島市まちづくり市民交流プラザ館長・山本瑩子
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峠三吉は1917年(大正6)2月19日、大阪府豊中市に生まれ、広島で育った。三吉の少年時代からの文学好きは母親によるもの。長姉・嘉子は若くしてクリスチャン(プロテスタント)となり、影響を与えた。のちに受洗するのもこの長姉のすすめによっている。長兄・一夫は三高在学中に社会主義運動に参加、特に戦後は思想的影響を受けた。 峠三吉は、28歳のとき、爆心地から3キロ離れた翠町の自宅で被爆。その体験から叙情的・象徴主義的な詩風を変革しながら、詩誌「われらの詩」の創刊、反戦詩歌人集団の結成など、文学のたたかいを反戦・平和・人権の尊厳をまもるたたかいの中に内包し、代表作『原爆詩集』に到達した。 詩碑の碑文は『原爆詩集』の「序」として書かれたもの。これは、朝鮮戦争がはじまり、アメリカが朝鮮で原爆使用もありうるといった国際的状況、占領軍のプレスコード(報道規制)がしかれ、言論や報道がきびしく制約されていた中で、原爆被害者および全世界の平和を求める人びとへのメッセージとして書き上げられた。 さらに彼は、『原爆詩集』をもっと発展させ、「叙事詩広島」の創造を決意し、手術によって体力の回復をはかろうとしたが、原爆で犯された内蔵は耐え切れず、1953年3月10日未明、手術台で死亡した。まさに「髪にそよぐ風のように生き、燃えつくした炎のように死ぬ」36年の生涯だった。 詩碑は、峠三吉没後10年にあたる1963年、平和のための広島県文化会議(建設委員長・深川宗俊)が呼びかけ、除幕されたもので、設計を四国五郎氏が担当、碑文の書は三宅一子氏、英文の書は訳者・大原三八雄氏によるもの。(池田正彦) |
☆「文学資料展」についての新聞報道
「峠三吉の願い継承 没後50年展開幕/広島」『中国新聞』(2003年4月17日)
「峠三吉没後50年で文学資料展 直筆原稿など100点」『毎日新聞』(2003年4月22日)
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『原爆詩集』草稿 | |
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『われらの詩』関係 |
1〜20号 |
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追悼集、『新日本文学』関係(原爆詩集・抄) |
追悼集「風のように炎のように」 |
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メッセージなどの原稿類 |
世界連邦アジア会議への草稿、われらの詩の会「呼びかけ」など |
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礼状等、書簡、葉書 |
中野重治、大田洋子、岡本潤、坪井繁治、丸木位里・俊から |
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辻詩 |
詩・峠三吉、絵・四国五郎 |
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新聞「平和戦線」7号 |
1950年6月9日、占領政策に抗し、紙面に被爆の惨状を掲載 |
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妻・和子への絵手紙 |
療養所内で和子宛に記録された日記、メモなど |
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絵・書 |
妻・和子像、姉・千栄子像、習字、作文など |
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『原爆詩集』のために描かれた表紙絵 |
絵・丸木俊 |
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未発表と思われる詩・草稿「カチューシャ楽団に捧ぐる詩」 |
「峠三吉の未発表詩 広島で発見」(「中国新聞」2003年4月12日) |
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絵しゃもじ |
表に「ちちをかえせ ははをかえせ」の自筆の詩句、裏に絵・四国五郎 |
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峠三吉肖像画 |
絵・四国五郎 |
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詩碑関係資料 |
佐多稲子、堀田善衛、開高健、野間宏などから寄せられた詩碑に関するアンケート |
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詩碑レプリカ |
製作・池田正彦 |
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写真パネル |
家族写真、療養所、広島駅ホーム、「原爆の図展」後の座談会、ベッドにかかげられたメモなど |
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遺品類 |
デスマスク、表札、ネクタイ、矢立、印刷用凸版など |
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日記(1945年8月6日前後) |
提供・日本共産党中央委員会党史資料室 |
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草稿多数 |
「倉庫の記録」、「八月六日」、「墓標」など |
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書籍多数 |
『原爆詩集』はじめ峠三吉関連書籍 |