猿猴橋
街に灯がともり
夕餉の煙が立ちはじめる
満潮の河岸から
猿猴がそろりとあがってくる
家路を急ぐ足音をあやしく聞き分け
雄の猿猴は 若い女のあそこをねらい
雌の猿猴は 若い男の睾丸を抜くという
少年は 欄干の
桃をとりあっている猿猴をなでながら
金つり一本で
満潮の川に飛び込む
鳶色に日焼けした少女たちも
歓声をあげながら
川面でのボール盗り
廣島の夏は
七つの川に彩られていた
………学徒出陣………
猿猴の出るという川の
声のとどく廣島駅で
僕は学友のH君 S君 ……
いくたりを 幟を立て 旗を振り
寮歌とバンザイのなかで 戦場に送ったか
H君 M君は遂に帰らず
白布に包まれた 空の木箱に
君の両親や 僕らが
どれだけ無念の涙を耐えたことか
五十年前
猿猴橋に 血と漿液をしたたらせながら
無惨の被爆者たちが
よろめき つまずき 這いながら
ただれ 燃え 溶ける街から
東へ 北へと逃れていった
君も K君も Tさんも
廣島は一瞬にして消えたのだ
川は青く満々の潮をたたえて
岸の桜並木を映しているが
いま 橋桁に猿猴の姿はない
手あかに光っていた猿猴よ
お前も 五十年前のあの日
焼けただれて 自らの橋を渡って
どこへ消えていったのか
ネオンの灯の映える川底から
もう一度 そろりと甦って
若い男女の秘処をねらわないか
夏をめくると
海から 風が吹いてきた
青い水底で
少年はビー玉をひろう
陽光(ひ)にかざせば
遠くに エッフェル塔が見え
テームズ河が 流れる
風のなかにもぐり込むと
子どもらの合唱(うた)がきこえる
リトル・ボーイ
ボタンを押せば
金色の陽光(ひ)のなか
一瞬 合唱(うた)は消え
街は炎と燃え
人々は 透明になる
川底に光る ビー玉のなか
いつまでも十六歳の
僕の兄さん
聞こえますか
緑の風にのって
海の向こうから 愛の合唱(うた)
コバルト色の空と屋根 白い鳩
新しい いのちの夏
リトル・ボーイ=広島に投下された原子爆弾の呼称
(『御庄博実詩集』より)
白日の光の中に広がった闇
忘れられた歴史の時間を
それは音もなく歩き続けていた
君はすでに
闇の 死の足音が聞こえていたか
黒々と重なる
被爆という底なしの闇
君の肝臓に大小異形の巣窟を作る
李先生と僕と じっと見つめる
蛍光灯(シャーカステン)の光が CTフイルムの
いのちの紋様を
百彩に描き出している
そのなかに凝縮する闇の影
闇は闇を呼び
焼け焦げた残像をひろげている
あなたが聞いている足音
五十六年前の一瞬の閃光
悲劇は 昨日も 今日も 明日も
そ知らぬ顔をしてやってくる
あの日の記憶を
ともに持つ僕は
過ぎていく今日 明日を
ただ黙って見送るよりない
五十六年の焼け焦げた時間
異形の黒々とした闇は
白日のもとに引き出さねばならん
一人の死の重さが語られねばならん
さもなければ
やみはさらに勢いをひろげ
すべてを覆い尽くす日が来るであろう
運命は惨い手を休めることなく
大袈裟な身振りもなく
平然と
破局へすすんでゆくのか
君が歩いてきた道は
長い道であった
母の記憶の中に 無花果の畑があり
少年の思い出の中で 川が流れる
友と尽きることのない波間を泳ぐ
その日
一瞬の閃光が君をつつむ
君に 友に
ちちに ははに
すべていのちあるもの
すべてかたちあるもの
満満の慟哭を許さず
声もなく融け 流れる街
黒こげの腹をかえし
川面をうめる いのち
血膿したたらせ 水を求め
探す日影さえ融けた町
君は火炎を潜り抜け脱出した
見知らぬ祖国は
慶南 陜川(ハプチョン)
小さな屋根 温突の煙が
黙って並んでいた冬だ
伽_山系の
深い峠でへだてられていた
松の皮を剥ぎ 飢えをしのぐ
朝鮮戦争に 手をあげて従軍した
銀星花郎武功勲章を唯一の誇りという
砂金掘り
マッカリ職人
鶏(チキン)食堂
温突職人
雑貨商
歳月は風の記憶だ
君の喉頭に癌が爪を立て
つづいて胃袋に噛み付く
原爆放射線の後影響症
癌はすでに君の肝臓に暗黒の巣窟を作る
闇は足音もなく
青い閃光の跡を刻み続けていたのだ
白い墓標
白い風
君は一本の
石塔となっている