峠三吉の新発見の詩編(未発表)
心の園
夕月は み空に泛び
秋蝶 野をさまよひぬ
あはれわが妻は草にかくれ
冷き寝床に眠りぬ
よるべなふさまよふ蝶よ
何追ふとうなだれ飛べる
林に来よ 共に求めむ
此の宵に妻の覚むるを
汝よとはにわが心の園
黙すなと希ひ仰げば
雲にひろがるなれが笑まひ
山に昏れゆく 香りのしら花
花
花かげの 花かげの
いふに優しき 風のふところ
暖かな らかな 眼には尋め得ぬ まどろみ、
こねぶりて 睡り耽りて
あおあおと又あはあはと、ゆうぐれの匂いにする
花の思ひをされ亨けて 包まれた
気配の跼まり……
かなこころ……
宵闇の 息吹ごもりに
陽のうすれ 地を掠め、そこはかとそのにさし入れば
奇しく映らひ泛び出づるも
“こころ”にあらぬ 花莖の影、
影ゆれて ありとも知れぬ
ものうげの 睫毛のさきに
呼びかはす 山の端と 山の彼方と。
(一九・九・廿八)
* 「花陰」は、峠三吉全詩集『にんげんをかえせ』(風土社)に収録されている。
コラールのために
罪あるをみな許しつつ 土にものをば書き給ふ
主の静かなるみ姿の わりなくも胸を去らざる
わりなくも今日を去らざる
×
わだかまる雲の切間に わずか開く月の夜空
みぎはには星をちりばめ めくるめく底なき暗さ
ああそが深き渕は 君が御座か
ああそが深き渕は わがゆく国か
×
山の上なる巷のごとく 群れ瞬ける誘ひの灯よ
うしろに暗き夜空の闇に 主はわが罪を掲げ給へど
ああわれ弱し 吐息は怯えて戦くむねに涙満つる
×
み空の奥に遠ざかる 雲雀の唄に惹かれて
何時知らず我は君(主)とありき
其処は何もあらず
其処は総て満ち溢れゐき
×
ふとしも心惹かれ 光漲る野に出づれば
みどりさゆらぐ大地のむねは 息かぐはしく身を包み
春の声もて囁きぬ
「汝 われを愛するか?ー」
ああ否 にこやかに笑まはしつつ
輝く御顔ぞ求め給ふ
「汝 われを愛するか?ー」
×
壮麗なる星座はみづくろひして各々に光を整へ
小さき祈りの家 窓に灯をともす
ああ歓びの降誕祭の思ひ出よ
人の世の旅にわが老ふる日も
魂の窓に安らひの灯をともしませ
×
人目を避けて十字架の上より
降りまいらす主のしかばね
ゴルゴダの丘に夕べ迫りて風険し
共にかかりしわが罪の体
音も無く釘外されてわが上に落ちかかる
幻にしばしば覚むる夜ぞ暗し
ああ夜ぞ暗く悩まし
×
汝わだつみの嵐の如く吠え狂ひ
襲いくる龍巻のごと
友を呼び立ち上るとも
闇を穿ち蒼ざめたる海波の上に
落つる僅かの閃きにも耐え得ずして
醜くも照し出され崩折るる
おお 光り 光りよ!
栄光の 光りよ!!
雪崩
南の風のしめらひ深く
青き岸辺は夜のそよぎ
眠りもあへず鳥は羽ばたき
春の血汐は蘇りたれ
堅くむすべる雪嶺の胸も
つたふぬくみに溶けそめて
うましく過る汝が投影に
又堪へ難くおののきぬ
事と身を歪ぐ頂きの樹に
いまはの力つなぎつつ
雪崩るるわれは ああ雪崩るると
叫びし声も遅くして
雪崩れ果てたるわが胸ぬちに
汝が屍も埋もれぬ
崩れ果てたるわが胸ぬちに
汝が屍も埋もれぬ
梳雲
天と地を相ひ抱く
黄昏のとき
夕陽に浴みせる
裸形の雲ら
たゆたへる水に影して
豊かにも髪梳る
夜に迫る嵐との
婚筵のために
(参考)
☆「峠三吉の詩見つかる」(『朝日新聞』、2008年6月11日)
☆池田正彦「『原爆詩集』に至る叙情の源流」、「中国新聞」2008年6月4日。
☆「原爆詩人・峠三吉 未発表作4編発見 遺品のスケッチから」(『毎日新聞』、2008年5月30日)
☆「峠三吉の未発表詩見つかる 戦前の4編 優しい視線」(『中国新聞』、2008年5月31日)