栗原貞子 年譜

西暦(年号)

年齢

事    項

1913 (大 2 )

3月4日、広島市可部町字上町屋に農家の次女として生まれる。父は土居小六、母はタケヨ。

1926(大15 )

13歳

三入尋常高等小学校1年修了。廣島県立可部高等女学校入学。文学書を読み、詩、短歌を書き始める。

1930(昭 5 )

17歳

県立可部高等女学校卒業。歌誌「処女林」(のちに改題「真珠」)同人となる。

1931(昭 6 )

18歳

栗原唯一と結婚。

1941(昭 16)

28歳

短歌「人間の尊厳」、詩「手紙」、「再び太陽を」。

1942(昭 17)

29 歳

「黒い卵」「戦争に寄せる」「木の葉の小判」「戦争とは何か」

1943(昭 18)

30 歳

「新春に想う」「すべての戦線から」

1945(昭 20)

32歳

3月、広島市祇園町長束の現在地に居住。
8月6日、原爆投下(爆心より4km)。家の壁、戸、窓が爆風で飛び天井が下がる。夕方2人の子をリヤカーに乗せ6里の道程の可部町の実家に避難する。翌日長束に戻る。8月9日、隣家の女学生の遺体を引き取りに行く。短歌「原爆投下の日」19首、「悪夢」24首を書く。9月、唯一が二次原爆症に罹り、髪が抜け斑点が出て下血する。11月はじめ回復する。12月、細田民樹を顧問に中国文化連盟を結成する。

1946(昭 21)

33歳

3月「中国文化・原子爆弾特集号」を発刊。事後検閲で呉市吉浦の民間情報部に発行人の唯一が呼び出される。8月、中国文化連盟叢書詩歌集「黒い卵」刊行。検閲で詩3篇、短歌11首が削除される。

1948(昭 23)

35歳

7月「中国文化」終刊。11月「リベルテ」に改題、6号まで発行ののち廃刊。

1951(昭 26)

38歳

「旬刊廣島生活新聞」を唯一と2人で発行。

1955(昭 30)

42歳

唯一が広島県議会議員に当選。以後2回、計3回当選。

1959(昭 34)

46歳

詩集「私は廣島を証言する」を発行、第5回原水禁世界大会で配布する。

1960(昭 35)

47歳

正田篠枝、森滝しげ子、山口勇子らと「原水禁母の会」を発足。詩集「日本を流れる炎の河」を刊行、第6回原水禁世界大会で配布する。  

1961(昭 36)

48歳

「ひろしまの河」(原水爆禁止廣島母の会・刊)が創刊される。以後隔月で5号まで編集に当たる。

1962(昭 37)

49歳

「ヒロシマのうた」委員会を作り、大原三八雄、米田栄作、深川宗俊らと和英対訳詩集「The Songs of Hiroshima」を刊行。

1967(昭 42)

54歳

詩集「私は広島を証言する」第1刷、以後1968に第2刷、1971に第3刷を刊行。

1969(昭 44)

56歳

詩集「ヒロシマ」(刊行委員会・大原三八雄、米田栄作、深川宗俊ら)をつくり1万部を発行。

1970(昭 45)

57歳

「どきゅめんとヒロシマ24年 "現代の救済" 」を出版(新報社)

1974 (昭 49)

61歳

詩集「ヒロシマ・未来風景」(詩集刊行の会)

1975(昭 50)

62歳

「ヒロシマの原風景を抱いて」(未来社)

1976(昭 51)

63歳

詩集「ヒロシマというとき」(三一書房)

1978(昭 53)

65歳

エッセイ集「核、天皇、被爆者」(三一書房)

1979(昭 54)

66歳

詩集「未来はここから始まる」(詩集刊行の会)

1980(昭 55)

 

67歳

 

4月、英訳栗原貞子詩集「The Songs of Hiroshima」第1刷。以後2年間で第5刷。5月、ホノルルで開かれた「非核太平洋国際会議」に原水禁から出席、前夜祭で「生ましめんかな」を朗読。10月、唯一膵臓がんで死去。11月、「平和憲法の光をかかげて」の追悼集を刊行。

1982(昭 57)

69歳

詩集「核時代の童話」(詩集刊行の会)第1刷。同年第2刷。6月、ケルンで開かれた「インターリッツ国際文学者会議」に出席、「核時代の体験作家の苦悩」を講演。エッセイ集「核時代に生きる」(三一書房)

1984(昭 59)

71歳

日本現代詩文庫17「栗原貞子詩集」(土曜美術社)

1985(昭 60)

72歳

「反核詩画集ヒロシマ」(詩集刊行の会)

1986(昭 61)

73歳

「青い光が閃くその前に」(詩集刊行の会)

1988(昭 63)

75歳

「原爆・敗戦・占領」を掲載した「DAS ENDE」(ケルン市の出版社)の日本語版(好村冨士彦・訳)が「戦争は終った」と題して出版(ほるぷ社)される。

1989(平 元)

76歳

「生ましめんかな」の詩碑が白島町の中国郵政局の庭に建立される。

 

1990(平 2)

77歳

詩集「核なき明日への祈りを込めて」(詩集刊行の会)。第3回「谷本清平和賞」を受賞。

1991(平 3)

78歳

エッセイ「問われるヒロシマ」(三一書房)

1993(平 5)

80歳

「黒い卵」が英訳出版。検閲で削除された文章が表紙になる。 10月、横断歩道を歩行中飛び出したバイクに飛ばされ骨盤骨折し、以来ひとりでの歩行が困難となった。

1997(平 9)

84歳

詩集「忘れじのヒロシマわが悼みうた」(詩集刊行の会)

2001(平 13)

88歳

3月、米寿を祝う。