|
西暦(年号)
|
年齢 |
事 項 |
|
1905(明 38) |
|
11月15日、広島市幟町で、父・原信吉、母・ムメの五男として生まれる。家業は陸海軍・官庁御用達。 |
|
1918(大 7) |
13歳 |
県立廣島師範学校付属小学校尋常科を卒業。同付属中学校入試に失敗、同付属小学校高等科に入学。6月24日、次姉ツル死亡。 |
|
1919(大 8) |
14歳 |
同上付属中学校に入学し、国語・作文を得意とする。 |
|
1923(大 12) |
18歳 |
同上付属中学校を卒業。大学予科の受験資格が与えられたため、この1年登校せず、19世紀ロシア文学(ドストエフスキー、ゴーゴリ、チエーホフ)を愛読し、宇野浩二に傾倒。この頃より詩作を始め、室生犀星、ヴェルレーヌなどの詩を愛読。 |
|
1924(大 13) |
19歳 |
熊平武二らと同人雑誌「少年詩人」を発行。4月、慶応義塾大学文学部予科に入学、蕪村を出発点として俳句を始める。 |
|
1925(大 14) |
20歳 |
ダダイズム風の雑文を書く。友人たちと詩の同人雑誌を発行。この頃から短編小説を書き始める。左翼運動への関心を深める。 |
|
1929(昭 4) |
24歳 |
慶應義塾大学文学部英文科に進む。日本赤色救援会に参加するが、次第に左翼運動から離れる。 |
|
1932(昭 7) |
27歳 |
同大英文科を卒業。酒、女に傾く。初夏、同棲した女に裏切られて薬の自殺未遂。 |
|
1933(昭 8) |
28歳 |
3月、永井貞恵と結婚、同人雑誌「ヘリコーン」に短編小説を掲載。 |
|
1934(昭 9) |
29歳 |
深夜に及ぶ執筆活動を疑われ、妻と共に検挙され、2日後解放された。初夏、千葉市へ転居。小説家として静かな生活を送る。 |
|
1935(昭 10) |
30歳 |
本格的デビューであるコント集『焔』を自費出版。その頃から俳句の発表を始め、以後数年間続ける。また、短編小説を書き、数年間さまざまな文芸雑誌に投稿する。これらの作品は戦後『死と夢』『幼年画』に収められる。 |
|
1939(昭 14) |
34歳 |
妻貞恵初発病し、これ以後作品の発表次第に減る。 |
|
1942(昭 17) |
37歳 |
千葉県立舟橋中学校に英語教師として週3回勤務。 |
|
1944(昭 19) |
39歳 |
中学校を退職し、夏頃より朝日映画嘱託となる。9月、妻貞恵糖尿病と肺結核で死去。 |
|
1945(昭 20) |
40歳 |
故郷広島に住む兄のもとに疎開。8月6日、原爆被災。市内北東部にある東照宮で2日を過ごした後、親戚 と共に広島郊外八幡村に移る。以後原爆症とはいえないが、健康がすぐれない時が多くなる。この年のうちに『夏の花』を書き上げる。『近代文学』の創刊号に発表する予定だったが、GHQの検閲を考慮してひかえる。 |
|
1946(昭 21) |
41歳 |
上京する。3月『忘れがたみ』(三田文学)。9月『冬日記』(文明)。10月より『三田文学』の編集にたずさわる。 |
|
1947(昭 22) |
42歳 |
6月『夏の花』(三田文学)の世評が高い。11月『廃墟から』(三田文学)。12月『雲の裂け目』(高原)。『氷花』(文学会議) |
|
1948(昭 23) |
43歳 |
6月『近代文学』同人となる。7月『愛について』(三田文学)。9月『戦争について』(三田文学)。10月『火の種』(近代文学)。12月『夏の花』で第1回水上滝太郎賞を受賞。 |
|
1949(昭 24) |
44歳 |
1月『壊滅の序曲』(近代文学)。『魔のひととき』(群像)。2月、小説集『夏の花』(能楽書林)を刊行。4月『死と愛と孤独』(群像)。8月『鎮魂歌』(群像)。10月『長崎の鐘』(近代文学)。 |
|
1950(昭 25) |
45歳 |
3月『魔のひととき』(三田文学)。4月、日本ペンクラブ廣島の会主催の平和講演会に参加のため帰郷。4月『美しき死の岸に』(群像)。8月『原爆小景』(三田文学特別 号)。 |
|
1951(昭 26) |
46歳 |
2月『遥かな旅』(女性改造)。3月13日、中央線吉祥寺・ 西荻窪間の鉄路に身を横たえ自殺を遂げた。
|
|
1953(昭 28) |
47歳 |
『原民喜作品集 全2巻』の初版。 |