峠三吉没後50年記念にあたって

「峠三吉没後50年の会実行委員会」共同代表、「広島に文学館を!市民の会」代表

水島裕雅


 峠三吉が亡くなって50年が経とうとしています。50年というのは短い時間ではなく、その間、確かにいろいろな発明が成されました。たとえば、科学技術が発達し、コンピュータや車が普及し、また人間の遺伝子の組成(人ゲノム)も解明される時代になりました。しかし、その一方で、人種や国家や宗教あるいは文明の対立などは解決できず、核の問題ひとつ取ってみても、峠三吉の亡くなった1953年からどれだけ人類は進歩したか、疑問を持たざるを得ません。

 ところで、峠三吉が『原爆詩集』を孔版(謄写版)印刷したのは1951年9月12日で、発行したのは9月20日であります。この年の6月に朝鮮戦争の休戦交渉は始まりますが、まだ戦争状態は続いており、また対日平和条約(サンフランシスコ講和条約)が9月に調印されますが、翌年4月の発効までは依然として占領軍のプレスコード下にあった日本で『原爆詩集』と題した詩集をガリ版刷りででも発行するというのは並々ならぬ勇気が必要なことです。私はこの孔版印刷の小さな詩集を手にするたびに、人間ひとりの勇気がどんなに広島や日本にばかりでなく、人類全体に大きな勇気を与えたか、また与えつづけていることかと思います。私たち「広島に文学館を!市民の会」はこうした広島の作家たちの足跡を辿れることのできる文学館を広島の地に是非作ってほしいと運動しています。

 峠三吉没後50年、そしてこの詩碑「ちちをかえせ ははをかえせ」建立40年のこの年に、そしてふたたび戦争の足音が大きく近づいてきているこの年に、峠三吉の足跡を偲び、彼の勇気を思い起こし、ふたたび原爆や戦争の惨禍が人類の上に起こることのないことを祈り、またいかなる武力行使をも認めない世界を築くために、私たちは集いたいと思います。

                                 2003年3月9日