イラク戦争と大田洋子の「魂」

安藤 欣賢 


 アフガニスタン攻撃からイラク戦争へとなだれ込む「平和のための戦争」という暴力は、不完全であるとはいえ、これまで人類が築いてきた秩序のルールを無残にも打ち砕いた。「米英の選択は正しかった」とする一部新聞の社説に、日本の今の危うさを感じる。

 不戦論や平和外交論を「観念的平和主義」としてひとくくりにし、排斥する「現実主義者」たちの台頭に、平和を構築しようとする「理念」が吹き消されてはならない。国連無力論を唱え、自国防衛論を勇ましく合唱しながら、結局、米国の一国主義に従属しているだけの「現実主義」ではないのか。

 ブッシュ政権になって、米国の核兵器見直し論が度々マスコミを通じて流れてくる。広島型原爆の威力の三分の一程度の小型核兵器開発が盛んに取りざたされる。命中精度の高いミサイルで極めて副次被害の少ない兵器なら、現実の作戦に使える―との思惑が、タカ派のシビリアンの間から高まっているという。例えば、地中深く潜った敵を、核を搭載したバンカーバスターミサイルでやっつけたいのである。

 日本の「現実主義者」たちは、こうした核も米が使う限り容認するのだろうか。

 危うい将来への不安、目前の暴力への無力感―そんないたたまれない気持ちを四十年前に実感した作家がいた。被爆作家の大田洋子である。昭和二十五年に朝鮮戦争がぼっ発し、二十六年三月には被爆作家・原民喜が鉄道自殺した。そうした時期に大田洋子への評論家の批判、非難は強かった。「私の作品に対して『広島もの』と評したり、『原爆もの』と言ったり、『自分が書かずんばという風に気負いこんで書いている』と批評しています。こうした批評を私は困ったインテリだと思う」(『作家の態度』)と書く。

 そうしたストレスから「自殺を考える」ようになった大田は、昭和二十七年七月末から九月にかけて不安神経症で入院する。その時の経験から小説『半人間』が生まれた。

 治療法としての持続睡眠中の大田に医師が尋ねる。「原子爆弾におあいになったんですね。その記憶にくるしめられていらっしゃいますか」。意識と無意識の境界にあるような状態で大田は答える。「戦後七年間、拷問されている思いです。自殺か逃避か、いい作品を書いて生きるか、三つのなかの一つだと、戦後はずっとそう思っていました」。

 この医師との問答の中で「うごかしがたい魂の存在」について大田が触れている。逃亡すれば書きたいものは書ける、と思っているのに「それのできない別の絶対的な精神が巣食っていた。日本をはなれ去ることのできない、うごかしがたい魂の存在だった。篤子は自分の魂の問題を、完全に医師につたえることは不可能だと思った。篤子は眠りに落ちようとしていた」というものである。この「魂」とはいったい何なのか。

 その続きで医師に「あなたは完全なものを希む気質の方だと思います」と言われ、「完全を望むから絶望と怒りにさいなまれているのだ。ひざまずかないで起っていようとしているのだ」と、心の中で反論している。 

 この「ひざまずかないで起っていようとしている」ものが大田の言う「魂」であろう。

 現代はこの魂がやせ細って、無力になった時代である。理想を見失い、理想を求めて困難を克服する力の衰えた時代である。 

 日本人の悪い癖は、もつれた糸はすぐに黄門様にお願いしてぶった切ろうとすることにある。自分でもつれた糸の一本、一本を解きほぐす根気がなかなか続かないのである。そして、時の形勢にすぐに流されようとする。

 昔から戦争はマスコミが伸びる大きな要因となってきた。西南戦争でも日清戦争でも日露戦争でも一緒である。戦争報道で新聞や雑誌は飛躍的に部数を増やしてきた。それは戦争反対の論調でも、擁護の論調でもなく、戦場から生まれる英雄談であり、美談である。それらは決して戦争のリアリティーではない。戦意高揚を図る、つまり血湧き、肉躍る話が受けるのである。

 今回のイラク戦争では、もっぱらその役はテレビが果たした。砲弾やミサイルが飛び交う美しい光のショーとして戦争が映像化される。解説は戦争の技術論であり、兵器の性能、兵士の英気、戦略が、分かりやすく立体地図の上に描かれた。尊厳を持った一人の人間はどこにも描かれなかった。そして「米英の選択は正しかった」となる。

 本当にいいのか。私たちは大田の言う「ひざまずかない魂」を自分の内に感じ、育てて、ずるずると状況に引きずられる「現実主義」と、違う視点に立つ理念で戦わなければならない。大田の文学はあらためて、そんな魂のことを教えてくれる。それは原民喜の作品にも言えることである。 (広島花幻忌の会代表)


広島花幻忌の会『雲雀』第3号、2003年、pp.1-2。