広島市生まれの社会学者・佐藤俊樹東大助教授(1963― )が出版した『00年代の格差ゲーム』(02年)に、広島での平和教育のステレオタイプ化した様子が描かれている。この著者をインタビューした記事「この人この本」では、本全体のことより平和教育への著者の思いに重点が置かれたことが明白だ。本人の表現と記者の文とが入り混じった感じでこんな文章が並ぶ。「広島=原爆という図式の中で、戦争につながるものは全部ダメという『絶対的な正義』に、子供のころから息苦しい思いをしてきた心情を率直につづった。…自分たちに向けられた憎しみに目を向けない米国と、米国への憎しみを認めない日本の自己欺まんを指摘した論稿だ」「絶対的正義にその他の正義は見えない。憎しみを見ない目に自分と違う意志、違う正気は映らない。どちらも他者がいないのだ」…。いかにも論理的な思考のようだが、武力先制攻撃を容認する正義とそれを否定する正義をいっしょくたにする論議には論理性はうかがえない。極めて感情的で文学的な表現である。
昨年9月27日に広島市で開かれた九州の「原爆文学研究会」と「広島に文学館を!市民の会」、「広島花幻忌の会」の3者合同研究会で、広島大教育学部卒の川口隆行氏(東海大・台湾)が発表した「被害と加害のディスクール」にも、佐藤氏と共通する「ヒロシマ批判」を感じる。それは彼が引用する言葉に感じられる。「アメリカを不在にしたまま…原爆物語が編成されていることは、やはり倒錯的」(花田俊典)「ともに死者を『清い』、無垢な存在として祀ろうとしている点、平和公園と靖国神社は相似なのである」(加藤典洋)―これらは上記の佐藤氏の言説につながっている。
そして、最後に漫画家・小林よしのり氏の日本の先の大戦は正当だったと主張する漫画を取り上げ、原爆文学を生んだものがここで「利用」されている、と川口氏は強調する。しかし、被爆による国民の被害者意識が利用された、と主張するのなら分からないでもないが、漫画と原爆文学との因果を主張するには根拠不足であろう。わざと漫画のマイナスイメージを原爆文学にダブらせた意図的な表現のマジックに思える。(後に広島文学館のホームページで川口氏の論文を見ると「『原爆文学研究』という枠組みすら、いつかは壊れてしまう、壊してしまうかもしれない…その崩壊の瞬間にまで立ち会おうと一応は覚悟」していると書いている。自分の研究対象を破壊しようとする研究とは一体何なのか。対象に好意を抱けない研究なら、堂々と「アンチ原爆文学研究」と看板を架け替えて出直すべきではなかろうか、との疑問を感じる)。ただ、批判の中にはきちんと受け止めるべきものもあると思います。それらにこたえるのが今後の広島文学館の役目だと思います。
上記のお二人に、私は@戦争体験と無縁の世代の「見たもんじゃないと分からん」との反応へのいらだちA広島のステレオタイプな平和教育の問題点B論理を装った非論理的、感情的言説への若い人々の傾斜C理想を見失った世代、あるいは希望をもてない世代の姿―などを見てしまいます。しかし、理想や理念を持たずに何で世界や社会が変えられると思っておられるのだろう。「絶対」などと分かったような言葉を弄さずに、きちんと理想に近づくための道筋を論議していく必要があるでしょう。
<古い博物館的イメージから新しい文学館イメージへ>
文学館がこれから活力を持って生きていくためには、古い博物館的イメージを一新する必要があります。
@ 過去の遺産――>現在性・未来性
吉備路文学館は現存作家の個人展として、44歳の作家・原田宗典氏の全面協力で「我輩ハ作家デアル」を開いた。兵庫のバーチャル文学館(ネットミュージアム兵庫文学館)では活躍中の作家のインタビューを録音、音の展示をしている。これが後に歴史的データになるのは間違いない。
A 保存・固定――>変わる・成長する
94年にオープンした山口市の中原中也記念館は、10年後に3億円を掛けて全面リニューアル工事をした。成長や変化をあらかじめ考えた文学館が望まれる。
B 教科書的 ――>雑誌的・ジャーナル的
ふくやま文学館で昨年開かれたテーマ展示「井伏文学の笑い」のシンポでは、井伏の唐詩の翻訳について、江戸時代のタネ本があったことが報告された。ただ、彼一流の翻訳詩ももちろんあった。こうした新しい話題に敏感でないと、新しい顧客やリピーターは増えない。
C 経費難 ――>アウト・ソーシング
年間の運営費はばかにならない。今後の館運営はできるだけ常勤スタッフは少なく、外部のプロジェクトに外注する方策を考えるべきだろう。
D 触れない ――>読める・触れる
作品の最も魅力的な文章ぐらい、大きなパネルにして読めるようにしたい。ガラスケースの中の「本の表紙」展示では情けない。
E 受け身 ――>動く・攻める
文学関係者が亡くなられた時、待つのではなく、積極的に遺族に働きかけて、残された資料の整理にあたるスタッフを外部に持つようにしたい。
<聖地にしない>
「『ヒロシマの心』だけが戦争の歴史を、いやあらゆる歴史をも超越して宗教の高みにのぼってしまった」(イアン・ブルマ「戦争の記憶」)。こうした受け止め方が、広島の外部には存在する。それは一番最初に触れた若い学者の受け止め方と共通する部分を持つ。批判を批判として受け止め、謙虚に考える姿勢を忘れてはならない。
<歴史の軸を見失うな>
上記のことは、歴史の軸に無関心なことからも生じる。広島の文学が江戸時代はもとより、戦前の鈴木三重吉や大木惇夫らの活動もあって存在していることを、無視することは、文学を見る目を歪める可能性がある。それは戦前の地域社会をきっちり押えておくことでもある。それがあって初めて文学館像が見えてくるだろう。