再発見!歴史と文化の分厚い集積

「電車でめぐるヒロシマ散歩」試乗報告

広島花幻忌の会事務局海老根勲


 ちょっと“手前ミソ”のような見出しになりましたが、試乗会に参加してみて、改めて「廣島・広島・ヒロシマ」という近代史の重なりを実感しました。

 4月15日(日)に開催される「電車でめぐるヒロシマ散歩」(「広島に文学館を!市民の会」主催)を前に一度、コースの下見をしよう、ということになりました。試乗会は2月27日。「ヒロシマ散歩」の著者・植野浩さん、絵はがき「広島文学散歩」の作者・西田勝彦さん、「市民の会」事務局の池田正彦さん、私の4人で巡りました。広島駅前から比治山線で宇品へ、そして千田町→紙屋町→八丁堀を経由して広島駅前に戻る当日のコースを忠実にたどってみました。

 電車がスタートしてすぐに猿猴橋、京橋が見えます。広島の川に架かる数多くの橋の中で、被爆以前の姿をとどめる2橋です。

「戦時中には橋にあった銅製の飾りまで供出されたんですよ」

「そうなんですかぁ。最近はあちこちでスチール盗まれる被害が多発しているけれど、当時は国家権力による強奪行為だからねえ。ひどい話だ」

 そんな調子でスタートしたのです。比治山は頼山陽や正岡子規にゆかりの地であり、車窓から見える文徳殿の九輪塔は被爆の痕跡が刻まれています。京橋川の対岸は峠三吉が住んでいた昭和町の平和アパートです。まさに「河のある風景」ですね。

 皆実町から宇品の通りに入れば、かつての被服廠や糧秣廠など旧第5師団の関連施設が点在します。車窓からは見えませんが、峠三吉「原爆詩集」にある「倉庫の記録」「假繃帯所にて」などに詳述されています。竹西寛子さんの「兵隊宿」もまた、日清戦争以後の宇品の家々が舞台です。多くの兵たちはそれぞれの家に2、3日民宿し、宇品の軍港から中国大陸に出征していったのです。その一人でもあった歌人近藤芳美の歌碑も建っています。

 復路では、元中国新聞カメラマン松重美人さんが8月6日の「人間的悲惨」を活写した御幸橋を渡ります。千田町付近で栗原貞子さんの傑作 「生ましめんかな」の舞台、広島貯金局跡(今はマンションですが)を眺めながら本通りから紙屋町へ。家電量販店デオデオ本店は、「赤い鳥」創刊で知られる鈴木三重吉生誕の地です。「赤い鳥」に参加した北原白秋がなぜ鈴木と袂を分ったか、意外なエピソードも“本番”では聞けるらしいです。

 さらに八丁堀福屋は「原爆詩集」の「一九五〇年の八月六日」に登場しています。その日、峠らはなぜ、平和集会やビラまきをゲリラ的に行わなければならなかったのか、といった現代史の暗部にも話は及ぶでしょう。ぐるりと巡ってみると、この街に積み重なった近現代史の一こまひとこまが今日の状況と色濃く通じ合っていることに気づきます。ぜひ、周辺の若い世代を誘ってください。そして、この「ヒロシマ散歩」を契機として、次には友人知人ら小人数で途中下車しながら、じっくりと歩くことをお勧めします。