第1回「ひろしま文学散歩」(2006年5月21日)

五月晴れの下、ゆったりと

 「文学散歩の会」に60人集う


 走り梅雨を思わせる長雨続きで当日のお天気を案じていたのだけれど、幸いにも久しぶりの五月晴れに恵まれて、21日(日)の「第1回文学散歩の会−原民喜『夏の花』の足跡をたどる」は60人を越える参加者を得て、京橋川河畔から縮景園への道筋を、ゆったりと、かつ和やかにたどることができました。

 集合場所の世界平和記念聖堂は先ごろ、国の重要文化財に指定が決まったばかり。結婚式もあって華やかでした。そしてこのあたりは、民喜も被爆した、かつての原家があったところです。民喜の甥・原時彦さんの案内で、聖堂の東側、路地を挟んでエリザベト音楽大学と向き合うマンションの前で、民喜らが暮らしていた当時のたたずまいなどをしのびました。

 中区橋本町の京橋川河畔は、被爆当時まで民喜名義の屋敷があり、被爆したヤナギは今も勢いよく枝葉を茂らせています。時彦さんは、皆実高校の生徒たちと寸劇を交えながら、少年時代にヤナギにロープをかけて川に飛び込んで遊んだこと、両親らが被爆して逃げるとき、岸辺で息絶えた無数の人たちを踏み越えて避難していったことなどを克明に語りました。生徒たちも「原爆小景」や「心願の国」などを朗読し、参加者一同も彼女らに合わせて「永遠のみどり」をそれぞれのスタイルで朗読しました。ヤナギをなでて薫風がそよぎ、詩のコーラスが川面に広がっていきました。

 縮景園でも、民喜が残した「原爆被災時の手帳」(ホームページ「広島文学館」に掲載)と「夏の花」を会員が随所で朗読紹介し、文学が伝える「原爆の悲惨」を語り合いました。

 この日はピーク時には60人を越える参加者がいましたが、花幻忌の会、市民の会の会員以外の方が多く、原爆文学の持つ訴求力、あるいは原爆文学が内包する「言葉の力」といったものを再確認する機会にもなりました。

 6月18日(日)には、第2回として大田洋子の「屍の街」をたどる予定です。「夏の花」と並んで原爆文学の双璧を成す作品と、私たちは位置づけています。みなさん、まクチコミで宣伝していただき、誘い合わせて参加してください。 (広島花幻忌の会事務局・海老根勲)