「自遊人」掌論

第11話 私もしたい?たる募金

海老根 勲


 今では伝説となったカープ草創期の「たる募金」が、平成の危機を受けてよみがえった。ふだんはT縄張り意識Uの強い新聞・放送各社が横一線に並んで、広島市民球場再建を呼びかける。毎年の原爆報道でさえ共同のキャンペーンを張ることなど考えられないのに、広島カープの存在は、それほどまでに市民の間に深い愛着を与えている証左でもある。地域社会とスポーツ文化を考える時、カープと市民球場、そして広島市民・県民の感情は、まさに不可分の関係にあることを物語っている。

 この数年間、市民球場の改築問題はだれがイニシャティヴを取るのかはっきりしないまま、議論だけが先行してきた。加えて球団合併、一リーグ制移行などの再編論争に揺れ続けてきた。そうした中での「たる募金」は、地域の共有財産が方向性を見出せない状況に、ある種の希望を投げかけた。

 しかし、財政問題はだれも言い出さない中で、初めての具体的な資金集めが「たる募金」というのでは、先行きどうなるのか、不安も感じる。果たして「塵も積もれば山となる」か。カープ貯金を始めた野球少年の夢を新聞で読みながら、マスコミ各社は何とも大きな責任も背負うことになった。伝説の風景が二十一世紀の創造性に火を付けるそれ自体は、実に楽しいイベントなのだけれどーー。

 市民球場の話は、貨物ヤード跡地がだめになった時点で、併せて立ち消えになったとばかり思っていた。だから、広島商工会議所が秋葉市長に現在地での建て替えを申し入れて動き出したことも、正直のところ、びっくりした。

 「広島の経済界もやる時は腹くくってやるんじゃのう」「資金はどのくらい用意するつもりかな。市の財政は火の車ってことは分かった上で言ってるんじゃろ。それが見えたら、わしらもカンパしようじゃない」

 私の独り言ではない。晩秋の一夜、「ヒロシマの文学」を語り合う場での、いわば前座。雑談で交わされたやりとりなのだった。「まぁねえ、既に伝説、手法としては古典的だし、〈単にこの町に住んでいるだけ〉の広島市民の方が私も含めて圧倒的に多いわけで、僕はたる募金といってもコイン一枚入れるつもりはないよ」。そんな声もこのごろ聞えてくる。

 こういう話題については、私はシロウトだけれど、それでもシーズン中に二、三度は応援に足を運ぶ。お寒い限りのスタンド風景にも出合った。建て替えは時代の要請かな、と実感している。とはいえ、現在地でグラウンドを広げ、客席数も減らさずに建て替えるのは至難の業ではないか。商工会議所ビルをはじめ、球場間近にいろんな建造物が迫っている。広島のキャパシティーとどの程度釣り合いをとるか、スタンドの広さを検討する際には大胆に試算すべき問題と思う。「仙台はがんばる。広島はどうする。」新聞の一ページ広告のキャッチフレーズはそのまま、メディアも財界も市当局も、自らを鞭打つ言葉として心に刻むべきものである。

 などと書きながら、この街の「文化運動」を仕掛けている立場からは、野球場にばかり議論が向かっているのは、心穏やかではない。とりわけ「被爆六〇周年」のこの一年、国際平和文化都市のあり方をめぐって、市と市民の議論が活発になって当然だ。一つや二つ、具体的に動き出す施策があっていいはずである。

 実は十一月初め、「広島に文学館を!市民の会」に誘われて、平和記念公園内のレストハウスを視察する機会を得た。市経済局観光課、市民局スポーツ文化課の担当者が同席した。レストハウスは被爆建造物ではあるが、平和公園のあり方を考え直す検討委員会の対象には含まれていない、という奇妙な現実もある。老朽化が激しく、撤去、再建問題が何度か浮上したが、原爆ドームの世界遺産指定もあって、現在は議論そのものが凍結状態となっている。同市民の会は@被爆の痕跡を残しつつ、かつての「大正屋呉服店」を復元A文字通りのレストハウス、平和発信のための郵便局併設Bその一角に文学資料室を設けるーなどの複合施設を提案している。「爆心の街」の復元模型を置ければいっそう充実する、とのアイデアまで示している。

 痛みは相当に激しい。しっくいが剥がれ落ち、穴が開きそうな壁さえある。現在は観光コンベンションビューロー(かつての観光協会)の事務所に使われているが、消防からは「危険建造物」とされているという。大きな地震がくれば倒壊は免れず、働いている人たちや観光客の生存権にも関わる。ある意味では人権無視の建造物が平和公園内で利用され続けているという、まったく驚くべき実態であった。秋葉市長の言う「千客万来、ホスピタリティーの精神」は、この施設を見る限り、まったく見当たらない。

 視察のおり、「文学は有力な観光資源なのですよ」という話をした。金子みすず、中原中也しかり。私は平和学習のお手伝いで原爆ドームや原民喜の詩碑を案内する度に、相生橋たもとにある鈴木三重吉の碑も案内する。彼が創設した「赤い鳥」は、近代児童文学と社会教育にどれほど寄与したことか計り知れないものがある。ゴーリキーやチェーホフの作品を日本で初めて舞台化した劇作家・小山内薫も広島市の出身。しかし、残念ながら鈴木三重吉の記念碑の存在も、小山内生誕の地であることも、市職員たちは知らなかった。

 〇四年の「平和宣言」に、次のような一節があった。冒頭、五十九年の歳月を経て似島で発掘された原爆犠牲者の遺骨に触れた後、「残念なことに、人間は未だその惨状を忠実に記述するだけの語彙を持たず、その空白を埋めるべき想像力に欠けています――」

 そりゃあないよ秋葉市長、とその場で聞き耳立てていた私は、思わずつぶやいた。「平和宣言」の、この文学的文脈を裏付けるのは秋葉市長、まさに文学の仕事であり、文学館の仕事ではないのですか。

 六〇年代からの広島の住人である私は新聞社を辞してから、原民喜や峠三吉らの作品を通して中、高校生たちに「ヒロシマ」を伝える努力を重ねてきた。例えば民喜の詩「家なき子のクリスマス」は、まさにテレビから流れるイラクの現状に通じるものがある。

 「語り部」の証言を物語りとしか受け止めなかった若者たちが、「夏の花」の朗読に粛然となり、改めて慰霊碑に黙とうを捧げる姿を市長は知っていますか。人間の記憶は風化するけれど文学は決して風化しません。想像力を喚起し、平和の創造に欠かせない役割が備わっていることを、あえて申し上げたいと思います。

 さりながら…「たる募金」はやっぱり野球だから似合うわけで、対象が文学館ではサマになりませんかねぇ。(原民喜・広島花幻忌の会事務局長、元中国新聞記者)


『ビジネス界』(2005年1月号)