『倉橋島』をめぐって

藤本 仁


(要旨)先日、NHKのテレビで井上ひさし氏が被爆者の手記や記録の中から選んだ「言葉」をていねいに手帳に書きとめているところを紹介していた。一字、一句を疎かにせず太いペンで被爆者の「言葉」を転写する姿勢は敬虔な修業者を思わせたが、いま「文学」の名に値する「原爆作品」を創作しようとすれば、どうしても手記や記録から「言葉」を「頂かなければならない」ということなのだろう。朗読してもらえるというので、『倉橋島』を読んでみた。30年ぶりだったからヒトの作品のようだった。事実そのままを書いてはいない。細部の記憶を生かして、意図的に複雑にしたストオリーを作り上げている。

 読むうち、ここのところ、書いておいて良かったと思う箇所がいくつか、あった。一つは、広島の市電の中で被爆したおじが大八車に載せられて帰ってくる、離れに寝させられたおじを私は、頼まれて小便に連れていく。そこのところの描写。また、その夜、おじは息を引き取るが、見とったおばの第一声が、「畳の上で死なせてもらって、なんと幸せなことでしたのう」という静かな言葉であったこと。この言葉は十五歳の私にはじつに意外に思えたから覚えていたし、書き留めてもいた。

 このような情景や台詞はいまとなってはもう思い出せない。書く必要を感じないかもしれない。書くとなれば、「その死を嘆き、哀しんだ」というようなありふれた説明ですますか、哀しみを過度に誇張して書き、流布概念に迎合するような概念的作品にするしかないかもしれない。書けるときに書いておいてよかったと思う。当時、私は『歯車』同人の末席に連なっていて、この作品は、1969年12月発行の『歯車』(十八号)に掲載された。この度、自作を語ることになって、主宰の松本寛氏を始め諸兄がよく説いていた、『ヒロシマを考えることは、日本を考えること』という言葉を思い出した。


講師・作家紹介1930(昭和5)年生れ。東京都出身。法政大学日本文学科卒。動員先の工場で被爆。同人誌『歯車』に発表の作品多し。同人誌『湾』主宰。NHK広島文化センター講師。著書『長閑なバスの中』1982、冬夏書房;『鴎とかんざし』1987、九嶺書房。