峠三吉との出合い(峠・32歳、御庄・24歳)
1949年(S24)春 喫茶店「ムシカ」で、詩誌『地核』を読む。
峠は広島県詩人協会事務局長兼『地核』編集長。
『地核』はその年の8号(7月発行?)で終刊となっている。
(この年の春、峠三吉は日本共産党へ入党申し込みを行っている。つづいて7月新日本文学会に入会。)
日鋼争議、1949年6月15日〜
全国的な労働運動の高まり、と朗読詩『怒りの歌』。
--若い労働者の詩人たちを知る(増岡敏和、且原純夫など)--
10月「われらの詩の会」結成。
。 11月『われらの詩』創刊
「われらの詩」の組織を強化、拡大するために、「会」を支部組織に再編成することを決定。御庄博実も国立岩国病院詩人クラブを「われらの詩の会」岩国病院支部に編成替え(1950年2月)。 『われらの詩』3号
「 50・6・6 日本共産党中央委員24名公職追放。
50・6・25 朝鮮戦争はじまる。
50・7 レッドパージはじまる(公務員・新聞協会など)。
」 朝鮮戦争ますます激しい。
50・11・30 トルーマン大統領が朝鮮戦争で原爆使用もありうると発言。
基地岩国(アメリカ海兵隊・航空基地)より、連日朝鮮半島へ爆撃機が出撃する。
詩「失われた腕に」(国立病院患者自治会報) 御庄博実
・・・・・
おい
そんなに蒼ざめた目玉をして飛び回るな
飛行機虫
今に この鉄の腕で
叩き落としてくれるぞ!
政令325号違反(占領軍行為阻害令)容疑で逮捕。
「映像」・・・イラクに向けて連日アメリカの爆撃が続いていた。
両腕を失ったアリ・アッバス君(10歳)が「僕の両腕を返してほしい、僕は働きたいのだ。もし腕が返らないなら、死なしてほしい」と。
峠三吉が50年前、詩わなければならなかった風景が重なって見える。
、 51年・原爆詩集発刊を決意。
坪井繁治、河出出版などへ持ち込むが、断られる。
9月20日、自費出版『原爆詩集』孔版刷り。
・ 53年、叙事詩「ヒロシマ」を書くために、健康な体力がほしいと肺切除手術を受けることを決意、国立広島療養所で手術中死亡・3月10日(36歳)