ギャラリートーク(2003年4月26日)

峠三吉とその時代

御庄博実


 峠三吉との出合い(峠・32歳、御庄・24歳)

 1949年(S24)春 喫茶店「ムシカ」で、詩誌『地核』を読む。

 峠は広島県詩人協会事務局長兼『地核』編集長。

 『地核』はその年の8号(7月発行?)で終刊となっている。

(この年の春、峠三吉は日本共産党へ入党申し込みを行っている。つづいて7月新日本文学会に入会。)

 日鋼争議、1949年6月15日〜

 全国的な労働運動の高まり、と朗読詩『怒りの歌』。

 --若い労働者の詩人たちを知る(増岡敏和、且原純夫など)--

 10月「われらの詩の会」結成。

 11月『われらの詩』創刊

 「われらの詩」の組織を強化拡大するために、「会」を支部組織に再編成することを決定。御庄博実も国立岩国病院詩人クラブを「われらの詩の会」岩国病院支部に編成替え(1950年2月)。 『われらの詩』3号 

 50・6・6 日本共産党中央委員24名公職追放。

  50・6・25 朝鮮戦争はじまる。

  50・7   レッドパージはじまる(公務員・新聞協会など)。

 朝鮮戦争ますます激しい。

  50・11・30 トルーマン大統領が朝鮮戦争で原爆使用もありうると発言。

  基地岩国(アメリカ海兵隊・航空基地)より、連日朝鮮半島へ爆撃機が出撃する。

 

  詩「失われた腕に」(国立病院患者自治会報) 御庄博実

  ・・・・・

  おい

  そんなに蒼ざめた目玉をして飛び回るな

  飛行機虫

  今に この鉄の腕で

  叩き落としてくれるぞ!

 

 政令325号違反(占領軍行為阻害令)容疑で逮捕。

 「映像」・・・イラクに向けて連日アメリカの爆撃が続いていた。

 両腕を失ったアリ・アッバス君(10歳)が「僕の両腕を返してほしい、僕は働きたいのだ。もし腕が返らないなら、死なしてほしい」と。

 峠三吉が50年前、詩わなければならなかった風景が重なって見える。

 51年・原爆詩集発刊を決意。

 坪井繁治、河出出版などへ持ち込むが、断られる。

 9月20日、自費出版『原爆詩集』孔版刷り。

 53年、叙事詩「ヒロシマ」を書くために、健康な体力がほしいと肺切除手術を受けることを決意、国立広島療養所で手術中死亡・3月10日(36歳)


アリババの子供たち

--劣化ウラン」--

 

チグリス ユーフラテス

八千年まえ 緑豊かな

人類文明発祥の大地

いま 無人の砂漠を

砂塵を巻いて走るアメリカの戦車の列

僕の胸内で 嵐が吹き

二本の轍が 血を流す

 

バグダッドの夜を裂いて

火箭が飛ぶ

無数の火箭が飛び続ける

火箭は僕の胸に突き刺さり

火箭は君の胸に突き刺さり

あなたの一言が

僕の脳髄に突き刺さる

 

バグダッド大学医学部

フサーム・ジョルマクリ先生

「白血病の子供が こんなにも増え続けているのです

「これ以上 いくさで人々が傷つくのは 止めてもらいたいのです

 

僕に何ができる

僕に何ができたか

僕は何も答えることができない

僕の心は 声をあげて泣いている

 

両腕を失った

十歳の アリ・アッバス君

「僕の両腕を返してください

僕は働きたいのです

腕が返らないのなら

僕に死をください」と 言う

 

両腕を失った

アリババの子供は

壊れた壺になって

科学兵器の アリ地獄の

砂のなかに埋まってしまうのか