この研究会では2つの発表があり質議応答がなされました。出席者は27人、そのうち広島から4人(全員「市民の会」の会員です)、遠くは台湾、三重県などからも来ていましたが、九州大学の大学院生が9人参加しており、若い人の参加が多いという第一印象がありました。
発表の第1は九州大学の中野和典氏の「「原爆乙女」の物語」でありました。中野氏は第1部で「中国新聞」「朝日新聞」「長崎日々新聞」などの新聞記事を取り上げ、なぜ昭和27年になって「原爆乙女」の記事が頻繁に見られるようになったのか、そこに見られる妙齢の女性の象徴的な役割とは何かについて考察し、「原爆乙女」の物語化に、「許しと和解」の物語を読み取ろうとしました。そして第2部では「物語を解体する物語」として大田洋子の『半人間』に現れた「原爆乙女」を取り上げ、「彼女たちの心はもとにかえらない筈」だという大田洋子の見解を第1部の新聞記事と対峙させました。
発表の第2は長崎の純心大学の長野秀樹氏の「井上光晴「手の家」の問題」でありました。長野氏はまず「元気な被爆者が登場しないのはなぜか」「原爆文学は事実しか書いてはいけないのか」「通常兵器と核兵器のちがいはどこにあるか」という問題意識について述べ、「手の家」における被爆者に対する差別構造の誕生について明らかにしつつ、差別の構造についてさまざまな位相から究明しました。また、やはり新聞記事やいくつかの著書によって残留放射能による被害や被爆二世などに対する日本とアメリカの見解の相違について論じました。最後に「元気な被爆者も差別の構造のなかにあり、平成14年という現在ではこの差別こそが問題となる」と締めくくられたので、私は「平成14年という現在は、アメリカでの同時多発テロ以降、ブッシュ政権による核兵器の使用についての言及やパレスチナでの戦闘の激化、あるいはインド・パキスタン間のカシミールをめぐる紛争下での核兵器の使用の言明など、ふたたび核戦争の可能性が高まった時期であり、そういう現在にあえて元気な被爆者を取り上げるのは、アメリカが「残留放射能の被害はない」と事実を隠ぺいしていることに結果として荷担することになるのではないか」と指摘しました。
時間があまり残っていなかったので議論が深まらなかったのが残念でしたが、翌日比治山大学の公開講座で「文学館のあり方ー広島の場合ー」についてのシンポジウムがあると池田さんからの情報で聞いていましたので、懇親会には出席せずに成定先生の車で広島にもどりました。(2002年7月1日記)