苦難の『原爆詩集』

--再評価したい峠三吉--

池田正彦

「峠三吉没後50年の会」事務局長


 広島の戦後文化として誇れるものとして、広島カープ誕生とお好み焼きがあげられる。峠三吉の『原爆詩集』もそれにひけをとらない、というより同列に論ずることができないほど価値あるものとして読み継がれてきた。いずれも多くの市民に支持され迎え入れられたという輪郭が浮かんでくる。どだい、カープやお好み焼きとの比較は不遜との声も聞こえそうだが、あえて言うなら、カープとお好み焼きは庶民文化としてくりかえし喧伝され、日常生活の一部としてとりこんでいった。

 それでは『原爆詩集』はどうであろうか。

 先日、大学の平和講義で峠三吉の名前すら知らない(学校で習ったことがないということらしい)学生の多いことを嘆いた知人がいたが、一方峠三吉が生前遺した唯一の詩集『原爆詩集』は1951年以降版を重ね、現在も多くの人に愛読されつづけている。一冊の詩集がこんなに長く多くの読者を獲得したというのは、日本の詩集出版状況からすれば稀有なことで、私は広島が誇りうる創造文化であると思ってきた。

 ところが峠三吉の場合、共産党の分裂、自身も手術の途中で亡くなるという不運、それ以降の平和運動の分裂が重なり、一方的な党派的観点での解釈が独り歩きし、文学的側面から検討されることがほとんどなかった。さらに、私たち広島の人間も市民的財産としてその価値を認め保護してきたかというと、必ずしもそうとは言えない。たしかに、八月六日前後になるとご都合的に利用はしてきたが、あくまで夏の一過性の題材に他ならなかった。

 同時に、原爆文学関係資料の収集のための行政的措置はゼロに等しく、文学館すらなく、その業績を研究することもままならない状況下にある。そうした負の部分が、おそらく市民的ポジションを確保するのを防げてきた感がする。

 先日、私たちは「峠三吉没後50年・文学資料展」を開催し、話題を呼んだにもかかわらず、広島での平和運動を担っている人びとの姿はほとんど見かけることはなかった。おおよそ、これらの人たちは「よくわかっている、今さら」という認識であろう。本当にそうであろうか。草稿をはじめ多くの展示物はヒロシマを証言する第一級の資料であり、広島の戦後史・平和運動史を語るにふさわしい品々である。

 ヒロシマの風化・運動の形骸化が指摘されて久しい今日、峠三吉の生きた時代のエネルギーと精神を照射することも優れて平和運動と確信する。9・11同時多発テロ、イラク戦争の泥沼化、自衛隊の海外派遣などキナ臭い世相の中、「ちちをかえせ ははをかえせ・・・」の叫びは、まさに時代を超えて普遍的な響きをもって迫ってくるではないか。

 『原爆詩集』は決して過去の遺物ではない。私たちが生きる現代は、残念ながらこの詩集を必要としている。


『中国新聞』(2003年8月5日)