「原爆文学研究会」には第2回から参加させていただいた。広島大学大学院博士課程後期を修了して現在台湾で日本語教師をしている川口隆行君からの紹介であった。川口君は私が代表を務めている「広島に文学館を!市民の会」の会員でもあり、この「原爆文学研究会」のことを私に知らせてくれたのであった。
この研究会に出席して、さまざまなことを学ぶことができた。研究発表はさまざまな視点からなされ、その後の質議応答も活発になされた。広島にいては分かりにくい長崎の被爆問題やそれについての作品を知ることができたが、そのことについては今回は触れないことにする。
また、長崎大学で開かれた第2回の発表会においては、久しぶりに長崎の町を歩き、広島と長崎は被爆都市として並び称されるが、歴史的に見ると被爆後両都市が歩んだ再建の道はかなり違うということを改めて知った。とくに浦上天主堂の再建を見て、広島の原爆ドームと比較してその保存のあり方の違いに関心を持った(このことについては、この時の発表者であった活水女子大学の服部先生から最近詳細な研究論文をいただき、大変参考になった)。第2回、第3回と出席しただけだが、発表以外にも有益な情報などを得たので、そのひとつについて述べておきたい。
それは6月29日に九州大学で開かれた第3回の発表会で受付においてあった「「福岡市文学館」開設記念展」のカタログである。そのカタログには平成14年5月25日から6月16日まで福岡市赤煉瓦文化館で開設記念展が開かれたこと(残念ながら開設記念展を見ることはできなかった)、福岡市が平成13年6月に「福岡市文学館構想検討委員会」を設置して1年足らずで福岡市文学館の開設に至った経緯などが書いてあった。私は現在広島市に文学館の建設を要請している市民の会の代表をしているので興味を持ったのであるが、あまりにも福岡市と広島市の文学館に対する対応が違うことに驚いた次第である。今回は自己紹介を兼ねた近況報告として広島市での文学館運動について述べ、福岡市の場合と比較してみたい。
私が「広島に文学館を!市民の会」の代表になったのは昨年(2001年)の1月であった。そのきっかけはその前年(2000年)の秋に広島市が旧日本銀行広島支店の有効活用案を市民にアイデア募集の形で求めたことにあった。広島には「広島文学資料保全の会」というものが1987年に作られ、原爆文学の資料を中心に広島の文学を集めることと、その資料の保存ばかりでなく、整理、研究、公開を行う文学館の設立を当時の荒木市長に要望し、また平岡、秋葉と続く歴代の市長に要請してきた。その最初の要請の時から旧日銀広島支店を広島市が買い上げ、文学館として活用したらどうかという案が保全の会の代表幹事である好村教授が新聞などで提案してきたが、10年以上にかかっても実現しなかったのである。そこに、突然市民にアイデアを募集するという記事が広島市の公報の「市民と市政」に2度にわたって掲載されたので、「広島文学資料保全の会」の人々は驚きと焦りとを感じた。10年以上に渡る努力(そのなかには原爆文学を中心とする広島の文学資料1万数千点の収集もあった)は無視され、一般公募となり、その公募されたアイデアを検討する委員会を作り広島市の案とするというものであったのだからその驚きと焦りは無理はないと思う。しかし、その作られた土俵に乗らなければ、文学館の実現はますます遠退いてしまうであろう。そこで、まず広島に文学館を作ることを要請する市民の会を立ち上げるための準備委員会を作って、1月にはじめて市民に一般公開された旧日銀広島支店の見学を呼びかけ、そこに集まった20余人の人々で正式に「広島に文学館を!市民の会」を結成することとなり、その代表に私が選ばれたのであった。
広島市に「市民の会」からの要望を出すととも、会員からも自由な立場でアイデアを広島市に出してもらうことにした。広島市は1月で締め切ったアイデア募集をもとに、旧日本銀行広島支店の有効活用に関する検等委員会を開いたが、結論はいくつかの案(そのなかには文学館構想もあった)を並べただけで、広島市に決定をゆだねた。その後1年経ったのだが広島市は結論を出していない。
「市民の会」のその後の活動について簡単に述べておこう。広島市が文学館に関心を示さない理由としては歴代の市長が広島の文学を知らないか、高く評価していないことがあると思われる。1987年に「広島の文学資料保全の会」の人々が6000人の署名と全国的に高まった支援活動を背景に広島市長に要請書を提出した時の荒木市長の言葉は「広島の文学と言ったって一体何があるのか」というものであったという。
また、広島市民自体が自分たちの郷里の文学を知らないか、あるいは顕彰しようとする気持ちがないとも言われる。そこで、「市民の会」の会員自身がもっと広島の文学を知り、その価値を認めていくために、朗読会と研究会を兼ねた集まりができないかという案が出され、昨年の3月から実行された。まず、広島の文学といえば原爆文学を取り上げないわけにはいかないだろうということになり、峠三吉、原民喜、正田篠枝、栗原貞子、大田洋子を選び、3月から毎月一人ずつ取り上げて、第4日曜日に「朗読会/お話の会」というものを開くことにした。その企画はマスコミが取り上げてくれたので、毎回40人ほどの人が代る代る参加してくれた。その結果会員は150人ほどになった。
そうした成果を踏まえて昨年の7月から8月の12日間、旧日銀広島支店で「原爆文学展〜5人のヒロシマ」を「市民の会」の主催で開催した。連日35度を越す記録的な猛暑のなか、3300人を越す人が冷房もエレベーターもないこの被爆建物で「原爆文学展」を見て、多くの人々が文学館の設立やこの建物を文学館として利用することへの支持をノートに書き残してくれた。会員は200人を越えた。
その後、「市民の会」では第2期朗読会を開いた。それは「自作原爆文学を語る」という副題がついていて、広島在住の作家(小説家)に自作の原爆文学について語ってもらう企画であった。それは9月から始まり、今年の3月まで続いた。藤本仁、田端展、小久保均、中井正文、岩崎清一郎、文沢隆一、古浦千穂子の7人の方々に来ていただき、代表的な作品を朗読し、その後自作について語ってもらうという企画であったが、やはり40人の会場はいつも満席に近かった。広島の作家や作品について知ろうという企画は成果があったと思う。
現在は朗読会の第3期に入るところである。今回は詩歌と児童文学にジャンルを広げ、「広島在住の詩人が自作を語る」というテーマで松尾静明、御庄博実、長津功三良、松永智子の4人の方々に7月、9月、11月、1月の第4日曜日にお願いした。また児童文学の方では三浦精子さんに「山口勇子論」を語ってもらうことにした。それぞれの方には朗読をしてもらう作品の選定をお願いし、作品にふさわしい朗読者をお願いしなければならないが、どんな作品が朗読されるか、どんなお話を伺えるか、今から楽しみである。
朗読会が奇数月になったのには理由がある。その間の偶数月は「峠三吉没後50年の会」の企画が入る予定である。もともと「広島に文学館を!市民の会」と「峠三吉没後50年の会」とは別組織ではあるが、両方の代表として私が入っていることや、「峠三吉没後50年の会」の中心となる人々は「市民の会」の会員であることもあって、「市民の会」の企画として「峠三吉没後50年の会」の企画に加わる予定である。実際の峠三吉の没後50年は来年の3月10日なので、来年1年間を没後50年としてさまざまな企画を考えているが、今年はプレ50年としてすでにいくつかの企画を予定している。
自己紹介を兼ねて簡単に近況報告をするつもりであったが、かなり長くなってしまった。より詳しく「広島に文学館を!市民の会」と「峠三吉没後50年の会」のことやその企画について知りたいと思う方は「広島文学館(「市民の会」のホームページ)」http://home.hiroshima-u.ac.jp/bngkkn/をご覧いただきたい。
これから広島と長崎をいろいろな形でつなぐことができればと思う。