非被爆者による原爆文学の可能性

小久保 均


(要旨)最初にお断りしたいことがあります。「非被爆者による原爆文学の可能性」というタイトルを、改めて声に出して唱えてみていただきたいのです。被爆体験を持たない者が原爆文学を書くのはきわめて困難だというニュアンスが読みとれるはずです。

 長い間、私自身がそういう滑稽な観念にとらわれていたことを白状しなければなりません。原爆文学(その厳密な定義は他の機会にして)も文学の一種である以上、「可能性」なんかにこだわる必要はないのでした。文学というのは、誰には可能性があって、誰には可能性がないというものではありません。問題はただ、いかに書くかだけです。

 どうしてこのような初歩的な考え間違いが生じたかといえば、いつのまにか原爆文学といったら体験記という観念に私がとらわれてしまっていたからです。原爆文学なら誰にも書けますが、体験を持たない者がどうして体験を書くことができるでしょうか。

 ここで問うべきだったのは、非被爆者である私の中に、原爆文学を書くべき内的必然性と、それを実現に向かって促す内的な衝迫が渦巻いているかどうかということです。必然性と衝迫を欠くとき、私の書くものは、途中で投げ出されるのでなかったら、内容空疎な絵空事に堕してしまうのが落ちでしょう。

 私自身はこの『夏の刻印』という作品を書く強い必然性があったのです。その証拠は、プランを立てて書き終わるまでに5年という日数を要しましたが、内的衝迫は片時も衰弱することはありませんでした。衝迫が持続したのは、それだけ必然性が強かったからとも言えるのではないでしょうか。


講師・作家紹介1930(昭和5)年、朝鮮慶尚北道生まれ。広島大学文学部卒。1945(昭和20)年、熊本幼年学校の生徒だった。『夏の刻印』は1976年8月『文学界』に初出、1977年上期芥川賞候補。著書:『折れた八月』1975、おりじん書房;『残酷な場所』、1975、渓水社;『夏の刻印』、1980、昭和出版など。