ことばと出会う

松永智子

(2003年1月26日)


(要旨)ことばは社会的に存在するもので、基本的には個人のものではない。既存のことばもそれ自体は死物、それを働かせるのは人間である。その意味で人間の心のはたらきなくしてことばはないといえる。既存のことばを新しく生命あるものにする営みが、短歌を作るということにつながる。それはまた、経験はことばを定義するということにもかかわる。そのことを願望として作歌している。

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短歌と出会う

 昭和20年第十一海軍航空廠(呉市)にて動員女学生として飛行機の部品造りに従事。連日連夜の空襲警報という状況下、“馬鈴薯のうす紫の花にふる雨をおもへり都の雨に”(石川啄木)の世界にあそび、現実のきびしさから解放される。

第二芸術論

 昭和21年〜23年。短詩型に対し他のジャンルから、情緒性に対する疑問の提示、論理性の欠如に対する指摘など、真摯に論じられた。この問いかけは短歌にとって大きい意味をもつ。その洗礼を受けた先人たちは、1300年の伝統をもつ短歌に、時代のエネルギーを注ぐことに努力した。

実作

 昭和29年〜32年。「杜松」(福山市)に作品を。若き主宰山下謙司は〈感傷のべったら漬〉になるな。〈切れば赤い血の出る〉歌を作れと。昭和35年〜「地中海」所属。香川進代表は〈生きるとは、人間とは〉を問うことが歌を作るということ。〈感覚を大切〉に。自分にしかないものだと言い残した。作品を…

雨もりを除けつつ今日も汝は描く花活けて夜の如きアトリエ

霧らうがに野は春愁のきつね雨告ぐべくならね研ぐ息の緒ぞ

                        山下謙司

花もてる夏樹の上をああ時がじいんじいんと過ぎてゆくなり

空海の生まれしさとの善通寺おだやかにして塔のおもかげ

                        香川 進

 作者の生命の照りとしていまに鮮しいこれらの作品は、前記の言葉を裏切っていない。生命力を失わない作品の魅力は、経験がことばを定義していることによろう。言葉が空しくないことの証し。

 そして“反物質の論理”(松永信一)から、終の一節を

わたしは人間じゃあなかった/それが恥ずかしくて/二十五年間/わたしは口がきけなかった

今やっと片ことがしゃべれる人間になった/原爆が悪いっていうのは/そりゃ本当か

この「か」という/ほんの小さな/面じゃない 線じゃない/点だ

この小さな点だけが/戦争を正面から見ている

 「本当か」一語によって自分自身に匕首をむけた作品であることを、その詩作と終焉に立ち合った一人として感じている。そして、〈文学の精神はね、どんな場にあっても高く飛翔することだよ〉と遺言のようにのこした。これも、生命の断面を鮮烈にみせていることばであるとおもう。

 言葉が経験を説明するのでなく、経験がことばを定義すること、感覚から出発しておのずから一つのことばに出会うことを希い、短歌を作っている。


(講師・作家紹介)広島県世羅郡世羅町生まれ。所属:短歌結社地中海同人、グループ誌「青嵐」編集発行人、現代歌人協会会員、日本歌人クラブ会員。歌集『黒ゆりの歌』(昭和42年)、『銹のにほひ』(昭和53年)、『風の稜』(昭和61年)、『扉のむかうに』(平成4年)、エッセイ集『ことばと出会う』(平成11年)。