自作の中の経験

松尾静明


(要旨)四季派(短歌・俳句の叙情精神と、西欧の象徴詩派の精神の混交した、知性的な叙情を目指す)の流れの詩を書き始め、やがて言語至上主義的な詩を書いていくようになった20代に、偶然、広島市内の喫茶店で、ある中学生が「日本も原爆を持ってもよいのではないか」と言っているのを聞いて、原爆と戦争にかかわるようになった。

 一、 広島市内・郡部三校380名の中学生の「中学生の戦争と原爆の意識」調査。

 一、 全国の小・中学生の原爆と戦争をテーマにした詩集『少年詩集』発行。

 一、 ソビエト市民の原爆と戦争の意識を聞き取り調査、冊子発行。

 一、 日本で現在活躍中詩人32名による戦争と原爆テーマによる平和詩集『わが内なる言葉』発行。

 一、 日本の各界知名人77名の自筆・生原稿展「人間と平和を愛する言葉」を平和記念館で開催。司馬遼太郎・三浦綾子・堀口大学・野間宏氏などが協力。

 このように、私の「経験する・行動する」ということが変化していくにつれて、当然、認識も変化していったと思われる。認識が変化すれば、作品の技術と方法も変化していったはずである。

 このことをリルケは「感性が主体の青春の文学から、年齢を重ねることによっての経験の文学」と言っているが、これはつまりその折々の「経験」を超えて「思想」に到るということである。いわゆる「体験の思想化」である。

「体験」が「体験」のままでは「思想」ではない。では「体験」が「思想」に到るのには何が必要か? それは「苦悩」というものだと思う。現代(原爆を含めて)というものへの苦悩、現代に存在するものということの「存在」への苦悩が思想を生んでいくのである。そして、苦悩の産物である思想こそが、人間と人間を真につなげていくのだと私は思う。

 ところで、私の体験(経験)にも、その折々に苦悩はあった訳で、それはまた「思想」というものに到らないまでも、何らかの認識を得て作品を変化させていった。

 ここでは、作品をあげて例証するには紙幅がないので、作品以前に、私が平常考えていること二・三をここにあげてみたい。そのことが実作品に、どのように影響しているかについては、皆様の判断を俟つしかない。

 ひとつ考えていることは、私は、私と同じ底辺の方々に目を向けていかなくてはならないという事である。二・三の外国を歩いて思ったことは、どこの国でも、ある程度の地位や学歴のある方々はヒロシマや原爆のことを知っておられるが、いわゆる底辺の方々は、ヒロシマがどこにあるのかも知っておられない。これは(現在もそうだが)いつもヒロシマが、上目づかいに権威のある方ばかりを見ているからである。

 もうひとつ私が考えていることは、私はこれからも「兵士」を書いていくのではないかということ。戦争というのは「無知と油断」が起こすものだが、その被害者でもあり加害者でもあるのが「兵士」である。「兵士」の中にある「無知と油断」を見つめていくことは、我々自身を見つめていくということではなかろうか。

 更にもうひとつ考えていることは「いのちをいじる」者たちを怒っていくということ。ポテトとナスをかけ合わせて、ポテナスというポテトでもナスでもないものを作ったり、クローン人間、人形爆弾、核衛星etc。どれもこれも、他者の尊厳(いのち)をいじっている。しかし、この愚かな行為は、もしかしたら、私たち自身の心の内が具現されたものではないのか。

 いずれにしても、このギザギザした地球の季節と、その向こう側に予感されるものをどのようにしたら「詩」という美学に置きかえていくことが出来るか、ということを、私は今苦悩している。

(追記)

 作品の朗読は、土屋時子さん、成定優さんがしてくださった。感情が移入されたステキとしか言いようのない、澄んだお声であった。厚くお礼を申しあげます。


(講師・作家紹介)1940年、広島県賀茂郡大和町生まれ。詩集9冊、仏教関係書5冊、童話、歌曲詩など。書籍外執筆は、詩の専門雑誌の書評担当、朝日新聞「こころのページ」へコラムを3年間担当などがある。

所属:日本詩人クラブ、日本現代詩人会、日本中国文化交流協会会員。

略歴:詩集『丘』で第33回小熊秀雄賞受賞。詩集『都会の畑』で第34回日本詩人クラブ賞受賞。


松尾静明自選詩集

 2002年7月28日に開催された朗読会「広島在住の詩人が自作を語る@ 自作の中の経験」で配布された資料に掲載された詩を読むことができます。