本年(2005年)4月2日に山口市湯田温泉で開催された第14回原爆文学研究会に参加しました。山口市でははじめての開催でしたが20人程出席し、2人の発表と熱心な質疑応答があり、懇親会も夜遅くまでありました。翌日は新装された中原中也記念館を見学して広島に戻りました。中原中也記念館についてはあらためて報告されると思いますが、今回の発表者である中原豊氏が長崎大学からこの記念館の学芸員になられ、愛情を注がれた見事な展示がなされていたことを述べておきます。こんな文学館が広島にもほしいものだと思いました。
発表1
発表者 中原豊(中原中也記念館学芸員)
発表題目 原口喜久也―「原爆詩人」の生成
発表要旨 原口喜久也(1923〜1963)には「原爆詩人」というレッテルが貼られているが、それはいつ誰がどのようにして貼ったのか、また原口自身はどのように思っていたか。発表者はまず山田かん氏へのインタビューをもとに、原口の入市被爆者としての不徹底さと「ジャーナリズムのレッテル貼り」への警戒を説く。ついで、原口の履歴と雑誌「文芸広場」との関係について論じられた。はじめ叙情詩を投稿していたが、1957年(昭和32年)に最初の原爆詩「原爆の駅T浦上U」を書いて投稿したのが特選となった。同年7月に詩集『キノコ雲』を発表したが、その後また叙情詩にもどった。1962年(昭和37年)6月6日に長崎医大に入院し、のちに骨髄細胞腫と診断された。「現代のカルテ」などの原爆詩を残したが、翌年(1963年)3月14日に国際文化会館原爆資料陳列室のある4階で縊死した。こうした原口の履歴、詩歴を詳細に考察して、発表者は原口の死と原民喜の死と重ね合わせて、「原爆詩人」というレッテルは原口自身が選んだものであると推定した。また、阪本越郎の「文芸広場」における追悼文「長崎が生んだ原爆詩人原口喜久也を悼む」が原口に「原爆詩人」というレッテルを与えたと結論づけた。
質疑応答
問い:レッテルの問題点は何か。
答え:レッテルが貼られた歴史や、なぜレッテルが貼られたかということを知る必要がある。
問い:「原爆詩人」というレッテルには積極的な意味があるのではないか。
答え:レッテルを貼られる側の思いと貼る側の思いの違いがあるので、それを明らかにする必要がある。
感想:これまであまり知られなかった原口喜久也の生涯と作品が明らかにされ、興味深く聞くことができた。今後は原口の「原爆詩」そのものについて詳しく紹介し、論じてもらえたら、彼がいかなる「原爆詩人」であったのか、また、原民喜との違いはなにかが明らかになると思う。
発表2
発表者:波潟 剛(山口大学非常勤講師)
発表題目:原爆と万博と文学
発表要旨:まず、安部公房の「他人の顔」(1962年)と「方舟さくら丸」が原爆を扱った作品であること、「他人の顔」は安部公房と勅使河原宏の共同製作映画として大阪万博で上映されたことが紹介された。また同万博ではテーマ館に展示予定の被爆者の写真が悲惨すぎるとして撤去されたことの意味について言及され、大阪万博の隠された意味について考察された。ついで椹木野衣『戦争と万博』(美術出版社)が紹介され、建築家浅田孝の「原爆時代を克服するために、建築家はその責任を強く自覚しなければならない時がきている」という言葉と「建築から環境へ」という言葉の解釈がなされ、建築と原爆の問題が論じられた。ついで、岡本太郎と原爆の関係が論じられた。絵画「死の灰」(1956年)と大阪万博の「太陽の塔」との類似性、ならびに岡本のメキシコ壁画「明日の神話」、そして「芸術は爆発だ」という彼の言葉との関係が論じられた。最後にふたたび安部公房にもどり、エッセイ「死の灰」(1954年)、安部と筑紫哲也との対談「核時代の「方舟」」(1984年)、ならびに散文詩「ソドムの死」1947年)について論じられ、安部の終末思想(人間の集団的、慢性的、種的「自殺」)が満州からの引揚体験と原爆・水爆問題がもたらしたのではないかと推論した。
また、核兵器を作った責任は人間社会にあり、自分自身も加害者の立場になりうるという安部公房の人間認識について論じた。
質疑応答
問い:岡本太郎の「芸術は爆発だ」という言葉は原水爆のメタファーか?
答え:現在のところ、文献としては明らかではない。
問い:加害・被害を一般化すると、原爆を落としたアメリカの加害者としての立場が明確でなくなるのではないか。
答え:今回は人間あるいは国家として一般化されたテーマを扱った作品を取り上げた。
感想:文学、映画、絵画、建築、万博など多岐にわたる分野における原爆の形象化の問題が扱われ、さらに植民地、環境、人類の問題にまで展開するスケールの大きな問題提起であった。これからは問題をしぼって実証的に研究したらより説得力のあるものになるであろう。発表のなかで紹介された岡本太郎の壁画「明日の神話」の原画展が広島で開催された(4月19日から5月8日まで、gallery Gにて)。「死の灰」も同時に展示されていた。岡本太郎記念館館長の岡本敏子氏はそのパンフレットで次のように言っている。「原爆が炸裂した―それは凶悪な残酷な許せない力、でもそれが炸裂した瞬間に、負けない人間の誇り、エネルギー、パワーそういうものが、同じ瞬間にもっと力強く開くんだ、と痛切に訴えているのが、「明日の神話」よ。」この幅30メートル×高さ5メートルの壁画をエントランスに持った文学館が広島にできないものかと思った。(2005年4月20日記)
参考
☆「岡本太郎「明日の神話」広島誘致へ下絵公開」(『中国新聞』、2005年4月13日)
☆「岡本敏子さん急死 岡本太郎記念館館長」(『中国新聞』、2005年4月20日)
☆「ヒロシマへの思い証言 岡本敏子さん」(『中国新聞』、2005年4月22日)