広島の文学と文学館創設運動について

「広島に文学館を!市民の会」代表 水島 裕雅


 皆さまは広島市に文学館が一つもないのをご存知でしょうか。

 広島市立の文学館はもとより、私立の文学館も、個人の作家のための文学館も、一切ないのが広島市の現状ですが、広島のような大都市に文学館がないのは異常なことと思いませんか。

 かつて、札幌、仙台、広島、福岡は二番手の政令指定都市として競い合っていましたが、現在では文学館に関しては広島だけが何一つない状況となり、すっかり他の大都市に遅れをとってしまいました。それだけでなく、たとえば中国・四国の県庁所在地で文学館がないのは鳥取(米子市にはあります)と広島だけになってしまいました。

 それでは、広島には誇りとすべき文学がなかったのでしょうか。

 そんなことはありません。近代だけを取り上げても、児童文学の大成者で雑誌『赤い鳥』の創刊者の鈴木三重吉や、近代演劇の創始者で指導者の小山内薫はともに広島市の出身者です。そればかりではなく、人類最初の被爆地としての広島は数多くの原爆文学を生み出しました。こうした原爆がもたらした痛みを後世に伝える資料が数多く残されている広島に、文学館の一つもないのは不思議ではないでしょうか。

 広島に文学館を!という運動はこれまでなかったわけではありません。私の知る限りでは、20年前の1987年に一つの大きな運動がありました。それは、はじめ「広島の文学資料保全をすすめる会」と呼ばれ、のちに「広島文学資料保全の会」と略称されるようになりましたが、この会は沖原豊・広島大学学長(当時)を代表として、発起人に10人の大学ならびに文学・芸術関係者を並べ、さらに各界の著名人64人の賛同呼びかけ人に支えられた組織でした。

 この会は歴代の市長に文学資料の収集と文学館設立を要望するとともに、戦後40年以上経って、散逸や劣化の恐れのある原爆文学資料の収集に力を入れ、1万点以上の資料を集め、文学館設立の基礎資料として、広島市立中央図書館に寄贈したのですが、その後20年経ってもまったく変化がないのは残念至極のことです。

 私たちの「広島に文学館を!市民の会」は2001年1月に、旧日本銀行広島支店の有効活用案を広島市が市民に求めたときに設立されました。「広島文学資料保全の会」の方々が高齢化したので若返りを図るとともに、この機会に市民運動として誰でも参加できる組織にして、活動力を高めようとしたのです。そして、朗読会、研究会、文学資料展、シンポジウム、ブックレット作成、絵葉書「ひろしま文学散歩」や地図の作成などの活動を通して、現在200余人の会となっています。

 最近の活動の例を少し挙げますと、昨年3月に栗原貞子さんがお亡くなりになったので、同年8月に栗原貞子文学資料展を広島市・市民交流プラザで開催しました。また、同時に、シンポジウム「栗原貞子を語る」を主催し、その成果を踏まえて今年の7月にブックレット『栗原貞子を語る 一度目はあやまちでも』を刊行しました。また、今年の9月12日から17日まで、大田洋子文学資料展を同プラザで開催しました。この12月9日には座談会「大田洋子を語る」(仮称)を予定しています。

 こうした広島の文学、ならびに文学館運動についてさらに詳しくお知りになりたい方、「広島に文学館を!市民の会」に関心をお持ちの方、この会に入会されたい方は、市民の会によって「広島文学館」(http://home.hiroshima-u.ac.jp/bngkkn/)というヴァーチャル文学館がウェブ上に作成されていますので、どうぞご覧ください。

 皆さまの暖かいご支援・ご参加を心からお願いいたします。


広島平和記念資料館のメールマガジン2006年10月号(第39号)のコラム「広島の風」に寄稿された原稿を著者の了解を得て掲載しています。