原爆文学と広島の文学館の意義
水島裕雅
(広島大学名誉教授・比較文学、「広島に文学館を!市民の会」代表)
第二次世界大戦末期に広島と長崎で原爆が使用されて以来六十三年経過したが、核兵器は廃絶されるどころか、拡散される傾向にある。
原爆はこれまで何度も使用を検討されてきた。朝鮮戦争の場合のように、もう少しで大量に使用される直前まで至ったこともある。一九五〇年六月は朝鮮戦争が勃発した時であるが、その年の十一月末には日本に原爆を落としたアメリカ大統領トルーマンが朝鮮戦争で原爆を使用することを検討していると発表した。
峠三吉は朝鮮戦争で原爆が使用されることを案じて、『原爆詩集』を刊行することを企画した。当時の日本は占領軍のプレスコード下にあって、原爆について書くことは容易でなく、出版社も見つけることはできないので、この詩集は孔版(ガリ版)印刷で刊行された。版型も小さく、立派とは言えないかも知れないが、峠三吉の実名で発表された美しい詩集である。そして、何よりも被爆の実相がリアリズムの手法で描かれ、それに対する怒りや悲しみが独特のリリシズムに包まれていて、詩集としては戦後最大とも言えるベストセラーになった。
この『原爆詩集』の最終原稿は長らく所在不明になっていたが、一昨年秋に峠三吉の甥の峠鷹志氏宅で見つかり、私が代表を務める「広島に文学館を!市民の会」に寄託された。「市民の会」ではその重要性に鑑み、広島平和記念資料館(原爆資料館)と相談し、昨年五月から八月まで、その原稿を公開すると共に「峠三吉文学資料展」を行った。また、峠と親交のあった詩人御庄博実氏との対談や、シンポジウム、講演会などを行い、その成果を『峠三吉を語る くずれぬへいわを』というブックレットにまとめた。このブックレットにはその間に発見された峠の新資料(未発表の詩四編)や、作品集に全部は収録されていない和歌のノートの研究などが発表され、峠の抒情的一面が明らかにされた。
また、今年の七月には、「生ましめんかな」や「ヒロシマというとき」などの詩で国際的に知られる栗原貞子の全文学資料が、長女の栗原眞理子氏から広島女学院大学に寄贈された。この資料には原稿、著作、関係雑誌・新聞、書簡、蔵書の他に、新聞などのスクラップ記事や家計簿などさまざまなものが含まれていて、今後の栗原貞子研究はこの資料の研究から始められることになるであろう。広島市に文学館があれば、こうした資料はすべてそこに収められるべきものであるが、広島市が財政難を理由に文学館設立を拒絶し続けているため、平和教育に力を入れている女学院大学が栗原貞子資料を受け入れてくれて、関係者は安堵した次第である。核拡散の続く現代において、被爆の実相を伝えた原爆文学の意義はますます高まっている。これからは関係する機関(たとえば大学など)が文学館の役割を果たすことも重要であると思われる。
「毎日新聞」2008年9月13日、「核拡散
意義高まる原爆文学、峠三吉と栗原貞子の資料 文学館のない広島で、大学や資料館で活用」の見出しで掲載。