広島の発言2006:原爆文学の価値に触れる場を

 水島 裕雅


 人類史上初めて、核兵器による攻撃を受けた広島は、「原爆文学」という文学のジャンルを生んだ。峠三吉、原民喜、大田洋子、栗原貞子ら、自ら被爆し、あるいは被爆後の広島に入り、その体験を小説や詩に残した作家や詩人は少なくない。

 「被爆体験を起点に新しい文学が生まれたわけだが、それを世界に発信することは広島の使命のはず。戦前の広島は軍都だった。武力の力を信じた結果が、原爆の投下という悲劇。言葉を芸術化し、読む人に伝わるよう工夫した存在が文学。言葉の力に未来を託すために、文学を集めなければならないと思う」

 作家たちが創作のために使った資料や書簡などを後世に引き継ごうと、現在の「広島に文学館を! 市民の会」の前身である「広島文学資料保存の会」が設立されたのは87年。活動は20年目を迎えた。

 「これまでに寄せられた資料は約2万5000点。文学館設立には十分すぎる数だ。私たちが収集しなければ、雲散霧消しただろう資料もある。きちんと資料を整理して研究活動に使い、その成果を発信する拠点として、独立した文学館の存在は欠かせない。小さくとも文学館があれば、さらに多くの資料が集まって来る。しかし、文学館設立の展望が見えないまま、集まった資料は広島市立中央図書館(中区)の資料室に納められている」

 広島市に対して文学館設立の働きかけを続けている。これまでに旧日銀広島支店(中区)や平和記念公園内のレストハウスの活用案などが浮かんだが、色よい返事はないと嘆く。

 「広島ほどの大都市で、文学館がないこと自体が異例だ。文学館の存在は都市の風格を表すバロメーター。文学館だけで採算性を確保するのは難しい。しかし、世界から広島を訪れた人が、原爆文学に触れて、考える場をつくることは、文化的な街おこしにもつながるのではないか。公的機関が先頭に立てば、資料も集まりやすくなる」

 「市民の会」は、ホームページを使った情報発信やリーフレットなどの作成、作家の足跡をたどる企画などを展開している。イベント開催のたび、資料の寄贈を申し出る人がいるという。

 「戦後61年がたち、収集作業を今やらなければ、貴重な資料を持っている人がいなくなる。『保存の会』の設立にかかわった人も、多くが既に亡くなった。世界文学の中に位置づけられる原爆文学の価値に気付いてもらえるよう、訴え続けたい」【宇城昇】

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 ■人物略歴

 ◇みずしま・ひろまさ

 広島大名誉教授(比較文学論)。1942年生まれ、東京都出身。東大卒。06年3月に広島大教授を退官。「広島に文学館を! 市民の会」のホームページは、http://home.hiroshima‐u.ac.jp/bngkkn/index.html


「毎日新聞」2006年6月22日