北九州市立文学館を訪問して

水島 裕雅


 本年(2006年)12月16日(土)に九州大学で第20回原爆文学研究会が開かれましたので、福岡で一泊して、翌日北九州市立文学館を訪ねてみました。

 当日はあいにく風の強い氷雨交じりの寒い日でしたが、隣接する松本清張記念館も訪ね、北九州市の文学に対する熱い思いに打たれて、興奮して寒さもあまり感じず帰って来ました。

 今年の11月1日に創設されたばかりの北九州市立文学館は小倉駅からバスで10分(100円)ほどの、交通の便がよい場所にあります。さらにまた、市役所、中央図書館、松本清張記念館、小倉城、小倉城庭園などの集まった風光明媚の勝山公園内にあります。市役所前でバスを降りて少し歩くと文学館、図書館が見えてきます。文学館までのアプローチは広くて長い石段になっていて、われわれ年輩者には少しつらいところもありますが、天気さえ良ければ楽しい散歩道でもあるでしょう。少し上るとドーム型の北九州市立文学館の偉容が見えてきます。

 入館料は一般200円、中高生100円で、決して高くはないのですが、さらに年間パスポートが一般400円というのは魅力的です。また、開館時間は平日9:30〜19:00(土、日、祝日は18:00まで)というのも利用しやすい設定だと思いました。

 訪問した日は、三人の北九州出身の作家の生誕100年を記念した「火野葦平、岩下俊作、劉寒吉展」という特別展(200円)を行っていました。

 火野葦平は「糞尿譚」(1937年)で芥川賞を受賞した作家ですが、日中戦争に従軍した経験を「麦と兵隊」(1938年)などの「兵隊三部作」で「国民的英雄」とされ、その結果、戦後は「戦争協力者」として公職追放の身となった人です。戦中の文学が売れたことで戦後不遇となった大田洋子の場合と似ているので、とくに興味深く見ることができました。展示は「麦と兵隊」に対する軍の厳しい検閲によって消された部分を展示することなどで彼の再評価を試みようとするものでしたが、あいにく展示場が暗く、また削除された部分を大きくして説明を加えるなどの工夫がないので、せっかくの意図はよく伝わりませんでした。

 岩下俊作は「無法松の一生」の原作である「富島五郎伝」(1939年)の作者としてしか知りませんでしたし、劉寒吉は今回初めて知りましたが、火野を含めた三人は戦前から詩誌「とらんしつと」などの同人雑誌で共に切磋琢磨し、終生文学仲間として仲良く活動していたようで、北九州の文学活動の一端を知ることができました。

 とくに劉寒吉は雑誌「九州文学」の刊行に45年間努力し、「北九州森鴎外記念の会」会長などを務め、また「文化の砂漠」と言われた北九州の文化施設の建設委員長として長らく努力したと説明されていて、北九州の現在の文学熱の原動力になったことを知ることができました。

 常設展は2階で行われています。階段を上ると、まず「北九州文芸の歩み」という展示が目につきます。広い半円形の壁面全体(24メートル)に年譜と文芸トピックスが年代順に分かりやすく説明されていて、それだけでも圧倒されますが、さらに森鴎外、松本清張など11人の作家については「北九州ゆかりの文学者」として原稿、作品ばかりでなく、それぞれ7〜8分の映像として見ることが出来ます。「北九州文学マップ」では170基以上の文学碑の地図が記され、モニターで碑文や解説も見ることができ、北九州の文学者の層の厚みを感じます。

 2階の常設展を見て1階に下りると「自分史ギャラリー」があります。北九州市の独自の活動として、平成2年に「北九州自分史文学賞」が設定されましたが、毎年400編以上の応募があるそうで、15年以上の内外からの応募や、受賞者の紹介・顕彰は、北九州の文学熱の醸成と、文学に関心を持つ人々の広がりを支えるために役立ってきたと思われます。

 さらに、立派な特別展ならびに常設展のカタログを見ると、北九州市の文学への肩入れが並でないことを感じますし、新しく始められた「北九州市立文学館文庫」は1000円で安くはありませんが、自分の住む町の文学を大切にしようという心意気が感じられ、買うことにしました。

 文学・文化の「砂漠」の緑地化は一朝にしてならずというところでしょうか。こうした北九州市全体をあげての長い地道な努力が、現在の驚くべき規模の文学館の新設につながったのでしょう。

 しかも、道をへだてた向かい側には立派な「北九州市立松本清張記念館」がすでにあります。それも3万冊にも及ぶという彼の蔵書と書斎を再現した「仕事の城」が館内にあり、圧倒されました。また、館内では「推理劇場」と称して80分間のドキュメンタリー映像が上映されており、ここだけでもゆっくり見るためにまた北九州市を訪れなければと思いました。天気が悪かったので小倉城や小倉城庭園は見ることができませんでしたが、まとまった文化ゾーンが町の中央にあること、そしてその中心に文学が置かれているのが驚きで、文学館の一つもない広島の場合と比べてため息ばかり出る訪問でした。(2006年12月記)