広島の文学ならびに文学館創設運動について

水島 裕雅


 今年(二○○五年)の三月六日、「生ましめんかな」「ヒロシマというとき」などの詩で国際的に知られた詩人栗原貞子さんが亡くなった。九十二歳であった。このところ広島の文学、とくに原爆文学を支えてきた人々があいついで亡くなっている。

 今年は日本の敗戦後六十年になる。それはまた、広島・長崎の被爆後六十年ということでもある。被爆時に物心がついていた人々はみな七十代か八十代、あるいは九十代になっている。被爆の体験が風化していくのも無理はない。

 そうした体験の風化を防ぎ、次世代に言葉と記憶を伝えていくために文学資料を集めようという運動がなかったわけではない。一九八七年には「広島文学資料の保全を進める会」(のちに「広島文学資料保全の会」と改称)が結成され、一万数千点の資料を広島市立中央図書館に寄贈した。

 また、旧日本銀行広島支店を文学館にしてほしいという要望書を歴代の広島市長に提出してきた。そもそも、鈴木三重吉や小山内薫といった日本の児童文学や新劇の創始者・大成者を生んだ広島市に文学館のひとつもないのが不思議なのである。

 その後、二○○一年一月には「広島文学資料保全の会」のメンバーを中心に、広島の戦前・戦後の文学を集め、研究し、公開する文学館を広島に造ることを求め、「広島に文学館を!市民の会」を結成した。

 はじめ「市民の会」では、数少なくなった被爆建物である旧日本銀行広島支店を文学館にと主張し、この建物で「原爆文学展〜5人のヒロシマ」を開催した。原民喜、峠三吉、大田洋子、正田篠枝、栗原貞子の五人の被爆作家を集めた広島で最初の本格的な原爆文学展であった。

 しかし広島市は同年、この建物の有効活用案を市民に求め、検討委員会で検討した結果、市民から出されたいろいろな案をまとめきれず、各論併記で答申し、現在のところ市民の芸術作品などの発表会場となっている。

 そこで「市民の会」では、やはり被爆建物であるレストハウス(旧大正屋呉服店)の一部を文学館として有効活用できないかと、提案している。

 このように、現在のところ残念ながら広島には文学館はないので、「市民の会」ではウェブ上の「広島文学館」を作っている。広島の文学ならびに「広島に文学館を!」という運動に関心のある方は、次の「広島文学館」のホームページにアクセスして見てください。

http://home.hiroshima-u.ac.jp/bngkkn


歴史教育者協議会(編)『歴史地理教育』686号(2005年7月1日発行)