仙台に行く機会があったので、6月19日(日)の午前中に仙台文学館を訪ねてみました。仙台は東北の中心地であり、かつては政令指定都市のなかで札幌・仙台・広島・福岡と並び称されてきたところなので、広島の文学館のために参考になるのではないかと思ったのです。
ホテルでもらった地図を見ますと、仙台の中心部からは少し離れているようなので、少し早めにホテルを出て、地下鉄で行くことにしました。仙台駅から地下鉄に乗って6つ目の駅で降りて歩けるように地図では書いてありますが、地下鉄の旭ケ丘駅で降りると目の前には深い森が広がっています。そして案内板には「仙台文学館 1.5km 45分」と書いてあります。始めは1.5km なら30分もかからないはずだと思い歩き始めましたが、道は次第に上り坂になり、夏にしては涼しい朝なのにかなり汗ばんできました。雑木林を抜けていくと湿地帯が見えてきて、そこには「ホタルとメダカのいる小川」という案内板があり、日曜日なので子ども連れの家族が大勢遊びに来ていました。
散歩道はまたすぐ山道になりますが、ところどころに「この樹木の名は?」というクイズ形式の案内板があって、それを見ながら歩いていくと、結構時間はかかります。半分ほど歩いたあたりに大きな案内板があって、この「台原(だいのはら)森林公園」の説明がありました。それによりますと、この公園は60.47haあり、そのうち国有林が56.6haだそうです。さすがに仙台は「杜の都」と呼ばれるだけのことがあります。このとてつもない広さの公園は大小の丘陵や湿地でできていて、黒松、赤松などの地帯やスギ、サワラ、ヒノキや、雑木林などの地帯に分けられ、それぞれ美しい景観をなしています。そしてジョギング用に整理された道や自然の小道などがあって、多くの老若男女が歩いたり、走ったり、思い思いに森林浴をしています。歩いているうちに自然と元気になるような気がしました。市の中央から地下鉄で15分もかからないところにこんな立派な自然休養林があるというのはたいへん贅沢なことで、うらやましいと思いました。
文学館への道は途中から赤松の落ち葉に覆われた自然な山道になり、美しい緑の草と赤い落ち葉のコントラストを楽しみながら、深い森を歩いていくと突然コンクリートの打ち放しの建物が下に見えてきます。坂を下りていくとそこが仙台文学館でした。
仙台文学館は3階建てで、2階が正面の入り口になっています。真ん中に丸い大きな吹き抜けがあって、その周辺は交流コーナーとして使われています。喫茶室や講習室も2階にあります。講習室では折から「第8回ことばの祭典--短歌・俳句・川柳へのいざない」というのをやっていて、年配の人が100人ほど吟行をしていました。
階段を上がると展示室で、企画展示室と常設展示室に別れています。今回は企画展示室で「与謝野寛・晶子展 第期 自立する女性のまなざし」をやっていましたので、まずこれを見ることにしました。第汪は「近代詩歌の扉を開く」とあり、4月16日から始まって5月22日には終わっていました。第期は7月3日までだそうですが、2ヶ月半もするほど与謝野夫妻は仙台や宮城県に縁があるのだろうかと、始めは疑問に思いました。この展示の終わりのところに「宮城とのゆかり 原阿佐緒と与謝野晶子」というコーナーがあって、仙台の北の黒川郡宮床村出身の女性歌人原阿佐緒が晶子に認められて「新詩社」に入社したとあるのが、数少ないつながりのようでした。
つぎに常設展に向かいましたが、さきほどの丸い吹き抜けの上に掛けられた橋が二つの展示室をつないでおり、その橋の左右を和紙で囲む形になっていて、柔らかい光りの中を広瀬川の水のイメージの世界へ向かうという凝った造りになっています。
常設展は「汾Vしき詩歌の時代 学都・仙台の青春群像 。学都に集う 「うたのことばに生きて」の4つのコーナーに分けられています。第氓フコーナーは落合直文と島崎藤村、土井晩翠に捧げられていて、とくに宮城県気仙沼出身の落合直文と仙台市出身の土井晩翠には力を入れていました。ここにきて与謝野寛(鉄幹)が落合直文の「あさ香社」で和歌の修業をして歌人となったことが説明され、日本の近代短歌の出発点に落合直文がいたことが明らかにされます。また「ことばの祭典」に多くの人々が集まるのも仙台の歴史がなせるものかとも思いました。
つぎに興味を引いたのは第コーナーの「学都・仙台の青春群像」のなかで、第2高等学校などに集まった青年達のなかに真山青果、魯迅、高山樗牛、岩野泡鳴、富永太郎などと並んで、ぬやまひろし(本名:西沢隆二)が大きく扱われていることでした。彼は詩集「編笠」でしか知られていないような人ですが、堀辰雄、中野重治などと雑誌「驢馬」創刊にかかわり、昭和9年から終戦までの12年間獄中で暮らした不転向の抵抗詩人です。「編笠」もまた獄中生活を詩にしたものです。そうした詩人を郷土の誇りとしている点に仙台文学館の強い意思のようなものを感じました。また、その隣には「奥羽百文会」という俳句結社が紹介されています。この俳句結社は青森出身の佐藤紅緑を中心としたもので、「戊申戦争後、東北地方が「白河以北一山百文」と見下されたことへの反骨の意味がある」と説明されています。ここにもまた、東北地方の誇りと明治維新政府の政策への批判が込められているように思われます。
「。学都に集う」は「ミッションの精神」「文人のサロン」「みやぎの文芸誌」に分かれています。早くからキリスト教の精神が伝えられた仙台(そこには支倉常長をローマに送った伊達政宗以来の伝統があるものと思われますが、そのことへの言及はありませんでした)と、東北帝大を中心とする文人たちの自由で豊かな気風、そしてそこに集まった人々による100誌に近い個人誌、同人誌が集められていますが、多くの人や雑誌が紹介されているため、今回は詳述できません。
最後の「「うたのことばに生きて」のコーナーは童謡と詩と和歌に分かれますが、童謡に大きなスペースを割いているのが目立ちます。一般的にはあまり知られていない童謡詩人スズキヘキや天江富弥を大きく取り上げ、彼らに大きな影響を与えたものとして鈴木三重吉の『赤い鳥』が取り上げられています。『赤い鳥』の1冊が展示されているので覗いてみると、北原白秋の「あわて床屋」の載っている頁が開いてありました。鈴木三重吉の生誕地である広島には文学館もないので、複雑な気持ちになりました。「詩人の魂」と題したコーナーでは石川善助、尾形亀之助という宮城県では知られているかもしれないが、全国的には著名とは言えない夭折の詩人たちが大きく取り上げられています。地方の文学館の仕事としてはこうした人々の紹介も大きな役割でしょう。
この仙台文学館の現館長は井上ひさしですが、常設展を見終わって、彼のコーナーがないばかりか、言及さえないことに気がつきました。彼は山形県の出身ですが、幼くして父と死別し、窮乏のため中学生の時に仙台郊外のカトリック児童擁護施設に引き取られました。そうした経験が彼の文学の根底にあるのでこの仙台文学館の館長に選出されたのでしょうが、自分のコーナーを作らないのは彼の見識というものかと思います。徳島文学館が瀬戸内寂聴に負ぶさってできているのとは大きな違いです。
出口のところには「宮城文学地図」とパソコン1台とがありました。パソコンでは所蔵雑誌や資料が人名・資料名で検索できるようになっているが、テーブルも椅子もないので、立ったまま検索するしかありません。当分はローテクでいくつもりなのか、それとも別のところに部屋があるのかとも思いましたが、時間がないので文学館をあとにしました。
帰りは文学館の近くからバスがあると聞いていたのでバス停に向かいましたが、日曜日なので本数が少なく、結局はタクシーを使いました。時間のある人は地下鉄を使い森林公園を散策してから文学館へ行かれることをお勧めします。「杜の都」と「学問の都」が見事に合体していることを実感できるからです。明治維新では敗者となったが、一周遅れで今は逆に先頭に立っているかと思われる仙台の人々は現代では環境に恵まれ、幸せかもしれないと思いました。帰りに乗ったタクシーの運転手は「不況なのにまた地下鉄を作っている」とぼやいていたが、文学館を作り、環境問題などを考慮に入れて地下鉄を作るという仙台の姿勢(市政)には学ぶべきものがあると思いました。ちなみに、「仙台の代表的な産業は何ですか」と聞いたら、その運転手は「とくに目立つものはないが、しいて言えば農業かな」と答えました。自動車産業に負ぶさって、高速道路を優先している広島との違いを感じさせられながら、広島にもどりました。(2005年6月23日記)