原爆文学研究会は九州大学の花田俊典先生が中心で、現在会員は20人ほどですが、会員以外に市民や新聞社、雑誌社などのマスコミ関係者、さらに花田ゼミの大学院生が数人参加し、また長崎大学の大学院生も数人参加しており、平均年令が市民の会より数十年若いことに大きな違いを感じました。(私も会員になり、平均年令を上げておきました。)議論も自由で、活発であり、私も広島のことを聞かれ、長崎と比較して話しましたが、同じ原爆でも受け止め方はかなり違うことに驚きました。
たとえば、活水女子大学の服部康喜氏の「アメリカ占領下におけるプロテスタントキリスト者の原爆意識」は1945年8月3日から1949年10月までの「長崎新聞」の記事を丹念に拾い、そのなかにあらわれたプロテスタントの原爆に対する意識を見ようとするものでした。当然、米軍のプレスコード下の記事ですからかなり割り引かなければなりませんが、プロテスタントキリスト者には戦後のアメリカ人(ここでは国家としてのアメリカではなく、一般人として、またはキリスト者としてのアメリカ人ですが)による手厚い援助があり、アメリカへの憎しみはなく、強いアメリカ支持の気持ちが生まれたといいます。また、カトリックにおいても1946年7月13日には米国ニューヨーク州の司教が浦上天主堂の再建のために長崎に来て、14日の祝別式で「この血で聖別された教会が、あなた達が原子爆弾の洗礼を受けて、今日のこの苦痛のなかにあることは皆さんのすべてを知り尽くしている善意に満ちた神様の思召です」と述べたことは、有名な永井隆氏の「原爆は罪深い人類の上に落とされた警告でありその犠牲者は燔祭の犠牲である」という信徒代表としての挨拶の言葉に通じるものがありました。長崎と広島の当時の新聞記事の比較研究なども面白いテーマだと思いました。
もうひとりの発表者は佐世保工専の田崎弘章氏(彼は作家でもあり、いくつかの文学賞を受賞しているとのことです)の「禁じられた遊びー核武装の夢想「沈黙の艦隊」ー」は尾道出身のかわぐちかいじ(本名/川口開治)氏の長篇コミックを扱ったもので、核武装をした(と主張する)日本の原子力潜水艦を想定し、独善的かつ高圧的なアメリカと対抗する物語(1988年から1996年に「コミック・モーニング」に354回に渡り連載)は、現在の問題と重なりつつ、また「「原爆文学」の正典と外典」というジャンル問題ともつながり興味深いものがありました。簡単には紹介できない複雑な内容でしたが、映画やSF小説その他さまざまなメディアの問題を視野に入れて「原爆文学」は語られなければいけないという田崎氏の主張にはうなずかされるものがありました。
そのあと11時くらいまで10数人の方々と長崎の飲み屋をはしごして文学談義や雑談をいたしましたがさまざまな個性の強い人が多く楽しく過ごしました。
次回は九州大学でということが決まっていますし、当分は九州で行われることでしょうが将来は広島とも交流したいという意向はあるようですので、興味のある方は水島までお知らせください。
遠藤周作文学館は立地条件が良いのか悪いのか、ともかく風光明媚なところですが、長崎からもバスで1時間半はかかるところで、こんなところまで誰が来るのだろうかとさえ思いましたが、1年10カ月で10万人の来館者があり、私が行った日は日曜日でもあったせいか、県外の車も多く、駐車場はいつもいっぱいでした。入場料は350円(一般)で、学生は200円、さらに10人以上の団体は割り引きがあります。
ともかく外海町とい小さな町がこんなに立派な文学館を作っているのに、広島ほどの大きな重要な都市が文学館のひとつも持てないことに、あらためて怒りと嘆きと悲しみの混じった複雑な気持ちを持って帰ってきました。(2002年4月8日記)