第4回原爆文学研究会

 水島裕雅


 9月1日(日)に長崎大学で開催された第4回原爆文学研究会に出席してきました。折からの台風15号の影響で市内観光はほとんどできませんでしたが、充実した発表でしたので、遠く長崎まで出かけた甲斐がありました。簡単に報告いたします。

 研究発表は2つで、出席者は19人でした。

 研究発表の1は、九州大学の石川巧氏の「日本ペンクラブの「ヒューマニティー」」というものです。1950年4月に広島を訪れた川端康成をはじめとする日本ペンクラブを代表する19名の人々の言説について、川端康成を中心として丹念に拾い上げ、なぜ彼らが広島に来ることになったのか、そこで彼らは何を考えたのか、その後彼らはどのような行動を取ったか、等について考察されたもので、大変興味深い問題でありました。

 とくに川端は日本ペンクラブの会長として前年の1949年11月に広島市の招待で広島を訪問し、「広島のことは、来てみなければ決して実体はえられない。見ないで想像したぐらいではとても思いもよらない」と言い、1950年の『文学界』2月号にその体験による「天授の子」という作品を発表したが、その後原爆について作品を書かなかったのは何故か、などさまざまな問題を含んでいると思いました。

 同年6月に起こった朝鮮戦争と、7月からのレッドパージ、そして11月のトルーマン大統領の核使用についての言明、さらには翌年3月の原民喜の自殺と御庄博実の逮捕などとの関連はどうか、日本の文壇の問題を時勢とのかかわりでさらに掘り下げてほしいと、石川氏にお願いいたしました。

 研究発表の2は、長崎大学の中原豊氏の「原爆詩の表現」というもので、山田かん氏の「『原爆』が書けるのか」(『西日本新聞』1974年8月12日)という問題提起を踏まえながら、「原爆詩」というものをどうとらえたらよいかということについて論じたものでした。

 中原氏は北川透と瀬尾育成の対談「日本近代詩と戦争」(『現代詩手帳』1996年6月号)の言説を追いながら、さらに原爆詩の可能性を広げようとします。北川氏は「現実や、作家や詩人の主体を空白にしたまま、大衆的な動向にかかわっていくと、悪い意味での戦争詩が書かれたり、あるいは文学者の声明のようなものが出てくるんじゃないか」と言い、文学者、詩人の主体性と詩の評価を結び付けようとするのに対し、瀬尾氏はむしろ「軽挙盲動する」「不和雷同する」人間の側からの戦争詩について語っており、その論理やその必然性についてもっと考察する必要について論じているが、中原氏はそうした論争を踏まえながら、優れた「個性」を持つ原民喜のような詩人の詩ばかりを評価するのではなく、非被爆者や「弱い人間」「いいかげんな個」の書く詩をも評価していきたいと主張します。そして、直接被爆したわけではないが「長崎が生んだ原爆詩人」(阪本越郎)と評価されたり、「直接被爆の位置から書いていることが少し気になります」(山田かん)と批判されたりした原口喜久也の詩を、被爆者か被爆者でないかという評価ではないところで評価をしようと試みます。

 発表後、詩の評価をめぐってさまざまな立場から議論がなされました。そこには原爆をいかに描くかという問題とともに、直接の被爆者がいなくなりつつある時代に原爆を描くことの難しさ、とくに叙情詩として描くことの難しさがあり、またそうした詩をどう評価できるかというもうひとつの難しさが見られます。私は原爆を「個」として(つまり叙情詩として)描くばかりでなく、叙事詩のように文明史や世界史を踏まえて他者や多数の人物を描く立場もあるのではないかと述べましたが、言うのはやすく作るのはむずかしいことであると痛感します。

 おわりに、研究会のあとで主催者の花田先生から『雲雀』を持ってきて売ってくれればよかった、と言われました。われわれのホームページでご覧になったようで、見る人は見ているのだなと思いました。九州の原爆文学研究会でも作品や研究書のデータベース化も考えているという話です。『原爆文学研究 1』(定価1200円)も発刊されました。若い人の力は素晴らしいものだと思います。(2002年9月5日記)