山口の湯田温泉で開かれた第14回原爆文学研究会(2005年4月2日)の翌日、中原中也記念館を訪れた。広島と山口は近いし、山口大学には研究上の知り合いがいるので、山口には何度も足を運んでいる。山口といえば、JR西日本の広告でもおなじみの、種田山頭火と中原中也と金子みすヾ。ということで、中原中也記念館にはすでに行ったことがあるように錯覚していたが、実は今回が初めてだった。
詩人の生家跡に建てられたという2階建ての瀟洒な記念館は、湯田温泉の中心にあって、古い温泉街の雰囲気にうまくとけ込んでいる。全国コンペで選ばれた設計だけのことはある。
入館時に最新式の音声ガイドを手渡された。カードと小さな耳かけ式イヤホンのセットである(指輪式のイヤホンもあった)。要所要所にあるプレートにカードをかざすとコンピュータが作動し、イヤホンから音声が聞こえてくる仕組みである。ワイヤレスだし、他人の鑑賞の邪魔にもならない。最新の音声ガイドシステムを試行中のようであった。
記念館では「祈り 中也の宗教性」をテーマにさまざまな資料が展示されていた。順路に沿って資料をながめ、解説を読むうちに、詩人が家族など身近な人々を介してキリスト教と仏教の両方から強い影響を受け、独自の宗教的世界を構築していたことが分かるようになっている。実に周到な展示だが、記念館の運営に関わる人々の詩人への深い愛情と理解あってのことだろうと推察された。
記念館には、パソコン端末から詩人の生涯を辿ったり、作品を鑑賞することが可能な「情報コーナー」もあれば、詩人紹介の短編映画を鑑賞できる「映像コーナー」、作品の朗読を聞くことができる「CD視聴コーナー」などが設けられていた。それらのビデオテープやCDは販売もされていた。上記の音声ガイドとともに、さまざまなメディアを駆使して、詩人をもっと理解してもらいたい、詩人のファンを増やしたい、という記念館スタッフの意欲が強く感じられた。
実際、記念館から帰った翌日の「朝日新聞」ではコラムニストが「幾時代かがありまして 茶色い戦争ありました」という詩人の有名な詩句をめぐって蘊蓄(うんちく)を傾けていた(小池民男「時の墓碑銘」、2005年4月4日)。
中原中也には、立派な記念館があり、記念館が主宰する「中原中也賞」があり、記念館が編集する『中原中也研究』がある。そして、中也の詩はマスメディアで「いままた時代の鎮魂歌として」読み継がれ、語り継がれている(上記の「朝日新聞」コラム)。
一方、峠三吉、原民喜、栗原貞子、正田篠枝、大田洋子ら広島の詩人や作家たちには記念館はない。文学館はない。その結果(と敢えて言おう)、広島市民の多くは、彼らの作品と生涯と思想を知らない。知る術(すべ)がないからである。まして、彼らの作品を愛する人は、ほんのわずかしかいない。愛する術がないからである。
山口に生まれた中原中也、金子みすヾ、種田山頭火は幸いなるかな。広島に生まれた詩人・作家は哀れむべしか……。(2005年6月21日記)
(参考)
☆「中也「山羊の歌」校正刷り公開」(『中国新聞』、2006年1月27日)
☆「中也が愛した西洋音楽 山口」(『中国新聞』、2005年7月30日)
☆「中也の遺品、山口市が購入へ」(『中国新聞』、2005年6月10日)