同人雑誌というもの

中井正文


(要旨)中井正文(1913〜)の文学歴は、広島一中時代の詩への傾斜から始まる。熊本の旧制五高に入学したのは創立40周年の時で、彼が作詞した「椿花咲く」(1930)は寮歌の一等に当選。金堀伸夫の作曲、加藤登紀子の吹き込みによるレコードは、いまも感動を呼び起こすものであるが、旧制高校時代に加わっていた同人雑誌に、長崎謙二郎が主宰した『新文学派』(広島)がある。ここでは、のちに青春文学を書く若杉慧もいた。

 中井は東大独文科にすすみ、成子坂のアパートに入ると、近くに石川達三が住んでいた。石川は、同人雑誌『星座』の創刊号に載せた「蒼氓」で第一回芥川賞(1935)を獲得し、中井を同人に推薦する。『星座』には大田洋子、池田みち子、江間章子ら女流作家や、夏目孝たちの名が並んでいる。

 その後、中井は本郷に引っ越すが、付き合いのあったのは織田作之助や徳田一穂のほか、旧制五高同期の秀才・土居寛之や二級下の梅崎春生で、東大国文科にいた梅崎は戦後派文学の旗手となり、土居のほうは中井の短編「落第横丁」に土岐として登場する。落第横丁は、本郷の学生街の一角に実在した飲み屋の横丁で、中井の飲み仲間には太宰治や壇一雄たちがいた。

 太宰や壇は、保田与重郎の『日本浪漫派』にいたが『青い花』をつくり、中井を同人に誘う。中井の「神話」を太宰は高く評価したが、同誌の2号が出ぬため『中央公論』に応募し二等当選になった。次作の「阿蘇活火山」は、英・独語に翻訳され、ドイツの雑誌に載った。大戦末期のことである。

 中井は、1972年に『広島文藝派』を創刊し、今回の朗読作品である「名前のない男」を発表した。これは『日本の原爆文学J』(1983、ほるぷ出版)や『広島の橋の上』(1988、渓水社)に収録されたが、ちなみに『広島文藝派』は、現在、復刊第16号まで出している。(天瀬裕康氏によるまとめ)


講師・作家紹介1913(大正2)年、廿日市市地御前生まれ。熊本の旧制五高を経て東京大学ドイツ文学科卒。1945(昭和20)年、女学校の勤労動員引率教師として宮島の工場にいた。広島大学名誉教授、同人誌『広島文芸派』代表。小説「阿蘇活火山」「神話」雑誌『中央公論』掲載、「寒菊抄」『日本文学者』へ初出、直木賞候補など。作品集4冊。翻訳、フランツ・カフカ『変身』『アメリカ』角川文庫など。