世界の原爆文学

中山茂


 ヒロシマを見たわ。いや君は何も見ていない。いいえ見たわ、広島の街を、原爆ドームを、原爆記念館を……。見た。見ない。見た。見ない。  『ヒロシマ--モナムール』


A、夫、41歳 広島での被爆者

B、妻、33歳

 

1 義務感の上に成り立つ文学

B 私たち長らく一緒に暮らして来てヒロシマについて深く話し合った事がなかったわ。何かの折りにヒロシマを話題にのぼらせた時、あなたはすいとそれから逃れてしまった。何か話せない理由があるのかしら、聞いちゃ悪いのかしら……。話せないということはそれだけ深い傷を負っているということなのかしら……。それとも全く問題にしていない……いいえそんな事はあろう筈がない……少し大げさかも知れないけれども大きな不気味なものの存在を感じる事があったわ。

A 別に話せない理由なんてないよ……。いや、あるのかな、何かモヤモヤした理由にならないような理由が。何かそれは思想とか、原理、原則というようなものではなくて、そうだなあ、怨念とでもいうようなものかなあ。

B 大江健三郎が広島について考察した『ヒロシマ・ノート』で被爆者は広島について沈黙する唯一の権利を持った人々と言っていますね。そして事実、あなたも含めて被爆者はおとなしい。

A うん、だまっている気持ちはよく判るんだけど、あえて分析すれば、そうだなあ、被爆体験というものは、決して他人に自慢できるものではない、ということだろう。

B でも、近頃はよく戦記ものなんかが出版されて、結構売れているそうじゃないの、海戦とか空中戦なんかより、原爆体験の方がもっと大きな意味があるんじゃないの……。

A そりゃあ、大スペクタクルという点からすれば比較にならんさ。しかし、同じ戦争体験といってもだね、そこに質の違いがあるんだなあ。

 単に西部活劇的戦記物でも、戦場に立たされる自我の「わだつみのこえ」でも、たとえ、自らの選択が戦争にコミットするものでなくとも、そこに人間の全存在を賭けた「思想」が出ている。戦争にどう対処したか、という思想がある。これは誰しも伝えたいと思うだろう。

 ところが被爆者の場合、ある夏の朝に急に天から降ってきてモルモットにされたんだ。モルモットに思想なんてないんだ。

 原爆が落ちると知りつつ、そこに止まったのなら、それは殉教の徒だろう。しかし、実感としては、天災なんで天災に対処する思想というのは、古来諦観しかない。だから、被爆者の思想というのは、自覚的に形成されたものではなくて、怨念のようなものだ、とぼくは言ったんだ。

B ずいぶんシニカルだけど、でもそれはやはり天災じゃない。人が人を殺した人災じゃないの。だから、少なくとも堂々と補償を要求すべきよ。

A それは原爆の上に「戦後民主主義」を重ね合わせた考え方だ。しかし実際には、その二つの間にかなり時間的ずれがある。原爆が落ちた時はまだ戦時中、どこにも文句の持って行き場所がなかったじゃないか。抗議する習慣もなかったし、もししたとしたら、焦土決戦の意欲を欠くものとして憲兵に引っ張られたろう。それに戦争が終わっても、占領がつづく。訴える相手も日本じゃなくて、雲の上の占領軍か海の彼方のアメリカとなれば、訴えても届かない空しさで、ますますみじめになるだけだ。

 訴えるとして、どう訴える? 原爆が落ちた時にたまたまそこにいた、という事自体には誇るべき何物もないのに、哀れな犠牲者でございます、と物乞いするのか、見世物小屋の奇形児のように、好奇心の対象にさらされるなら、そこまでは落ちたくない。

B 好奇心なんて下卑たものじゃないわよ。ただ私たち原爆を受けなかった者こそ、原爆の悲惨を直視する必要がある。決してあなたの思いすごしているようなものじゃないわよ。

A たしかに被害妄想かもしれない。が、現実に、もっと次元の低い話をすると、訴えても原爆手帳を貰えるくらいで、何もトクをしない。その上、他人はたしかに同情はしてくれるが、放射能が遺伝に影響するんじゃないかと警戒されて、結婚話にはさしつかえるし、うっかりすると孫子の代までたたるからな。

B それはそうね。私だって、今まで何もあなたには言わなかったけど、結婚する前には、その事を気にしなかったといったら嘘になりますもの。

 広島との出合いは、私の場合、大きく分けて今までに3回あるわ。最初は私が高校の演劇グループで『広島の女』という被爆者を主人公とした小戯曲を取り上げた時、その時、私は大田洋子の『屍の街』を読んで広島の原爆という事実を知ったわ。原爆についてこの時はじめて知った、という事ではないのよ。この時からヒロシマの原爆がはっきりとリアリティのあるものとして、私の心の中に住み込んだという事なの。2度目はあなたとの結婚。3度目は最初の子供を妊娠した時ね。この時は私は、すでにヒロシマに対してまるきり第三者ではありえなくなってしまったわけだけど。

A どうもすまない。わざとかくしていたわけではないんだけど、自分でも決して追体験したいものではないし、したがってひとに話したいとも思わないんだ。

 被爆当時は気が立っていたのか、あるいは感覚が麻痺していたのか、腸がとび出したまま逃げようとはいずっている被爆者の群を直視できたけど、今じゃあとてもだめだね。だから、原爆記念館の資料も覗けないし、赤松俊子、丸木位里の原爆図絵も見たくないし、また原爆をテーマにした文芸作品も読む気がしなかったんだ。

B 私には読まなければならない、といった義務めいた意識があったわね。それを読む事でヒロシマを知らなければならない、関わらなければならないという。

 私たちの世代は戦争に間に合わなかった世代、参加出来なかった世代なの。しかも原爆投下も終戦も、知的に未熟でしっかりと受け止められなかった。おそらくそうしたコンプレックスが私の義務感をかり立てるのだと思うけれど。

 ヒロシマを知る為には本当はそこに出かけて行って自分の眼でみなければと思うわ。でも知るという事が個人的な動機から出発している事に、やはり私はためらいをおぼえるの。もしこれが職業ルポライターとして広島をおとずれるのであれば、私は職業意識によって、少なくとも私が実際の被害者ではないという、被爆者に対して持つひけめを少しでも緩和させられるかも知れないけれど……でもやはり、私自身の顔に決定的なケロイドの傷跡を持っていない以上、私は直接にヒロシマとは対面出来ないわ。そこで私は文学作品を手に取ることになるのね。自分ながらエゴイズムだと思いつつね。

A 文学というのは、読者がなくては成り立たないものと思っていたけど、読者の義務感の上に成り立つ文学というものがありうるんだね。そんな文学は、学校の国語の教科書でしかお目にかからないんじゃないかな。

 

2 記録・実感・表現

A 実はぼくも最近、原爆文学なるものをまとめて読んでみたんだ。もうあれ以来四半世紀近くたったことだし、ここらで我が内なるモヤモヤした原爆追体験アレルギーを精算してみたいと思ってね。

 ぼくにはどういうわけか、大田洋子のものが他のものに比べて一番読めた。客観的叙述だけでなく、所々挿入されている被爆当時の著者の価値判断、情況判断が、被爆者の追体験に一番密着したものがあったからだろうか。

 また、著者が、屍の街から逃れて、

 「再びあそこへ行ってきょろきょろする気になれなかった。見物がてら行く人を見ると、安価な侮辱を私は受けでもしたように不愉快であった。いつまでも淡い恥辱感はぬぐい去れない」『屍の街』179頁 昭和23年)

 というくだりは、ぼくの未だにつづいている追体験アレルギーを表現してくれるように思えた。

B 作者が被爆者であるとないとで、ずいぶん叙述もちがうでしょう。あなたなんかそこの所の見分けがつくんじゃないかなあ。

 私には井伏鱒二の『黒い雨』のなかで、被爆者が、「我々は非戦闘員ではないか」と叫んでいた言葉が一番ショックで印象に残ったけど。

A たしかに『黒い雨』は被爆のレポートとしてはずいぶんよく調べてあって、詳しさの点でも一だんとすぐれているね。ぼくなんかにも、そいうこともあったのか、とはじめて知らされるようなことが書いてある。

 ぼくは著者に被爆体験があったかどうか知らないけど、でも「非戦闘員ではないか」という言葉なんかは、あとからの書きこみのような気がするね。当時、本土決戦が叫ばれて、ぼくなんかも隣組のオバサン連中を集めて竹槍訓練をやっていたんだから、俺は戦闘員ではない、なんて言ったら、この時局下にとブンなぐられたかもしれない、もうあの段階ではたしかに厭戦思想は拡まっていたけど、反戦とはいえないものだったね。被爆者にとっても、原爆被災の現状認識が先で、そこから戦争批判の言葉は直接には出て来なかったのじゃないだろうか。

 ぼくなんか、原爆が落ちた時は、眼の前に焼夷弾が落ちたと思った。そのうち黒雲、黒い雨となって、だんだん被害が局所的なものではないことが判ってきたけど、すぐ戦争批判に結びつけたり人道問題だと騒ぐよりも、一種の痴呆状態に陥ったと言っていい。それまで奇妙なことに広島はほとんど被害を受けていなかったので、比べられるような経験を持たなかったからでもあろうけど、これが戦争というものか、とただぼんやり、三日三晩焼け続ける火を眺めていただけだ。シェークスピアではないけれど、「この世のたががはずれたわい」で、その後いまだにたががはずれっぱなしなんだ。それは一切を虚無化するような体験なんだ。

 大田洋子さんなんかは、いかに職業意識とはいえ、あの阿鼻叫喚のさなかにあって、作家として見つめ、たがをはめ、表現しようという根性は、すさまじい執念だね、えらいもんだよ。

 ぼくは芸術というものは、一たん題材を自家薬籠中のものとした上で、吐き出すものだ、と思っていたけど、原爆体験なんて、ふつうの表現手段の中でコントロールできるものではないだろう。すぐキャンバスの外にはみ出してしまう。

 原民喜という被爆した詩人が、ノー・モア・ヒロシマと、自分自身にむかって呟くときは、広島のことはもう沢山だ、もうこれ以上原爆のことばかり書いたり考えたりするのはたくさんだ、という意味がこもっていたそうだ(原民喜全集、第2巻、576頁)。『夏の花』を書いて、原爆作家というらく印を押され、その重みの下で生き続けて行くことは、実に生き苦しいことだったろう。その重荷が彼の自殺の一因であったのではないだろうか。

B かえって被爆体験のある作家の方が、圧倒されて描ききれないのじゃないかしら。なかなかキャンバスの中に収まらないんでしょう。

A 原爆図絵の赤松俊子から聞いたんだが、彼女にも被爆体験はない。ところが描いているうちに、だんだん腹が立ってきて、あんなに大きなものになってしまったんだそうだ。キャンバスに収まりきれないもの、自分のスタイルで扱いきれないものを扱う最も無難な方法は、リアリズムなんだろうが、するとその作家のその後の発展は滅茶苦茶になってしまうおそれがある。原爆を描いたあと、どうして花鳥風月が描けるか。

B そんな表現上の素人文学論はどうでもいいけど、被爆者が被爆体験をどう捉えているかを私はどうしても知りたいの。私たち被爆体験のない人間は、被爆者の身になって考える義務があると思うの。そしてそれを私たちの思想にまでたかめたいの。大江健三郎も『ヒロシマ・ノート』で「広島を根本的な思想の表現とみなすことにおいて、僕は自分が日本人の作家であることを確認したいのである。」といっているでしょう。ところがあなたは、被爆者の思想なんて、モルモットの思想なんてない、って言う。

A それはちょっとちがうな。ぼくたち被爆者は思想として捉える前に、肉体で原爆を受け取めただけで、それを思想に昂めてくれる人には本当に敬意を表するよ。それも、大江健三郎や君の世代では、おそらく原爆と平和の問題を若い思想の形成期の問題として受けとめてくれたのだろう。だから原爆に関する、ヒロシマに関する思想を創り、後世に伝達して行く重要な世代だと思っているんだ。

 じつのところ、大江の『ヒロシマ・ノート』は、我々被爆者には有難かった。忘れたいものを語るのは重い行為だとして、広島について沈黙する権利を保証してくれた(104-108頁)。つい被爆者を聖者扱いされそうで、我々としては恥じ入るが、有難いことにはちがいない。

 ただ、一番心にピッタリきたのは、大江がプロローグで引用した広島の文学青年の言葉「健康を恢復し、人間として再生できたという物語はないものだろうか」という言葉だ。これは被爆者の願いだ。我々は既にモルモットとしての役割は果たしたろう。もうモルモットではなくて、ふつうの個人として生きる願望は許されてもよいだろう。原爆文学の一つのジャンルというよりも、一つや二つ、被爆者向きの原爆私小説が与えられてもよさそうに思う。

B 特別視されずに生きたいでしょうしね。

A 原爆被災者の問題は、新しい部落問題だ、という人もいる。

 

3 加害者の文学

B 原水爆反対運動なんていっても、被爆者の意識を知らなきゃ、何も語れない、と思うの。でも、私たちには何も言う資格はないわ。ただ原爆に根を据えた思想というのは、加害者の思想と、被爆者の思想とはっきり分かれるのかしら。そうすると私たち原爆を受けていない者の思想は加害者の思想かしら。あなたのように、被爆者の思想なんてものはない、とすると、原爆については加害者の思想しか創りえないのかしら。

A 原爆を受けた者と受けなかった者というように人類を大別すれば、被害者と傍観者を含めての加害者に分けられるだろう。だから被害者の思想・文学と、加害者の思想・文学とに分けられることにもなる。

 ここで重要なのは被害者の思想・文学ではない。それは前から言っているように、受身の記録以上のものではない。加害者の方がはるかに重要だし、げんみつに言えば加害者の思想・文学しかないといっていい。そりゃそうだろう。加害者なくして被害者はない、かんたんな理屈だよ。

 ところが、被害者にとって天災のように感じられる原爆では、加害者がふつうの人殺しのような格好をしていない所が問題なんだな。そういった点からして、堀田善衛の『審判』は、加害者文学の典型だ。

 広島に原爆を投下したパイロット、ポール・リボートが日本にやって来る。原爆投下と共に宇宙の虚無にほうり出され、世界とのつながりが切れてしまった彼は、自分のすべてを日本にあづけてあると信じている。そして親米派の冷寒地研究者出教授の家に身を寄せる。明治の自由民権運動に参加した、生きた歴史の見本のような教授の母郁子、俗悪な弓子夫人、戦時中、中国で人を殺し地獄の考察だけが最大の関心事になっている弓子夫人の弟恭助、大学講師の長男、華やかではあっても内部が荒廃してしまっている外務大臣の愛人で女優の長女雪見子、恭助が告白出来た唯一の人であったために性の関係を結んでしまう次女唐見子、そして若い健康な次男吉備彦、というまるで日本の縮図みたいな出一家とポールとの出合いという設定で、ポールの、そして同時に恭助のもう一つの物語が始まる。

 作者の分身と思われる恭助は、中国大陸で行った残虐行為の体験を肚の中でどこに収めてよいかについて苦悶している。それを原爆投下したアメリカ人飛行士と重ね合わせて、「アウシュビッツも広島・長崎も、犯行だけがあって犯人のいない、原罪に似た点」を問題にしている。日本人の戦争体験にはたしかに、原爆モルモットとちがって、加害者の面があったことはたしかなんだ。

 ふつうなら、戦争という情況の中にはめこまれていた間の自分は、本当の自分ではない、だから、あの情況では加害者も被害者もない、加害者だというけど実は被害者だったんだ、として、過去に封印しておいて、平時の日常的な自我とはっきり区別して整理しておきたいだろう。それを恭助は整理し切れないから悲劇なんだ。

B 原爆の秘密保持の問題に関して、人類への忠誠か国家への忠誠か、という判断の問題があったけれど、「ぼくは戦争犯罪はないと思うんだ、押しつめていけば犯罪があるだけ」と恭助が言う時、また、ポールが「自分はアメリカにおいて得る事の出来る最終判決は得てしまった、すなわち最終判決はなかった」と感じとっていることは、国家という幻影をはっきり否定しているわけでしょう。あるのは人類だけ。恭助の戦争体験という暗い大きな倉庫には“国家”というハンコを押した封印がしてない。おまけにその戸はひらき放しなのね。私ね、もっともポールに関してだけど、これを書いたのがアメリカ作家だったら、広島の人たちはどんなに救われる事だろうと思ったわ。

 人は自分だけが加害者で、孤独な存在だと感じたら決して生きていけないのね。恭助が言うでしょう。「ぼくの様な奴は、もちろんぼく一人じゃない。この日本にもアメリカにもドイツにもフランスにもいっぱいいるんだな」。そして黙って働いて行く事以外にない事を気付くのね。そして恭助は生き出す。でもポールの場合は結局生きる手がかりがないでしょう。ここで作者は原爆はそれまでの人間の体験とは絶対区別しなければと言っているのね。ともすればどれもこれも一つの戦争体験、という事で処理してしまう事を拒まなければね。

A 原爆加害はアウシュビッツや南京とは質がちがう、ということなんだね。

 ぼくらは被爆したおかげでか、戦争という原罪を自己の問題としてつきつめようという責任から免れているようで、実はサボっているのかな。

 ともあれ、堀田の原爆描写に迫力を感じるのは、あの世代の戦争体験によるものだろうか。「遅れてきた」世代には描けない気がする。同じ戦中派でも阿川弘之の『春の城』には原爆描写に迫力を感じなかったのは、二人の戦争体験のちがいによるのかもしれない。

B 『春の城』の場合は確かに一つの戦争世代の青春を書いてはいても、人間の追求という点では曖昧なのね。だから原爆描写にしても適確ではあってもそれは古い写真が与える印象以上のものにはならなかった。

 『審判』の作者は、幾度か欧米を訪れて、現在の欧米の荒廃をひしひしと身に感じたのだと思うわ。「人間のどす黒いものを組織しちまった」ナチズム、アウシュビッツや原爆投下をわけもなくやりとげる人間性の不在を、いやというほどみせつけられたのだと思うわ。だから二発目の長崎はその荒廃の具現以外の何ものでもないのだわ。それがはっきりと読みとれる。作者はそれを伝えるために、世界との対話を断たれてしまった唖の予言者ポールをさし向けざるを得なかったのじゃないかしら。

 

4 アメリカ文明論

B でもおなじ戦中派でおなじ原爆パイロットを扱った、著者がパロディーと銘うつ、いいだ・ももの『アメリカの英雄』も、気狂いパイロットを媒体としてアメリカとは何ものかとの問いを発しているわけでしょう。『黒い雨』に代表されるものや被爆当時の状況を伝えた記録からでは、原爆という威力をそなえている世界、「世界の終焉の光景への正当な想像力」というものは、感覚的な次元だけでしか捉えられないように思うわ。だからどうしてもこの作者は、原爆というものをアメリカ側の思想のあらわれとして捉えるために、アメリカの中に入っていかねばならなかったのだと思うけれど。

A あれはぼくは大変なしろものだと思うよ。少なくとも今までの日本の文学の常識では測れないものだな。まず、文章も日本語としての情感を誘うものではないし、とにかく日本人向けのものじゃないんだな。

 あれは原爆というものを踏み絵にして、原爆を産み出したアメリカ文明を論じたものだ。そりゃあ日本人が書いたものだから、英訳したらアメリカ人には変な所があるかもしれない。でも、アメリカ人作家には書けない盲点を突いているんじゃないかな。アメリカ人が書けば、大なり小なり加害者意識があるから、罪の告白になったり、アポロジーになったりして、インテリ的意識の中に低迷して、アメリカ文明の底辺まで突き通らないだろう。

B あなたなんか、戦後しばらくアメリカで暮らしてきたから、そいう意識はピンとくるものがあったでしょう。

A いや、実はそうじゃないんだ。相手が日本人だと意識すると、アメリカ人は原爆のことには触れたがらないし、ましてぼくがヒロシマでのビクティムだ、なんて言ったら、アイム・ソリーとかいわれて、会話がそれ以上発展しないんだよ。パーティーだったら、とたんに座が白けてしまって。だからぼくは原爆のことは持ち出さないことにしていたよ。

 そこで、彼らがどう惑い、考えているかは一向つかめない。まして『アメリカの英雄』に出てくるような、GIや南部の田舎者なんかがどう思っているかは、全く伝わってこないんだな。

 インテリなら何か一言いわねばという責任を持っている人もあるが、インテリからは市民の率直なものは出てこない。彼ら同士ではどんなように話している、知りようもなかったんだ。

 たしかに、ジョン・ハーシーの『ヒロシマ』は爆発的に売れたようで、ぼくの接した人たちのヒロシマ観も、あの本で受けたショックによって形成されたようなものだった。でも、それはハーシーもちゃんと計算していたことと思うけど、白人やクリスチャンも同じく広島で被爆した、ということが、ショックだったんだよ。

B 国家の枠をはみ出しているわけね。敵と一緒に同種族の人間も殺してしまった。しかしそれもトルーマンのように、政治の座にいるものには感じとれないのね。

A それに、よくアメリカ人に訊かれるんだけど、原爆を落とす前に、ビラを撒いて警告したはずではなかったか、と。

 ぼくは広島にいて、原爆が落ちるまでビラの話は聞かなかった。落ちた後にそんな噂を聞いたけど、たとえビラを見たって、どうしようもなかったんじゃないか。そんな点は、自分の国が戦場になったり、戦災を受けたりしたことのない国民の戦争観からは、判らない所なんだな。

 ぼくは何も個人としてのアメリカ人を断罪しようとしているんではない。日本の軍部なら、原爆を持っていても、それを使わなかっただろう、とは、当時の軍部を知る者には想像しにくいことだからね。

 ただ、ぼくが腹が立ってならないことは、インテリといえる人でさえ、原爆を落とした理由は、沖縄作戦で失ったようなアメリカ兵の損失を、一兵たりともしたくなかったからだ、という俗論にしがみついていることなんだ。

 たしかに、当時は凄惨をきわめた沖縄の抵抗のニュースのイメージと、原爆投下が重なって、このような俗論が出る根拠は充分あったと考えられるが、その後に出たアメリカの国務省の報告などを見ると、原爆投下の決定にはこのような俗論は入っていないんだ。

 政治的決定というものは、単一のファクターで動くものではないだろうけど、結局は、原爆が出来た、早く落とさないと使わないうちに戦争が済んでしまう、といらいらしていた所に、ソ連が日本に対しても参戦して来そうなので、戦後の世界分割競争の戦略的考慮が引金の役目をした、という事になるだろう。

 これは日本人や外の国の人間の説ではなくて、アメリカの公式の発表なんだよ。

 つまり、広島、まして二度目の長崎の犠牲者は、戦争終結の人柱でもなんでもなくて、モルモットとして死んでいった、という事だ。実験なら海の上でも、戦争が済んでからでも出来る。しかし、本当に「威力」として示すには、人体実験の方が効果的だったんだ。

 この歴史的事実、これに直面せずに、俗論にすがりついている。俗論にすがりついている限り、原水爆も使いようで是認されることになって、絶対廃棄の論理はくずれてしまうんだ。

B でも、日本人のなかでも案外、原爆のおかげで戦争が済んだ、と考えている人が多いんじゃないの?

A そうかなあ。たしかに、ぼくだって被爆当時はそんな事まで考えて見たこともなかった。あとでアメリカの報告を読んでから、つくづくモルモットの空しさ、悲しさを感じたんだよ。当時は、息もたえだえの友人に、ピカなんかに敗けるなってはげまして、竹槍・水際作戦のことをまだ考えていたんだからね。

 しかし、後から考えてみれば、ぼくはあの当時広島市の近郊の兵器工場で働いていたんだけど、資材の輸送も爆撃で麻痺してしまって、仕事がなくて、毎日掃除ばかりしていたよ。だから、実は日本はとっくに手を上げてしまっていて、広島をやっても戦術・戦略的には何も意味がなかったんだね。

 そりゃあ、一般人にはアメリカ側も日本側も戦争意欲をかき立てる宣伝ばかり吹きこまれていたんだろうけど、一握りの上層部の政策決定者が、日本の本当の戦闘能力をつかんでいなかったわけはないものね。ほったらかしておいても、日本は早晩参るという認識をつかんでいなければ、政策決定者の資格はない。それだけにアメリカで、テレビにトルーマンが登場して、司会者の質問に答えて、原爆投下の決定をしたことで、眠れない夜は一晩もなかった、と言い放ったのを見た時は、何とも名状しがたい気持ちになったね。

B 私もデュプレ・レイコフの『科学と国家』で原爆開発の過程とそれをどう利用するかについての、科学者たちと政治家たちの行動を知ったけれど、これがヒロシマ・ナガサキの個々の人たちの生活とどう結びつくのだろうと、虚しさにおそわれた事があったわ。現代は個人というものに対するイメージが、実に貧困をきわめているのね。だから同情や愛も生まれないし、まして同志などという意識は出て来ないわ。ただ、敵という概念をつくれば、その中にすべての人間的なものを無視したまま葬りさる事も出来る。

 現代はプラスティックの時代だ、ベルト・コンベァーの時代だ、組織された科学の厖大な力の時代だ、という認識の仕方も、これが原爆以前だったらとしたら、あるいは原爆が悪夢にすぎなかったのだとしたら、私たちの未来はもっと信頼出来るものだったかも知れない。しかし原爆は投下され、福龍丸は死の灰をあび、朝鮮、ベトナム戦争を経験してしまったいま、私たちはそれらのものに悪意だけを受け取るわ。

 

5 外人作家・SF

A C・P・スノーの『新しい人たち』を読んだけど、これはイギリスの原子科学者たちの、原爆投下決定に対する反応の仕方を描いている。彼らの原爆研究は、アメリカ・チームにおくれをとって、結局は直接の加害者にならなかったのだけど、彼らの専門家としての責任感は、科学者としての誇り、エスタブリッシュメントの矜持に根ざしているものなんだね。自分たちは、自分の思想・判断・決定を体制・機構にあずけてしまうような、体制内の一コマではない。自分の意志で原爆を作ることも、作ることを止めることもできる人間なのだ、という自尊心なんだ。だから、創造した我々の意志を無視して、勝手に使った、日頃軽蔑する政治家や軍人どもへの怒りが出ている。

 しかし、スノーという作家は、庶民には雲の上に見える、学界や政界エスタブリッシュメントの中の諸決定が、案外他愛ない個人的なあつれきや、好悪の感情で決まるものであることを示してくれるが、所詮彼の視点は、酸いも甘いもかみわけた話の判る小父さん、という所から物事を見ているので、原爆のような化物を扱うには限界があるんだ。

B 私たちが外国の作家に期待するのは、やっぱり彼らが原爆をどう見ているか、ということね。だから、スノーのようにふつうのレベルでの価値判断で処理されただけでは、常識的な人生探求的な視角からとらえられただけでは、問題をはぐらかされたような気持ちになるわ。

A それから、日本人の書いたものは、どうしても死臭ただよう個人としての人間の体験に根ざしているんだな。だから、いいだ・ももの風刺的な筆でも、どうしても飛行士の罪の意識を問題にせざるをえない。被爆者を同胞に持つ作家としては、やはりどこか肉体の一部がむしばまれるようで、知性の問題として原爆をSF仕立てにすることができない。犠牲になった同胞の怨念に足をとられて、SFの世界にイマジネーションを飛揚させることができない。

 ところが、加害者ないしは傍観者なら、原爆をスノーのように生産者の側として、プロジェクトとして捉えられるし、また、それから更にネビル・シュートの『渚にて』やモルデカイ・ロシュワルトの『レベル・セブン』のように、現世の肉体から浮き上がった未来空想小説の題材に原爆を使うことができる。

 未来小説といっても、原爆からばら色の夢が出るわけではない。『渚にて』は登場人物はすべて個人としては頗る善人であるにもかかわらず。一寸した間違いで水爆の被害のために全人類が死滅する状態を描き、『レベル・セブン』では地下数千尺で、ボタン戦争のボタン番にされた主人公の脱人間的生活を語る。

 このような原爆SFの意図する所は、来たるべき原水爆戦への警告だろう。ところが、警告されても、どうしようもないじゃないか。原爆投下の警告ビラを撒かれても、どうしようもないのと同じだ。

 どこか知らない町で決定される、我々の生命の存続か否かの問題、それに対してちっぽけな個人はどうしようもない。それは被爆者の持つ原爆ニヒリズムを、予想される被爆者間にも拡めるだけで、個人の生活感覚の中に入りこんで実感となるものではなくて、不感症を生むだけだ。

B はじめてで最後の犠牲者でありたいと願っている被爆者にとって、『渚にて』のように全人類が絶滅したり、「完成されたこの非直接性によって、こんにちでは、個々人の良心も社会全体の良心も安らか」なままに、白く美しいボタンを押す行為は、絶望だけを深めるでしょうね。

 

6 新しい世代の原爆文学

A こういうSFのきわものに比べると、『屍の街』『黒い雨』は記録としても永久に残るものだし、ジョン・ハーシーの『ヒロシマ』は、これからもアメリカ人に読みつづけられるだろう。原爆を投下したイーザリーの手紙は、やはり被爆者のぼくらでも心打たれる、文学以上のものだ。

B そうね。やはり事実の前には誰も脱帽するから。だから、被爆者の人には辛いでしょうけど、やはり原水爆反対運動の表に立たされなければならないのかしら。それだけで無言の力になる故に。

A 被爆者機関説のようなものだね。正直のところ御免こうむりたい。

B そうでしょうね。私の個人的意見としては、現在ある原爆文学なるものは、被爆者の目にふれさせたくない。勿論読む必要があるのは被爆者ではないのですし。

A たしかに、被爆者の欲しいのは、原爆記録よりも、心の底から暖めはげましてくれるようなものだろう。ぼくなんかも、原爆の記録は、おぼんの灯籠と一緒に流してしまいたい。それよりもむしろ、すっかり何もなくなったあとに出来た闇市の喧噪、あのバイタリティの方がなつかしいね。

 お通夜の物語からは何も発展しはしない。もう記録としての原爆文学はこれで充分だと思うんだ。それに、これからだんだん被爆体験者は少なくなってゆくし、原水禁運動も被爆者を押し立てて、というんじゃ、ジリ貧になってゆくばかりなのは、目に見えているじゃないか。

 それにだんだん世代も代わって来たんだ。近頃の学生には、原爆が落ちたことなど明治維新の頃のような歴史上の事件になってしまったようだよ。現に、今の学生にとっては「1945年8月6日、原爆投下」は、歴史の試験勉強のための暗記事項として定着しているだけだそうだ。だから、これからの世代に原爆の恐怖を体験的に、心情に訴えることはだんだんむずかしくなってゆくだろう。すると、それに代わって知性に訴えるということになるだろう。

B そうすると、同時代のなまの感覚・経験・追体験をはなれて、次の世代で、原爆がどういう形で、文学なり思想なりに定着すると思う?

A ぼくはね、「幾世代かがありまして、茶色い戦争ありました」式の、単なる戦争と世代のサイクルとは断絶したいな。ドイツでは第二次大戦は第一次大戦と同じような体験だったらしい。明治以後、日本もほぼ10年おきに戦争してきたのに、今度はじめて戦争を知らない世代が出て来たろう。この四半世紀にわたる曲がりなりの平和は、近代日本人の知らなかった新しい体験だ。

B 『審判』の恭助は、その前やすぐ後の世代には厳しくて、若い戦争を知らない甥に期待しているようなんだけど、そういうあなたのようなねがいが、かかっているんでしょうね。

A アメリカでも30以下の青年と語ると、原爆投下の俗説にすがりつかずに、直視しようとしているようだ。もっとも大部分の青年は、原爆なんて知らないがね。

B 体験とか実感とかから離れた世代に、原爆の思想化を期待したいわね。でも原爆の思想などといっても、本当いって私にも見当がつかないのだけれど、新しい科学の成立は、かつてそれによって新しい世界観を生んだように、新しい思想、新しいモラルを生まなければならないという論じ方からしたら、現在もうすでにそれがあってもいい筈だと思うけれど。

A クラウザーというイギリスの科学ジャーナリストは、原爆投下を以て「民主主義の死だ」と書いて、マンチェスター・ガーディアンを追われたね。死せる既存の民主主義にかわって新しい思想を立てるには、羽仁五郎じゃないけど、アウシュビッツ・原爆を以て人類史の大きな裂け目として、原爆を起点として、新しい文明を原始の時代から作りなおす気でかからねばならない。

 実際にはアウシュビッツの殺し方なんて革命的なものじゃないけど、原爆はまさに科学技術史、産業史の上でも革命的な起点になりうるものね。

 ふつう世間に横行しているのは、冷戦を前提とした原水爆の戦術戦略論、パワー・ポリティックスの「社会科学」だけど、そこで全く欠落しているのは、個々人の心の尊厳に根ざした、文学的欲求だ。

 雲の上の大国間の政治的取り引きの条文、また原水爆反対運動の、よく注意して見なければどれも同じように見えるようなアッピール類、それらの空疎な言葉を人間の言葉に引きもどしてくれるのは文学でしかない。

 原爆体験に起点を置いて、それからの歴史を文学の視点を置いて、捉える。堀田善衛やいいだ・ももはまだ起点にいるだけだ。

 原爆以後のいろいろな原水爆にまつわる社会的事象、原水禁運動や核停条約その他とのかかわり合いを、もう一度個の立場から視つめ、描いて行けば、今日最大のヒューマン・ドラマが出来ると思うんだが。

 そして川端のように日本情緒で売り出すのではなく、原爆を契機とし題材として世界文学に接近出来るチャンスが、日本人に与えられているのではないか。世界文学全集の中に日本人の原爆文学がくり入れられる日が来るのではないか。(了)

文章中、現在は使われなくなった表現がありますが、オリジナルのまま残しました。(HP管理者)


『思想の科学』1969年8月号、pp.14-25.
HP管理者の求めに応じて、著者から以下のようなコメントが寄せられました。

 今、33年前の文章を読んでみて、その後さすがに被爆者コンプレックスは薄らいで、普通の人と同じように原爆を論じられるように思います。

 ただ、この中で、被爆者モルモット論を論じました。当時はまだソ連参戦が原爆投下の理由として考えていましたが、冷戦も遠ざかってみると、原爆投下の動機は実験であった、という方が人々に説明するときに説得力を持つような気がします。ソ連参戦に対しては広島だけでよかったのでしょうが、長崎にも落としたのは、違った種類の爆弾を人体実験したかったのでしょう。そして終戦後すぐ乗り込んできたのは原爆被害調査団です。日本の科学者も協力しました。それはまさに千載一遇の好機で、それから多くの業績が出ました。そして調査はしても治療はしないABCCが長く仕事を続けたことは、被爆者モルモットの心に残り続けています。

 それにしても、アウシュビッツ・広島の声が抑止力になって、もう二度と原爆を落とすことにはなるまい、と思っていましたが、冷戦時代の核抑止力が取れると、唯一超大国がまた落とそうという準備をしていることを知って、驚いています。(中山茂 2002年5月2日)