ホームページ上で原爆文学を紹介する「バーチャル文学館」の製作、運営に2001年春から携わっています。広島大の水島裕雅教授らが同じ年に結成した「広島に文学館を!市民の会」に参加したのがきっかけです。全国の人に知ってもらうにはインターネットを使うのが最適だし、開設運動を進めている広島文学館(仮称)が出来た場合に備え、先取りをしたいという意味もありました。
文学館開設を求める運動は十数年にわたって続けられていますが、貴重な文学資料の一部が広島市立中央図書館に展示されているだけで、ほとんどは倉庫に入ったまま。専門の学芸員が体系立てて収集、整理していくことが必要ですが、市の姿勢や財政状況を考えると今すぐに実現するのは難しいようです。
ネットには、著作権が消滅したり、作者の了解が得られたりした作品を載せています。「夏の花」などの小説で知られる原民喜が、原爆に遭い避難するまでの間、目撃した市街地の様子を書き留めたノートや、栗原貞子さんの原爆詩「生ましめんかな」などを読めるようにしました。2001年7月末から8月にかけて日銀旧広島支店で開いた「原爆文学展」に展示した資料のリストも掲載しています。
埋もれた資料を掘り起こし、多くの人の目に触れる機会を作るのも一つの役割だと考え、広島大大学院生が井上ひさしさんの原爆文学をテーマに書いた論文や、廃刊になった学術雑誌に載った論文なども紹介しています。
広島市の平和記念資料館は被爆資料を見られる充実したホームページを製作し、英語版もあります。文学資料も、海外の方に見てもらえるように英語版の要約だけでも作りたいのですが、個人の作業では限界があり、行政の支援が必要だと感じています。
私の専門は科学史ですが、原爆開発のテーマは避けて通れません。原爆を開発した「マンハッタン計画」は国家がばくだいな金を投じ、数万人がかかわったビッグプロジェクトでした。一般の人は、科学者を極端に理想化するか、偏った人だというイメージを抱きがちですが、多くの科学者は、まじめにこつこつと研究を続けてきた人たちでした。そういう人たちが、とんでもないものを作ってしまった時、歯止めをかけるシステムがないということに怖さを感じます。
最近の世界情勢を見ると、核を使った戦争が起こってもおかしくない状況になっているように思えるのです。原爆に遭った人間が、どんなに苦しくて、つらかったかが分かる文学作品を若い世代に読んでもらいたい。そして広島をテーマにした作品を書き続ける人が出てきてほしいのです。ヒロシマの惨禍を繰り返さないために、文学の力は大きいと感じるからです。(聞き手 読売新聞社呉支局東広島通信部 石原啓子)
参考
土屋時子「一回きりの人生大切に」(「讀賣新聞(広島版)」2005年8月24日)
池田正彦「地元の文化を大切に」(「讀賣新聞(広島版)」2005年4月21日)
水島裕雅「原爆文学の意義高める」(「讀賣新聞(広島版)」2002年5月8日)