本年(2003年)12月6日と7日に尾道にある「尾道市立図書館」と「おのみち文学の館」を訪ねてきました。
私は「けんみん文化祭ひろしま’03」の行事の一環として12月7日に尾道で開かれた「林芙美子生誕100年記念シンポジウム」のパネリストのひとりとして壇上に並ぶことになりましたので、この機会に尾道市立図書館の「林芙美子コーナー」と「おのみち文学の館」を訪ねることにしました。
尾道は林芙美子が女学校時代を過ごしたところで、九州出身の彼女は『放浪記』などでしばしば尾道を「旅の古里」と呼びました。「海が見えた。海が見える。五年振りに見る尾道の海はなつかしい」という『放浪記』一節はよく知られています。
6日には打ち合わせと市民劇団尾道テゴー座による「あばれ花・芙美子」の観劇があるとのことで招集がかかりましたので、すこし早めに出かけ、まず市立図書館を訪ねることにしました。この図書館は尾道駅から歩くと20分くらいかかりますが、バスがありますので、そう遠くはありません。
中央入り口から入ると左手奥に「林芙美子コーナー」があると受付で聞きました。この図書館は文学関係の本が中央の目立つところにたくさんあります。そこを通って閲覧室の方へいくと、まず頭上の壁に林芙美子のさまざまな写真が拡大されてかかっているのが見えます。数えて見ると57葉ありました。
展示品は、林芙美子愛用の半纏の他に、色紙(「花のいのちはみじかくて苦しきことのみ多かりき」の他に昭和17年4月に江田島海軍兵学校帰途尾道を訪問した際に書いたという「「尾道」ハよきところ女に酒に磯の風」「いのちひとつをゐつくしまむ苦しきときもなぐさめて」「随処に眞あり」の3点)、原稿「南風」「新淀君」、手紙、初版本などが目につきますが、むしろこのコーナーの特徴は林芙美子関係書の充実にあります。
林芙美子の全集、選集、長編小説集、単行本、文庫本などの作品はもとより、『女人芸術』『婦人文芸』『女人大衆』『人間』『輝ク』などの関係雑誌や研究書がガラス戸のついた15棚に納められています。ざっと数えてみて、15棚の各棚に50冊とすると750冊ほどの蔵書となります。 残念ながら、最近復刻された『戦線』『北岸部隊』『田園日記』などは見られませんでしたが、なかには現在入手不可能なものも数多く見られ、林芙美子を研究するなら尾道に来なければと感じさせるものがありました。
これらのものは元図書館員であった清水英子さんのがんばりで集められたものであると、パネリストとしてご一緒したご本人から伺いました。初めは尾道市と予算関係でやりあったこともあったようですが、読書会、研究会を続けられ、その成果を発表していくうちに、次第に認められ、今では林芙美子は尾道市の顔といっていいほどに、一般的に知られるようになりました。図書館員ひとりの努力でここまでなるという実例を知り、あらためて広島市の図書館ならびに文学館のことを思った次第です。
次に尾道の文学館について書いてみます。尾道は古くから文人墨客の集まるところでしたが、いくつかの文学関係施設をまとめたのは最近のようです。私はシンポジウムの当日の12月7日の朝、散歩がてらその「おのみち文学の館」を訪ねてみました。
まずJRの尾道駅で降りて線路沿いに東の方向に7〜8分歩いて行くと「おのみち文学の館」という表示があり、線路の下の道を通って今度は急な坂道をしばらく上ると志賀直哉旧居の表示が出ます。それに従い左折してまもなく「おのみち文学の館」の記念碑が見えます。
この碑を読みますと、「尾道市政百年を記念し、文学的遺香や環境を保存するために志賀直哉旧居,文学公園、中村憲吉旧居と文学記念室からなる『おのみち文学の館』として再整備するものである」とあり、今から4年前の1999年3月にそれまですでにあったものを再整備したことが分かります。
この碑の右上の長屋が志賀直哉の旧居です。彼は1912年11月に父親との不和などから尾道に来てこの平屋の三軒長屋に住みました。部屋は6畳と3畳と土間の台所だけという,意外と質素で文字通りの棟割り長屋ですが、眺めは尾道水道を見下ろした素晴らしいところです。
そこから歩いて3分ほどのところに「文学記念室」はあります。この記念室は日立造船の役員だった福井英太郎の旧居だそうで、昭和2年の建物とのことですが、今でもしっかりとしています。海を見下ろす絶景の地に建てられた数寄屋造りの家で、いくつかの部屋ではお茶会ができるように設計されているとのことです。この日は風が吹いていましたが、尾道の海は美しく輝いていました。
文学記念室には尾道にゆかりのある近代の文学者の部屋が用意されています。
『怪傑黒頭巾』などの児童文学で知られる高垣眸(1898〜1983)、「春雨じゃ、ぬれて行こう」の名文句で名高い『月形半平太』の作者で、新国劇の座付き作者として活躍した行友李風(1877〜1959)、林芙美子の先輩格で、大正時代には少年少女雑誌『金の船』を創刊し、昭和時代には『緑の地平線』をはじめ数多くの小説を発表した横山美智子(1895〜1986)、川柳六大家の一人とされる麻生路郎(1888〜1965)、歌誌『一路』を創刊し孤高の歌人として戦前、戦後に活躍した山下陸奥(1890〜1967)などの尾道出身の作家の作品や写真などが集められていますが、ここでも目玉商品といえるのは林芙美子関係の展示であります。
林芙美子(1903〜1951)は尾道出身ではないのですが、彼女だけは他の作家と違って数室与えられ、特別待遇です。順路に従って行くと、最初の部屋は『放浪記』などの初版ではない戦後のものなどが並んでいて、たいしたことがない印象を与えていますが、次の部屋に行くと生原稿や遺品が並んでいて、東京の林芙美子記念館でも見られなかったものがここにあることに驚かされます。さらに奥の部屋には彼女の着物があったりするのですが、なによりもここで感動するのはこの奥の部屋に彼女の居間が再現されていることです。彼女の愛用の座り机や座椅子など、身の回りの品々が尾道に移され、その部屋からは林芙美子が尾道の海を見下ろしているかのような佇まいです。
清水英子さんは「東京の記念館には林芙美子の家がありますが、尾道には林芙美子の魂が来ています」と私に言われたが、そのとおりだと思う。また、「文学の館」の説明をされているいわゆる「シルバー人材」の方々がいずれも熱心に愛情を込めて語られる語り口に、将来の文学館のありようを見た思いがしました。シンポジウムの打ち合わせに急ぐ私に、「林芙美子は尾道に来てよかったのですよ」と繰り返し語りかけた案内人の老人の熱弁に、尾道を愛し、文学を愛する人の心を感じました。
林芙美子にとっては尾道の生活は必ずしも幸福とは言えなかったでしょうが、九州から流れ着いて来て一時期滞在したに過ぎない者について死後50年以上たって、これほどに熱く語り、また情熱を込めて研究する人々がいる尾道に来て、彼女はたしかに幸せだっただろうと思いつつ、「おのみち文学の館」を後にしました。
「おのみち文学の館」としては他に「中村憲吉旧居」もセットになっていますが、これは少し離れたところにあり、またかつて訪ねたことがあるので今回は割愛しましたが、千光寺公園の下のやはり風光明媚なところにありますので、尾道に来られたらお寄りになることをお勧めいたします。(2003年12月15日記)