言葉の力に未来を託して

 

池田正彦(「広島に文学館を!市民の会」事務局長)

 

なぜ、いま文学館なのでしょうか

 

 中・四国の拠点都市として発展してきた広島市に文学館ひとつないということは、不思議なことです。私たちは、20数年も前から「文学館を作ってほしい」と、署名活動をはじめ、資料の収集、文学展、シンポジウムなどさまざまな活動をつづけてきました。しかしながら、いまだに実現していないのが現実です。

 私たち市民の努力によって、収集された文学資料は約2万5千点を超え、広島市立中央図書館「文学資料室」に保管されています。きちんと資料を整理して研究活動として成果を発信することは充分可能ですが、文学館がないことが有効的活用を阻害しているといわざるをえません。

具体的な問題として述べますと、2005年に亡くなった著名な栗原貞子さんのご遺族も大変心配され、結果として文学資料は広島女学院大学に寄贈されました。

いずれにしても関係者は高齢です。今のうちに保存・整理し、公開・活用の方法を考えなければなりませんが、広島市の関連予算はゼロです。「文学館」がないというだけでなく、そういうシステムすら確立していないことは残念なことです。

 広島市は「国際平和文化都市」を標榜していますが、今こそ平和と文化が一体となった都市づくりの第一歩として「文学館」建設の構想を持つべきだと思います。

 

今までも「文学館」建設の動きはあったのでしょうか

 

 以前においては、「博物館」の後には「文学館」を、といったことも言われていました。しかし、結局建設を約束した「博物館」構想そのものが財政難を理由に霧散してしまいました。この間水面下で、広島大学跡地に映像文化ライブラリー(中央図書館隣)を移転してその建物を再利用する案や、国立平和祈念館(平和公園内)の一室を利用する案などの打診が広島市の関係者からありましたが、いずれも立消えとなりました。

 私たちも、旧日本銀行広島支店(中区)や平和公園内のレストハウス(旧大正屋呉服店)の活用案やウェブ上の文学館などの構想を提起しましたが、具体化にはほど遠い状況です。

 

文学館で採算がとれるのでしょうか

 

文学館といっても、日本近代文学館のように明治以降の主要な文学者のすべてを対象とした施設、また松山の正岡子規を対象とする子規記念博物館や、山口の中原中也を対象とする中原中也記念館のような個人文学者の記念館があります。いずれの文学館も大変苦労されながらも年間入場者が10万人を超える施設は日本において1・2を数えるにすぎないといわれています。たとえば来館者が10万人とし、かりに一人あたりの入場料が300円としたら来館者からの収入は3千万円にしかなりません。一般的に入場者収入は全体経費の2~3%から10%の範囲が普通で、10%を超えることは稀とのことです。

おそらく、このあたりが広島市のコシが引ける最大の要因でしょう。しかしながら、それゆえ文学館がなくて良いというのは、原爆資料館の採算が合わないから止めてしまえという暴論につながります。

文学館の存在は都市の風格を表す指標であり、採算性・効率云々の発想ではなく、世界から広島を訪れた人たちに、原爆文学を含めた広島の文学に触れて、考える場所を提供することは、人間の未来を考えることにつながり、文化的な街おこしにつながると考えています。同時に、被爆を含めた広島の遺産をどのように後世に伝えるかという広島市民の姿勢が問われていることだと思います。

 

文学遺産で街おこしは可能ですか

 

近くは山口県において前例があります。

長門市では金子みすずという詩人を発掘し、一大観光ブームを巻き起こしました。

 山口市湯田温泉には中原中也記念館があり、「観光に役立つ」てほしいと願う自治体の期待に見事に応えています。

広島においても戦前活躍した作家で「赤い鳥」の鈴木三重吉文学の足跡をたどる観光コースを組み入れることは可能ですし、広島市立中央図書館の資料を活用し、三重吉文学室を設置することは、意欲さえあれば明日にでも実現できることです。

私たちの「広島に文学館を!市民の会」では、<原民喜『夏の花』を歩く><大田洋子『屍の街』を歩く>などの「文学散歩」を企画・実行しましたが、原爆文学に触れるというだけでなく、改めて広島の街を知るきっかけとなっています。さらに、〈文学散歩絵はがき(12枚セット・マップ付)〉を作成し普及させています。これらを発展させ、「電車に乗って文学散歩」という企画案を成功させました。

また、紙屋町地下街の一部に戦前の町(中島町)を復元し、平和公園と連動させれば、地盤沈下をしているといわれている地下街シャレオの活性化につながることになるでしょう。

このように、特別になにかということではなく、身近なものを活用し、創造的な構成を考えれば実現可能なことはたくさんあります。私たちは、その大事なポイントに「文学」を位置づけたいと思っています。

 

最後に――原爆文学と人間の未来

 

広島は、人類史上初めて核兵器による攻撃を受け、「原爆文学」というジャンルを生み、峠三吉、原民喜、大田洋子、正田篠枝、栗原貞子らはその体験を小説や詩歌、評論などに残しました。この体験を世界に発信することは広島の使命です。

被爆65年。残念ながら、被爆者といわれる人たちは高齢化し、広島の体験を継承することは大変困難な時代に入っています。

こうした時、言葉を紡ぎ芸術化したものが文学です。言葉の力に未来を託し、後世に引き継ぐために、世界の文学の中に位置づけられる原爆文学の価値を掘り起こし、世界に発信していきたいと思います。

文学を単なる人寄せとして利用すること、または過去の遺産の保存という後ろ向きの姿勢では、文学館の意味は半減し、長続きすることは出来ません。こうした広島の経験を踏まえ、新しい文学を生み出し、文学以外の社会的活動へと人びとを促すような、つまり人間の未来を創造するための力を培う文学館をめざしたいと思っています。

被爆七〇年までには「広島文学館」を‥‥はかない夢なのでしょうか。 

2010年2月