題目:ヒロシマ文学館(仮称)の開設を目指した、原爆文学資料の電子化と英訳
目的
本プロジェクトの目的は、広島市立中央図書館に所蔵されている原爆文学を中心とした貴重な文学資料を電子化するとともに、重要な作品を英訳し、HP「広島文学館」を通じて、日本および世界に向けて発信することにある。
背景
1987年に発足した「広島文学資料保全の会」は、原爆文学を中心として広島の文学資料の収集と保全につとめてきた。「保全の会」が、これまでに収集した文学資料は約2万点にのぼる。これらの資料は広島市に寄贈されて、現在、広島市立中央図書館の「広島文学資料室」に納められている。しかし、広島市立中央図書館には寄贈された文学資料の整理にあたる専門家がいないため、せっかくの資料が未整理のまま放置されているのが現状である。
そのような状況を踏まえて、2001年1月、「広島に文学館を!市民の会」が発足し、広島市に対して文学館の設立を強く要望してきたが、広島市の財政難もあって未だに実現の目途はたっていない。原爆文学を中心とした広島文学は、核戦争の脅威が高まりつつある21世紀の現在こそ、平和を守る礎として広く読まれ、研究されるべきであることを考えると、上記のような現状はまことに残念である。
そこで、現時点で可能な方策として、「広島に文学館を!市民の会」は、2001年春より、試行的にHP「広島文学館」立ち上げ、「文学資料データベース」「広島/ヒロシマの文学を語る」などのサイトを開設して、徐々にコンテンツを充実させてきた。本プロジェクトの遂行を通じてHP「広島文学館」に英文サイトを開設するなどHPを格段に充実させるとともに「ヒロシマ文学館」設立の機運を醸成したい。
文学資料の電子化とホームページへの掲載
(1)原民喜が被爆時に携帯し被爆直後の状況を記録した「被爆手帳」全頁をカラーで複写するとともに電子化した(CD-ROM)。
(2) 栗原貞子(2005年3月6日逝去)の創作ノート4冊をカラーで複写するとともに電子化した(CD-ROM)。
(3) 峠三吉資料のうち、1945年8月の「メモ 覚え書 感想」と「被爆日記」(1945年7月29日〜11月19日)を書き起こして電子化した。
これら電子化資料に「解説」を付して、逐次HP「広島文学館」のサイト「文学資料データベース」に掲載した。
原爆文学英文文献目録の作成、文学資料の英訳と英文サイトの開設
中村朋子氏(広島国際大学)の協力を得て、「原爆文学英文文献目録」を作成するとともに、原民喜「被爆手帳」を英訳し、2001年開催の「原爆文学展 五人のヒロシマ」の英語版とともに、HP「広島文学館」に新しく開設した英文サイト「English」に掲載し、ヒロシマからのメッセージとして世界に発信した。
文学運動への積極的な参画
「広島花幻忌の会」や「峠三吉没後50年の会」などの関連文学団体と協力して、原民喜碑前祭、峠三吉碑前祭(ともに2004年3月)、反戦詩・原爆詩朗読会(2005年8月)、文学展(2005年8月、11月)などを継続的に行い、上記の電子化資料を活用しながら広島の文学運動の活性化に尽力した。
地元報道機関との連携
文学館設立運動に関心と理解を示している地元報道機関に積極的に情報を提供して連携を図った。
『中国新聞』は文化欄で「ゆめ@文学館」を2004年1月から8月にかけて3部にわたって連載し、特に第3部では広島の状況を詳しく報道した(資料添付)。また、2004年7月から8月にかけて原民喜の「夏の花」3部作を連載小説として掲載した。なお、「夏の花」連載に先立って、2004年7月19日、「広島に文学館を!市民の会」代表で本プロジェクトの共同者でもある水島裕雅が評論「原爆の報復越える倫理」を『中国新聞』に寄稿した(資料添付)。
また、2004年7月27日、NHK広島「お好みワイドひろしま」で、栗原貞子全詩編の編集・出版の動きとともに、本プロジェクトを含めて「広島に文学館を!市民の会」の活動が紹介された。
広島市への働きかけ
文学館設立へ向けて、広島市当局と協議の場をもった。
(1)2004年8月27日、広島市(教育委員会次長兼中央図書館長および関係部局)と折衝の場をもち、当面、中央図書館内に設置されている「広島文学資料室」の充実につとめるとの回答をえた。その結果、2005年4月より「文学資料室」担当の学芸員(嘱託職員)が配置されることになった。
(2)2004年11月5日、平和記念公園内のレストハウス(旧大正屋呉服店)の現況を視察するとともに、文学館への転用を含めて、レストハウス有効活用について広島市市民局、経済局と話し合った。
(3)2005年3月4日、広島市立中央図書館「広島文学資料室」に学芸員(嘱託職員)が配置されることになったことをうけて、広島市市民局および中央図書館と話し合った。「広島に文学館を!市民の会」および本プロジェクト遂行の立場から、広島文学資料の整理・有効活用を進めるよう強く要請するとともに、「市民の会」として協力にやぶさかでないことを伝えた。また、「広島文学資料室」では、広島ゆかりの文学者として20名を選定しているが、その枠の拡大と、栗原貞子氏所有の文学資料の受け入れを求め、前向きの回答を得た。
本プロジェクトの遂行を通じて、1987年結成の「広島文学資料保全の会」を継承した「広島に文学館を!市民の会」の活動が、いくつかの文学資料の電子化、原爆文学英文文献目録の作成、原民喜「被爆手帳」の英訳などを通じて、具体的な進展をみたことは大きな成果といえよう。
また、報道機関との連携を通じて、広島市への働きかけを強めた結果、広島市立中央図書館との協力関係も進展した。特に中央図書館「広島文学資料室」への学芸員(嘱託職員)の配置は大きな成果といえよう。中央図書館所蔵の文学資料の整理と有効活用の可能性が開かれたからである。
しかし、本プロジェクトおよび「広島に文学館を!市民の会」が最終的に目指している「ヒロシマ文学館」(仮称)の開設については、平和記念公園内のレストハウス(旧大正屋呉服店)の文学館への転用を要請したものの、全く目途が立っていない。
当面、HP「広島文学館」を充実させ、広島の文学、とりわけ原爆文学への関心と敬意を喚起することによって、文学館開設へ向けた世論の盛り上がりを期待するしかないと思われる。その際、2005年に被爆60周年を迎えた広島/ヒロシマの世界史的な重要性と世界的な関心に応えるため、英文コンテンツの充実がとりわけ重要である。しかし、本プロジェクトの遂行を通じて、文学作品の英訳などは一市民団体による短期間のプロジェクトでは限界があることも痛感された。
本プロジェクト終了間際の2005年3月6日、栗原貞子氏が逝去されたことに象徴されるように、広島文学資料の保全のために残された時間は多くはない。あらためて、「ヒロシマ文学館」の1日も早い設立が期待される所以である。