まず記念館への道順ですが、近鉄奈良線の八戸の里駅で降りると駅の改札のところに「司馬遼太郎記念館への道順」と書いた地図が置いてありますので、それを手に歩くこと8分(と案内の地図には書いてありますが、私は周囲のことも知りたかったのでブラブラ15分ぐらいかけて行きました)、布施高校を越えるといわゆる「文化住宅」と呼ばれた関西風長屋が見えます。その庶民的なゴチャゴチャした町並みを越えると、突然雑木の林に包まれた「司馬遼太郎記念館」に到着します。
その入り口には数人の中・老年の男性がいて、客引きのように呼び込んでいます。見るとみな胸にガイドの印をつけていますので、聞いてみると全員ボランティアだそうです。そしてなお尋ねると、その数200人以上いて、都合のつくときにやっているとのことでした。(具体的にはいくつかの班に分けて、1日延べ10人ほどの人が案内、受付け、館内監視、清掃などをしているそうです)
広大な司馬邸に沿って雑木の林(これは司馬遼太郎の好きな景色だったそうです)を抜けていくと、書斎の前を通ります。中には入れませんが、執筆当時のままの書斎をサンルーム越しに見ることができます。その先に「司馬遼太郎記念館」はあるのですが、そのアプローチに入る前に記念碑(寄付者銘板)があり、そこにこの記念館設立のために寄付をした8000余人の氏名が刻んであります。あとで買い求めた司馬遼太郎記念館誌「遼」2001年秋季号(創刊号)によると、総事業費7億5千万円のうち5億5千万円は開館時に集まったとのことです。また、ボランティアの人に聞いたところでは(彼らは大変熱心にこちらの聞きたいことについて説明してくれました)、敷地の1,000坪(「遼」には2,000Aとありました)は東大阪市から借りているのだそうです。司馬邸(これもガイドの人の話では約1,000坪だそうです)の隣が東大阪市の浄水場のあとだったとのことで、駅の近くによくこんな広大な空き地があったものだと思いました。
司馬遼太郎記念館は円を4分の1にした形で、さらにその中心を正方形の庭園にしています。記念館の入り口は外側の円弧に沿って作られたガラス壁の回廊の先にあります。アプローチの回廊のガラス越しに雑木林を見ながらしばらく歩くことになりますが、ゆったりとした自然の空間と打ち放しのコンクリート壁が、ガラス壁でしきられることで美しいハーモニーをなしています。また司馬遼太郎の好きだったという菜の花がたくさん活けられていて、甘い香りがしていました。
入り口を入ってまず圧倒されるのは地下から2階まで吹き抜けになった書架と、そこに詰め込まれた書物の姿です。残された書物は約4万冊(彼は本を書くためにそのテーマに関するものを買い漁り、古本屋からは関係書が一切無くなったという伝説がありますが、必要でなくなったものはまた売り払ったとのことで、残された書物はまだ必要とみなされたものだそうです)の約半分が30段以上の書架に整理されて詰められているのですが、私のような貧しい書生には垂涎の書物があるように思われました。現在は残念ながら手にとって読むことはできませんが、将来は資料室という構想もあるようなので、そのうち手にとって見ることができるようになるかも知れません。また、随時展覧会やテーマごとの特別展示を行っているようです。
入館料は大人500円、高・中学生300円、小学生200円ですが、独自な建物や庭園のなかでの書物に囲まれたひとときのためには高いとは思いませんでした。
帰りは近鉄奈良線に乗るために河内小阪駅へと歩いてみました。徒歩約12分とありますが、やはり司馬遼太郎が好んで散策したという大きな樹木のある風景とゴチャゴチャした下町の風景や商店街を30分ほど散策して帰路につきました。
なお、この「司馬遼太郎記念館」は財団法人司馬遼太郎記念財団の経営するもので、「司馬遼太郎賞」、「司馬遼太郎フェローシップ」、「菜の花忌」シンポジウム、その他の講演会、展覧会などを主催しています。
自治体の資金援助に頼らない記念館(文学館)として注目されるものと思われます。
なお、より詳しくは同館のホームページをご覧ください。
(2003年3月12日記)