20数年前、社会思想史学会が松山商科大学(現 松山大学)で開催された際、たまたま宿泊した旅館の近くに大きな建物があったので何気なく入館した。松山市立子規記念博物館であった。展示も充実しており、正岡子規の生涯をつぶさに辿ることができた。それまで、松山といえば『坊っちゃん』、すなわち漱石だと思い込んでいた。松山市も観光面では、「坊っちゃん湯」「坊っちゃん列車」「坊っちゃん団子」などと、国民的な認知度の高い漱石と『坊っちゃん』をアピールしている。しかし、考えてみれば、『坊っちゃん』の中で、松山(市民)は田舎(者)だとバカにされているわけだし、漱石が松山に滞在した期間も限られている。松山市民が誇りに思うのは、松山生まれの子規であると大いに納得した。子規は松山滞在中の漱石に俳句の手ほどきしたという事実もその時初めて知った。
歳月が流れて、「広島に文学館を!市民の会」の運動に関わるようになった。文学館の一つのモデルとして、あの博物館をもう一度訪ねてみたいと願っていたが、ようやくその機会を得た。松山にある愛媛県立医療技術大学で集中講義をすることになったのである。8月13日、無事、講義を終えて、博物館を再訪した。常設展示とは別に「第49回 特別企画展 佐藤紅緑 子規門の多彩人」が開催されており、これも見物した。博物館は1981年の創立ということなので、私が以前訪れたのは開館して間もない頃だったことになる。このたびの特別企画展が49回目ということだから、1年に2回程度のペースで特別展が企画されているのだろう。
20数年前、大きくて立派だと感じた建物は、現在見ても、大きくて立派である。むしろ、「広島に文学館を!」の運動が明るい展望を見いだせない現状と筆者生来の貧乏性からすれば、文学館としては大き過ぎる、立派過ぎるのではないかとさえ思われた。これだけの建物を維持し、スタッフを擁して、それに見合う入場者を確保できるのだろうか、などと余計な心配をしてしまった。実際、盆休み中とはいえ(あるいは盆休み中にもかかわらず)、入館者はチラホラという感じでお世辞にも賑わっているとはいえなかった。
松山市が博物館の運営(経営)にそれなりの工夫というか「てこ入れ」をしていることは、現在、館長に『広告批評』編集長の天野祐吉氏という著名人を迎えていることからも伺うことができる。そして、天野館長効果はすでに形になり始めているようである。例えば、博物館では8月下旬から9月中旬にかけて、谷川俊太郎氏(詩人)、筑紫哲也氏(ニュースキャスター)、細川護煕氏(陶芸家、元首相)ら5人の超有名人を講師とした「納涼 道後寄席」という企画があり、全5回通し券(1万5千円)はすでに完売とのことである。このような企画は天野氏の力というか人脈があってのことであろう。普段は道後温泉街の中で比較的地味で静かな博物館=文学館が、「道後寄席」の期間中、文化イベントの場として賑わうのであろう。
子規記念博物館を23年前に建てた松山市は文学を、そして正岡子規を大切にしているとあらためて感じ入った。(2004年8月19日記)