小説『被爆舞踏曲』の意図とあらすじ

田端 展


(要旨)私は『被爆舞踏曲』で、被爆の惨状ではなくて、核分裂という物理現象との関わりで人間ドラマを描いた。「被爆文学」でない、文字通りの「原爆文学」を意図した。

 軽傷のため被爆直後の広島市の惨状を長時間目撃することのできた当時18歳の好奇心も吸収力も旺んだった私は、その後原爆を一面的でなく、立体的に、そして思想性を含んだ捉え方をした文学作品をものしたいと書いて消し書いては消ししたがものにならず、とうとう諦めかけた50年目に、魚釣りにも仕掛けが要るんだから小説にも仕掛けをと思いついたのが、昭和64年すなわち平成元年3月に開催という設定の広島被爆博覧会だった。手足を動かす動力に携帯原発を仕込み、センサーとマイコン仕掛けでパビリオン中に阿鼻叫喚を演じて見せる数千体の人体ロボット群を登場させた。死霊館というパビリオンで原爆や昭和天皇について論議する亡霊ロボットも数十体作った。

 主人公である博覧会のプロデューサー三矢丹が参加した社交ダンス仲間の忘年会で、頬にケロイドのある木村たまきが体右半分一面のケロイドを露わにヌードでソロのルンバを踊った。それは彼女の被爆博プロデューサーに反核を訴える、前にも後にもない演技だった。

 工場で展示物の制作工程が進むうち、反核が趣旨の原爆博になぜ携帯原発を持ち込むというマスコミの扱いに丹はじめ博覧会協会の会長ら幹部は対応に追われる。年末年始の休暇を丹夫妻は広島湾の遊覧船ツアーで過ごした。船での余興のダンス指導に木村たまきが講師で派遣されている。丹夫妻と木村たまき、ダンスのアシスタント宮川の4人で軍都広島の回顧談に耽る。

 3月20日のオープンの前日、総合リハーサルが行われる。会長ら一行は祈念壇、閃光・きのこ雲の館、叫喚の館、襤褸の館と回り、丹の案内で最後のパビリオン死霊館に入った。そこではコンパニオンに採用された木村たまきの司会で亡霊ロボットたちが被爆体験を語っている。そのうち話題が天皇に及び、昭和天皇のこの1月7日の崩御を知り驚愕のあまり腹中の携帯原発にヤスリを突き立てて殉死を図る者まで出、放射能漏れのため博覧会オープンができなくなり、協会員挙げて入場料払い戻しの手配に狂奔する。木村たまきは放射能の漏れている男の腹に抱きつき自分の体に吸収して自分らを山中に埋め、博覧会をオープンしてくれと叫ぶ。


講師・作家紹介1927(昭和2)年、広島市生まれ。(旧制)広島工専(現・広大工学部)卒。勤労動員先の広島市大洲町の工場で被爆、その日のうちに都心部に入る。作品『広島文学』に「市郎」「空中線」ほか、『広島文庫』に「夜の虚像」、『梶葉』に「被爆舞踏曲」、『新日本文学』に「歩数計」、著書『被爆舞踏曲』渓水社。