芝居を通じて、命の大切さや平和を訴えています。最近は中国残留孤児が主人公の一人芝居「花いちもんめ」の全国公演や、原爆詩の朗読活動を行い、勤め先の母校、広島女学院大の「ヒロシマ講座」では講師もしています。
原点は、返還前の沖縄に「海外旅行」した経験です。学生だった1969年、沖縄から「留学」してきた友人の実家に3週間、滞在し、沖縄戦の戦跡などを訪れました。友人の家族からは、米軍上陸を知ってガマ(洞穴)に隠れたこと、村人が米軍にたくさん殺されたことなどを聞きました。印象深かったのがひめゆり部隊が死んだガマ。薄暗い洞穴で、娘たちが無惨に死んだ事実が許せませんでした。
それと前後して原爆の犠牲になった移動演劇隊、桜隊を描いた「ガンマ線の臨終」(八田元夫著)を読みました。桜隊もひめゆり部隊も、当時の自分と同じ年ごろで命を落としました。その分、深く彼女たちに共感し、平和について考えるようになりました。
そして73年、峠三吉を描いた劇作家で演出家の土屋清が書いた芝居「河」を見たことで、私の人生は演劇の方向へ動いて行きます。復興に燃える生き生きとした50年代の広島の物語です。大学時代に演劇部に入っていましたが、自分も再びこうしたテーマで演じたいと強く思うようになり、「河」を上演した「劇団月曜会」に入りました。
土屋清は、終戦時は予科練で九州におり、原爆を免れました。しかし、広島に戻って、自分がヒロシマを描かねば、と思ったそうです。お互いの思いが重なり、土屋と結婚。約15年間、共に「河」などの上演活動をしてきましたが、87年にがんで亡くなりました。医師の告知通り、ちょうど6か月目でした。
その間、私は夫に付き添い、大切な人の命を失うことをどう乗り越えていけばよいのか考えていました。そして、この経験で、さらに「命」への思いが深くなりました。人生のかけがえのなさ、命の尊さを夫の死で改めて知ったのです。
以来、夫の遺志を継ぎ95年には歌手南一誠さんらとともに原爆投下前の爆心地近くの人間模様を描いた芝居「天神町一番地」を上演。今はじっくり少人数でやりたいと考え、一人か二人で芝居をしています。
一回きりの人生だからこそ、大切にしてほしい。無惨に人が殺されていく戦争は起こしてはならない。芝居を通じて、これからもこの二つのことを訴えていきたいと考えています。(聞き手 阿利明美)
参考
池田正彦「地元の文化を大切に」(「讀賣新聞(広島版)」2005年4月21日)
成定薫「書かれたものの力信じて」(「讀賣新聞(広島版)」2003年2月5日)
水島裕雅「原爆文学の意義高める」(「讀賣新聞(広島版)」2002年5月8日)