「福岡市立文学館」訪問をきっかけにした様々な感想

ウルシュラ・スティチェク(Urszura Styczek)


 6月の末に、「広島に文学館を!市民の会」の五人のメンバーで福岡を訪れました。私は、外国人であるので、この市民の運動における様々な行政的な問題とは直接関係を持つことは困難であるが、しかしやはり外国人として、この運動の努力や立派な企画を応援しているので、九州に一緒に行きました。今回の「福岡市立文学館」訪問をきっかけとしてと考えたことを簡単に紹介したいと思います。しかしこれは全く素人の考えであるので、見当違いのことや間違っていることがあるかもしれませんが、あらかじめお許しを願います。

 福岡市を広島市と比べるとしたら、まず福岡市の規模の方が広島市のそれよりも大きいことがわかります。経済上も、また文化活動においても、さらに文学の活動の方面からみてもと、広島の方が豊かでない<地方>(田舎)の町であると感じています。しかし、文学館を作る資金はないと広島市が言うことに対しては、私は不思議に思っています。<平和の町><国際平和文化都市>と名づけている広島を、毎日、国内・国外の多くの旅行者が訪ねて来ます。こうした人々が広島にもたらすお金の一部でも使えば、文学館を作ることができると思います。さらに逆に、広島よりかなり規模が小さくもっと経済力のない町でも(たとえば福山、岡山、尾道、津和野、山口など)<文学館>や文学に関する記念館がたくさん建てられています。つまり、これは予算の問題ではなく、どこか市役所に気の進まない考え方があるからでしょうか。広島の「広島に文学館を!市民の会」の大きな熱心さに対して、広島市の役人の気乗りしない気持ちがもっとも大きな障害となっているような気がします。なぜこう考えるかというと、福岡市の例を見てきたからです。福岡市では「福岡市立文学館」を作る発想は当然文学者や市民の側にもありましたが、その働きかけに応える市長や市役所の役人がいて、とくに市役所と市議会の協力があって、昨年5月に「福岡市立文学館」が1年間の検討委員会の審議の結果「福岡市総合図書館」の一部として、<文学の窓口>として営業することになったのです。市役所の理解があったからこそ、福岡の文学館は始まったのです。

 「福岡市立文学館」に戻りましょう。文学館を作る観念や行動自体だけでなく、「福岡市立文学館」の建物自体が立派です。ヨーロッパから来た私は、その建物を見学した時にとても感動しました。文化財の建物であり、歴史や文化(さらに文学!)を感じさせる建物であり、日本の稀な建築の例として大事に保存されている同時に、市民の文化センター(文学を含めて)として使われるという観念がとても素晴らしいと思います。その<古い文学館>に入ると、私が文学を研究しているものとして、直ちに想像力が働き出しました。天井の高い部屋に、不思議な形をしている様々な部屋に、多くの作家たちについての展示物を想像してみました。それから直ぐに、広島にも同じように旧日銀広島支店や広大の千田町にある赤煉瓦の旧理学部の建物の中に似たような展覧会があることを想像してみました。その時に考えたのは、文学や歴史についての記念館は、やはり、その歴史を感じさせる建物の方が良いということです。なぜかというと、見物人を誘うのは中身だけでなく、建物全体でもあります。「福岡市立文学館」の入っている「福岡市立赤煉瓦文化館」を出てからそう思いました。ちなみに、「福岡市立文学館」の展示物を見て、少しがっかりしました。もっと<文学的な>展示物がおいてあると思ったのに、わりに少なかったのです。しかし、ヨーロッパ人である私の考えには間違いがあるのでしょう。日本の気候は湿気が多いので、適切な空気調節装置がないと、展示物は直ぐに痛み劣化してしまいます。その文学館にはそうした設備はなかったような気がします。

 今年の8月に水島教授と共にポーランドに行きます。この際に先生に幾つの「文学館」を紹介したいと思います。ヨーロッパ日本研究協会の3年に1度の学会が行われるワルシャワには「文学館」(Muzeum Literatury)が都市の真ん中にあります。旧市街の広場にある15世紀の建物です(写真をご参照ください)。やはり、古い由緒のある建物の中で、国の財産である文学が国民に紹介されています。我々広島市民も広島市の財産である文学を「福岡市赤煉瓦文化館」のような場所で紹介しなければなりません。(2003年7月10日記)