民喜の戦前と戦後の作品を比較してみると、前者と後者の時代における作品の特徴を明らかにすることができる。とくに<社会的不安>の角度から検討すると、日本で第二次世界大戦前の情勢下の脅威や恐怖が膨張していたことは、あまり彼の文学に反映されていない。永井貞恵と結婚生活を営み始めて(1933年 3月)、真面目な作家活動も送り始めたが、<昔の非合法的活動>の影響で、また1934年の春に、検挙され、一晩の拘留で帰された。当時、書かれた作品の趣以前と違っていて、この世の事柄でなく、むしろより幸せな<この世>の幼年時代の回顧、あるいは既に<あの世>、つまり死の世界の方が近くなってきたという印象を与える文章がほとんどです。『焔』に収められた数多くの作品は、「私小説」のようであり、あるいは日記のような文体で書かれ、ほとんど民喜自身の心境と家族のことを描写する作品だ。
『焔』『死と夢』『幼年画』の彼の主人公たちは、民喜と同様に、「無言の人物」「弱者」「分裂病質者」「意志薄弱、感情異常な少年」という特徴を持つ少し変人である。彼らは、人から逃げ出したり、他人への恐怖を感じたりして、精神的に傷付けられやすく、自分の世界に閉じこもり、自己と外的世界との間のつながりを断って、精神的にも、体格的にも衰弱している。
戦前にデビュー作として発表した、彼の唯一の単行本になったコント集は、1935年3月に白水社より自費で刊行された『焔』だ。この64編は、1933−35年の間に完成したもので、きわめて短く断片的な「小品」であり、雰囲気的にかなり不思議で暗いものだ。少年時代と学校時代の精神的な悩み、大学生時代の共産主義活動の参加に関する苦悩と、その参加のつらい結果、大学卒業後の<人生の迷い>、そして家族と親友の死などの主題は、『焔』を支配している。自殺の視点から見た<死への憧れ>、<死の恐ろしさ>、<病気の不安><病死の恐れ>というモチーフは、「秋旻」「五月」「コレラ」「閑人」「稲妻」と「針」にある。<いじめの不安>と<少年時代の悲しい思い出>というモチーフは、「恐怖教育」にある。また、自然の猛威から生まれる不安について「難船」で語っている。「童話」に現われた民喜のもう一つの不安、実存的不安だった。戦前の作品に現われた不安の根拠は、作家の身近な環境、自分の経験から生まれたものだ。戦前の不安が、むしろ<幻想的不安>と呼ばれた方がよい。
1935-1941年の間に(一作−1948年)様々な雑誌に投稿された短編は、戦後になって民喜自身によって二つの短篇集にまとめられた。『死と夢』(10編)と『幼年画』(9編)は<実存の不安>を描いている。表題のとおりに死が夢と完璧に交錯していて、どちら夢幻か、どちら現実かは、読者に分からない。なおその上に、この区別は作家自身にも分からないというような印象を読者は受ける。民喜は<死>と<生>を離れたところから見つめているような感じで、冷静で文学的に熟練した方法で描写している。なおかつ時には、彼にとってこの死はそんなに恐ろしいものではなく、想像された自分の死さえも<笑えないユーモア>で語っている。時には、親戚の死を認めたがらず、作品の中で彼らを復活させている。『焔』の主題と較べれば、『死と夢』と『幼年画』の作品群には、自分の<不安>のテーマは少なく、むしろ家族の死の回顧が多いのです。1930年代の前半の<幻想的不安>は、戦後の民喜の文学においては<現実的不安>になって行きました。
講師紹介:ワルシャワ大学日本学科在学中に原爆文学について卒論を
書くことに。ポーランド語訳の『夏の花』を読んで,主に
原民喜を取り上げた。1991年日本留学。広島大学へ(研究生)。修士論文は戦前の作品について。現在博士論文に挑
戦中。 ポーランドの収容所文学と原爆文学を対比。