人類最初の被爆地、広島からは、「ちちをかえせ ははをかえせ」で始まる峠三吉さんの「序」や原民喜さんの「夏の花」など、多くの原爆文学が生まれました。原爆がもたらした痛みを表現した作品や資料を展示する広島文学館(仮称)を被爆建物の日銀旧広島支店を活用して、ぜひ実現させたいと昨年1月、会を結成しました。
文学館を作ろうという運動は1987年、広島大教授だった好村冨士彦さんや詩人の栗原貞子さんらが発起人となって始まりました。好村さんらは広島文学資料保全の会を結成。文学者の散逸しつつあった草稿やメモなどを収集し、1万数千点の資料を広島市立中央図書館に寄贈しました。だが、展示されているのはほんの一部で、ほとんどは箱に入れられ、積み上げられたままです。
私は約20年前、広島で開かれていた「原民喜展」で、原さんが被爆して逃げ、東照宮で野宿をする途中に「夏の花」のもとになるメモを書き留めた手帳を見て、「自分の命も危ない時にこんなものを書き留めるとは」と強い文学者魂に衝撃を受けました。その原動力の秘密を知りたいと思ったのが、原爆文学を本格的に学ぶきっかけでした。原さんの全集を読み、そこで原さんが戦前から、軍国主義体制に抵抗する気持ちを抱いていたことを知りました。
若き日の遠藤周作さんも、原さんを尊敬していた一人で、手紙を書き、親交を結んでいます。しかし広島ではこうしたことは思った以上に知られていないし、原爆文学の作家たちの評価も決して高くありません。広島の人たちがまず何よりも誇りに思ってほしいのです。
市民の会は、メンバーが高齢化した保全の会の活動を手伝い、さらに発展させたいと、昨年から市長宛の要請文を提出、月1回朗読会を開いています。朗読会は毎回満席で、20人だった会員も今では2百人を超えました。昨年7月末から8月にかけての12日間、原さんら5人の作家の資料や写真を展示した原爆文学展を日銀旧広島支店で開き、約3千3百人が訪れました。文学館は年間10万人入れば成功と言われています。ここなら平和記念資料館にも近く、隣接する頼山陽史跡資料館とともに、近世から現代までの文化に触れられるゾーンとして、多くの人が訪れると思います。
米同時テロやその報復攻撃をみてもわかるように、戦争で核が使われない保証はどこにもありません。21世紀が平和の世紀になるかどうか、感情ではなく、「理性の言葉」である文学に耳を傾けてもらい、そのきっかけを考えてもらいたい。そのためにも広島に文学館は必要なのです。(聞き手 読売新聞社呉支局東広島通信部 石原啓子)
参考
土屋時子「一回きりの人生大切に」(「讀賣新聞(広島版)」2005年8月24日)
池田正彦「地元の文化を大切に」(「讀賣新聞(広島版)」2005年4月21日)
成定薫「書かれたものの力信じて」(「讀賣新聞(広島版)」2003年2月5日)