広島文学館

広島/ヒロシマの文学を語る
(エッセイ、論文)

 「広島に文学館を!市民の会」では、文学館設立運動の一環として広島/ヒロシマの文学を朗読会や講演会などを通じて読み、語っています。また、会員はさまざまな機会・場所で広島/ヒロシマの文学の意義と文学館設立を論じ訴えています。このサブサイトでは、(会員/非会員を問わず)広島/ヒロシマの文学をめぐって語られた言葉・発言を収録します(順不同)。ご意見・感想などをEメールで事務局m-ike@y7.dion.ne.jp宛てお寄せ下されば幸いです。なお、以下の論考・発言を論文などで引用・言及される場合は、本ホームページと原出典を明記して下さい。

更新日 2010/4/13


講演・論文・エッセイなど

 

68. 水島裕雅「峠三吉と「われらの詩の会(2009年8月広島大学東千田キャンパスで開催された戦後文化運動合同研究会と原爆文学研究会の合同研究会「〈広島/ヒロシマ〉をめぐる文化運動再考――「つながり」と想像力の軌跡」における基調講演として発表され、加筆修正後『原爆文学研究』8(原爆文学研究会、2009年12月)95~106頁に収録された原稿を著者の了解を得て掲載します。)

 

67. 水島裕雅「戦争と文学――文学的抵抗の問題を中心として(2008年10月25日に韓国・ソウルの中央大学において開催された韓国日本近代文学会の基調講演を著者の了解を得て掲載します。)

 

66.       成定薫広島文学館運動の軌跡 1987年〜20092009530日、UCLAで開催されたワークショップ「日本の科学・技術・医学における国家的形成の連続と非連続——戦前・戦中・占領期」(Dis/Continuities: Nation-State Formation in Japan with Science, Technology, and Medicine during Imperialism, War, Occupation, and Peace, 1932-1962)における報告)

 

 英文はここをクリック。

 

65. 水島裕雅「核拡散 意義高まる原爆文学、峠三吉と栗原貞子の資料 文学館のない広島で、大学や図書館で活用」(「毎日新聞」(2008年9月13日)を著者の了解を得て掲載します。)

 

 原爆文学の意義を論じつつ、峠三吉や栗原貞子らの文学資料をめぐる新しい動きを報告しています。

 

64. ブックレット『峠三吉を語る くずれぬへいわを』(市民の会ブックレットVol.3)

 

 峠三吉について、従来あまり知られていなかった側面を取り上げ、詩人の全体像に迫ろうという野心的な意図のもとに編集・執筆されたブックレットです。A5版、113頁、頒価700円。執筆者:相原由美、御庄博実、海老根勲、水島裕雅、好村冨士彦、四国五郎、池田正彦、さかもとひさし。ほかに年譜、写真、新発見の資料など。ご注文・お問い合わせは電話やメールで「広島に文学館を!市民の会」事務局まで。

 

63. 池田正彦「『原爆詩集』に至る叙情の源流(「中国新聞」(2008年6月4日)を著者の了解を得て掲載します。)

 

 峠三吉の詩4編(新発見、未発表)の意義を論じ、『原爆詩集』に至る峠の自己変革について論じています。

62. ブックレット『大田洋子を語る 夕凪の街から』(市民の会ブックレットVol.2)

 大田洋子の再評価を求め『大田洋子を語る 夕凪の街から』(市民の会ブックレットVol.2)を2007年7月14日に刊行しました。A5版、130頁、頒価800円。執筆者:安藤欣賢、水島裕雅、亀井千明、古浦千穂子、フランチェスコ・コモッティ、平本伸之。ご注文・お問い合わせは電話やメールで「広島に文学館を!市民の会」事務局まで。

61. 海老根勲「帰ってきた「原爆詩集」 命削った三吉の格闘 推敲重ねた言葉現代照射」(『中国新聞』2007年2月6日)を著者の了解を得て掲載します。

 著者は「広島花幻忌の会」事務局長。三吉のご遺族から提供された「原爆詩集」草稿の意義について述べています。

60. 水島裕雅「広島の文学と文学館創設運動について」(広島平和記念資料館のメールマガジン2006年10月号(第39号)のコラム「広島の風」に寄稿された原稿)を著者の了解を得て掲載します。

59. ブックレット『栗原貞子を語る 一度目はあやまちでも』(市民の会ブックレットVol.1)

 「広島に文学館を!市民の会」はブックレットを刊行します。創刊号は『栗原貞子を語る 一度目はあやまちでも』(99頁、頒価700円)です。2005年開催のシンポジウム「栗原貞子を語る」の記録や『栗原貞子 全詩編』(2005年、土曜美術社刊)未収録の作品、写真、「年譜」などを収めました。ご注文・お問い合わせは電話やメールで「広島に文学館を!市民の会」事務局まで。

58. 水島裕雅「広島の発言:2006 原爆文学の価値を大切に」(「毎日新聞」2006年6月22日を発言者の了解を得て掲載します。)

57. 古浦千穂子「栗原貞子の人と文学」

 2006年3月26日、広島市立中央図書館での講演を著者自身が文章化したものです。著者は、栗原貞子の生涯と文学を、夫唯一との出会いや、生涯を通じて変わることのなかった反戦・平和・愛の思想にそくして、共感を込めて論じています。

56. 水島裕雅「栗原貞子論--原民喜との比較を中心として」(『プロブレマティーク』別巻第2号(2006年3月)、3-23頁)を著者の了解を得て掲載します。

 2005年8月7日に「広島市まちづくり市民交流プラザ」で開かれたシンポジウム「被爆60周年 栗原貞子文学資料展記念講演会 栗原貞子を読む」での発表要旨に加筆し、広島大学教育学部で開催された第17回原爆文学研究会(同年12月10日)で発表したものをさらに若干修正したものです。

55. 竹西寛子「『夏の花』の喚起」

 2005年11月13日、広島市中区幟町の世界平和記念聖堂で行われた「原民喜生誕100周年祭 記念講演会」における作家・竹西寛子さんの講演です。

54. 水島裕雅「第16回原爆文学研究会に参加して」

 著者は、2005年9月10日、九州大学(福岡)で開催された「第16回原爆文学研究会」に参加しました。その報告です。

53. 土屋時子「一回きりの人生大切に」(「讀賣新聞(広島版)」2005年8月24日付け)を発言者の了解を得て掲載します。

 「語りたい伝えたい ヒロシマ」という連載記事の中での発言です。芝居への思いを語っています。

52. 水島裕雅「第15回原爆文学研究会に参加して」

 著者は、2005年7月16日、九州大学(福岡)で開催された「第15回原爆文学研究会」に参加しました。その報告です。

51. 水島裕雅「広島の文学ならびに文学館創設運動について」(歴史教育者協議会(編)『歴史地理教育』686号(2005年7月1日発行)を著者の了解を得て掲載します。

 広島の文学事情と文学館創設運動の現状を紹介しています。

50. 水島裕雅「戦争と女性作家--大田洋子を中心として」(科研報告書「戦争・他者・美意識--美意識における異文化理解の可能性」2005年3月、72-81頁)を著者の了解を得て掲載します。

 著者による一連の戦争期女性作家研究の成果。トータルな視点からの大田洋子研究の必要性・重要性を訴えています。

49. 池田正彦「地元の文化を大切に」(「讀賣新聞(広島版)」2005年4月21日付け)を発言者の了解を得て掲載します。

 「語りたい伝えたい ヒロシマ」という連載記事の中での発言です。ヒロシマにかかわる本や画集の出版にかかわってきた思いを語っています。

48. 水島裕雅「第14回原爆文学研究会に参加して」

 著者は、2005年4月2日、山口市湯田温泉で開催された「第13回原爆文学研究会」に参加しました。その報告です。

47. 水島裕雅「第13回原爆文学研究会に参加して」

 著者は、2004年12月18日、九州大学(福岡)で開催された「第13回原爆文学研究会」に参加しました。その報告です。

46. 海老根勲「私もしたい?たる募金」(『ビジネス界』2005年1月号)を著者の了解を得て掲載します。

 著者は「広島花幻忌の会」事務局長。平和公園内にあるレストハウスの現状について言及しています。

45. 大井健地「文学館がほしい」(『広島県立図書館友の会ニュース No.30』2004年9月30日)を著者の了解を得て掲載します。

 著者は広島県立図書館友の会運営委員。「広島県に文学館を!県民の会」を結成して「広島県立文学館」設立を目指そうと提案しています。

44. 水島裕雅「「広島に文学館を!」という運動について」(『広島県立図書館友の会ニュースNo.30』2004年9月30日)を著者の了解を得て掲載します。

 広島に文学館がないこと、しかし広島には文学館が必要である理由を、歴史的経緯を踏まえて訴えています。

43. 水島裕雅「第12回原爆文学研究会参加記録」

 著者は、2004年9月11日、大分県立芸術文化短期大学で開催された「第12回原爆文学研究会」に参加しました。その報告です。

42. 花田俊典「福岡市文学館のとりくみについて」

 著者は九州大学教授(近代日本文学)。福岡市文学館の創設に深く関与されました。「原爆文学研究会」「広島花幻忌の会」「広島に文学館を!市民の会」の合同の研究会(2003年9月27日、広島市まちづくり市民交流プラザ)で基調講演として新しい文学館のイメージを語っていただきました。その際、配布された資料です。2004年6月2日、著者は急逝されました。

41. 水島裕雅「花田俊典先生の急逝を悼んで」(『原爆文学研究 3』)を著者の了解を得て掲載します。

 2004年6月に急逝された花田俊典氏(九州大学教授)を悼み、氏の人となりと著者との交流を綴っています。

40. 池田正彦・松尾雅嗣「峠三吉東京資料:峠資料電子化の文脈で」(『広島平和科学』26(2004年)pp.101-131)を著者の了解を得て掲載します。

 「広島文学資料保全の会」と「広島大学平和科学研究センター」の共同研究の成果をまとめた紀要論文です。論文末尾に膨大な資料リストが付されています。

39. 水島裕雅「広島に文学館を!」(『反戦情報』2004.8.1(No.239) )を著者の了解を得て掲載します。

 広島における文学館設立運動の経緯を述べ、広島文学館設立の重要性と緊急性を訴えています。

38. 水島裕雅「原爆の報復越える倫理 原民喜「夏の花」三部作連載に寄せて」(『中国新聞』文化欄、2004年7月16日)を著者の了解を得て掲載します。

 『中国新聞』に原民喜の代表作『夏の花』三部作が連載されるにあたって、作品の現代的意義を論じています。

37. 水島裕雅「第11回原爆文学研究会に出席して」

 著者は、2004年7月3日、九州大学(福岡)で開催された「第11回原爆文学研究会」に参加しました。その報告です。

36. ウルシュラ・スティチェク「原爆文学の英訳文献一覧」

 著者が学位論文執筆のために収集整理した原爆文献目録のうち、英語文献・英訳文献に限定したリストです。

35. 安藤欣賢「文学館のイメージ」(2004年2月28日「広島に文学館を!市民の会」例会での講演要旨)を講師の了解を得て掲載します。

 著者は「中国新聞」記者として、長年、広島の文学、文学者と関わってきました。その経験を踏まえて、被爆60年を間近に控えた広島の文学館のイメージを語っています。川口氏の講演「被害と加害のディスクール--「広島よ、おごるなかれ」と「ヒロシマというとき」、そして『戦争論3』」への批判が含まれています。

34. ウルシュラ・スティチェク「自殺の予告と「心願の国」」(広島花幻忌の会『雲雀』第4号、2004年、26-33頁)を発行者の了解を得て掲載します。

 著者はポーランド出身で広島在住の文学研究者。長年、原民喜の作品を研究してきました。自殺に至る民喜の心の軌跡を跡づけています。

33. 御庄博実「広島のなかのイラク」(『新・現代詩』2003年冬・11号)を著者の了解を得て掲載します。

 広島を代表する詩人が、広島/ヒロシマとイラクを重ね合わせて語っています。詩人最新の連作「劣化ウラン(氈j〜(・)」も読むことができます。

32. 川口隆行「原爆文学」論2篇

 著者は台湾の大学で日本文学を講じています。「広島に文学館を!市民の会」会員。19に掲載の3論文も併読して下さい。 

 「被害と加害のディスクール--「広島よ、おごるなかれ」と「ヒロシマというとき」、そして『戦争論3』」

 第8回「原爆文学研究会」(2003年9月27日、広島市まちづくり市民交流プラザ)における研究発表の要旨。

 「朝鮮人被爆者を巡る言説の諸相--一九七○年前後の光景」『プロブレマティーク4 文学・教育4』2003年7月。

31. 海老根勲「旧日銀の保存・活用策の具体化についての提言」

 広島市の「旧日銀広島支店企画運営委員会委員」公募(広報誌『ひろしま市民と市政』2003年9月15日号)に著者が応募した際、提出したものです。旧日銀広島支店を実際に活用した経験を踏まえて、設備の改善策などを提示しつつ、具体的・実践的な活用法を提案しています。遺憾ながら、著者は委員には採用されませんでした。

30. 成定薫「今を語る……2002-2003 ネット版「広島文学館」のこと」(『広島大学 2003』)を著者の了解を得て掲載します。

 2003年春、広島大学を卒業・修了した学生諸君のためのアルバム(編集・発行は広島大学消費生活協同組合)に寄稿したものです。HP「広島文学館」成立の経緯を語り、広島文学館設立運動への協力を呼びかけています。 

29. 池田正彦「苦難の『原爆詩集』--再評価したい峠三吉」(『中国新聞』2003年8月5日付け)を著者の了解を得て掲載します。

 「峠三吉没後50年の会」事務局長である著者は、広島/ヒロシマの市民的財産とも言うべき峠三吉『原爆詩集』をとらわれない立場から再評価するよう訴えています。

28. 池田正彦「峠三吉没後50年、文学資料展から見えてくるもの」(『原爆文学研究』第2号に投稿中)を著者の了解を得て掲載します。

 著者は、「峠三吉没後50年の会」事務局長として、2003年4月から5月にかけて、文学資料展や講演会・シンポジウムなどの企画・運営にあたりました。その経験を踏まえて、何が見えてきたかを率直に語っています。

27. 水島裕雅「第7回原爆文学研究会参加記録」

 著者は、2003年6月28日、九州大学で開催された「第7回原爆文学研究会」に参加しました。その報告です。

26. 大牟田聡「原民喜--「内なる子供」が死んだ日」(広島花幻忌の会『雲雀』第3号、2003年)を発行者の了解を得て掲載します。

25. 安藤欣賢「イラク戦争と大田洋子の「魂」」(広島花幻忌の会『雲雀』第3号、2003年)を発行者の了解を得て掲載します。

24. 好村冨士彦さんの峠三吉論3編

 好村冨士彦さんのご遺族から、好村さんがかなり前に発表された峠三吉論3編を提供していただきました。それぞれ、峠三吉逝去直後、没後30年、没後40年という節目に執筆されたものです。故人とともに峠没後50年を迎えることが出来なかったのは痛恨の極みです。

 好村冨士彦「追悼 峠三吉」、『峠三吉追悼文集 風のように炎のように』1954年2月、pp.42-43。

 好村冨士彦「反核の詩人峠三吉 没後30年に思う 」、『中國新聞』文化欄、1983年3月6日。

 好村冨士彦「死者はいつまでも若い 」、峠三吉記念事業委員会『ヒロシマの青春 私の中の峠三吉』、1994年7月、pp.84-89。 

23. 朝倉勇「峠三吉『原爆詩集』をめぐって」

 歴程「夏の詩のセミナー」(2002年8月24日)における講演概要を好村玲子氏を通じて提供していただきました。峠三吉『原爆詩集』から多くの詩が引用されています。

22. 長津功三良「原爆文学の継承」(「中国新聞」2003年3月30日付け)を著者の了解を得て掲載します。

 広島における最近の文学運動を紹介し、若い世代へ原爆文学を継承することの重要性について語っています。

21. 成定薫「書かれたものの力信じて」(「讀賣新聞(広島版)」2003年2月5日付け)を発言者の了解を得て掲載します。

 「語りたい伝えたい ヒロシマ」という連載記事の中での発言です。当HPの管理者がどのような経緯と意図でHPの制作に携わっているかが紹介されています。

20. 成定薫「ヴァーチャル文学館構築の試み」(FINE-広島第46回研究会報報告)

 2002年9月14日、「情報倫理の構築プロジェクト(FINE)」広島研究会で著者が行った報告。「文学資料保全の会」や「広島に文学館を!市民の会」などの活動の中からこのホームページ(「広島文学館」)を立ち上げるに至った経緯を紹介しています。

19. 川口隆行「原爆文学」論3篇、一挙掲載!

 著者は、台湾・東海大学文学院日本語文学系で日本語・日本文学を教える気鋭の研究者。「広島に文学館を!市民の会」会員。最近、「原爆文学」をめぐって精力的に論考を発表しています。著者の了解を得て、3論文を一挙掲載します。

 「原爆文学」という問題領域—「夏の花」「黒い雨」の正典化、あるいは『原爆文学史』—(『プロブレマティーク 文学/教育2』2001年7月)

 「原爆文学」という問題領域・再考(『原爆文学研究 1』2002年8月)

 「原爆文学研究」の可能性—9・11、日本国憲法、ポストコロニアル—(『プロブレマティーク。 文学/教育3」2002年7月)

18. 水島裕雅「香月美術館と金子みすヾ館を訪ねて」

 著者は、2002年9月、山口県を旅行して「金子みすヾ館」などを訪ねました。その感想です。

17. 追悼 好村冨士彦先生

 2002年9月19日、「広島文学資料保全の会」代表幹事、「広島に文学館を!市民の会」幹事などとして、長年、広島の文学資料の保全と文学館建設運動に携わってこられた好村冨士彦さん(広島大学名誉教授、ドイツ文学・ドイツ思想)が心不全のため亡くなられました。好村さんを追悼して、「追悼文集 希望へのかけ橋」や告別式で読まれた弔辞などを掲載します。

 追悼文集「希望へのかけ橋」(12月14日の故好村冨士彦さんを偲ぶ会)に寄せられたメッセージ)

 好村冨士彦遺稿・追悼集刊行委員会(編)『考えることは乗り越えることである 好村冨士彦遺稿・追悼集』三元社、2003年。(2002年9月に逝去された好村冨士彦さんの遺稿および、ご遺族、友人などの追悼文集です。2段組、612ページの大冊です。)

 水島裕雅「弔辞 好村冨士彦先生」(9月21日の告別式で「市民の会」代表の水島さんが読まれた弔辞)

 古川千家「弔辞 好村冨士彦先生」(9月21日の告別式で卒業生を代表して古川さんが読まれた弔辞)

 好村滋洋「ご挨拶」(9月21日の告別式で親族を代表して好村滋洋さんが述べられたご挨拶)

 追悼記事(「中国新聞」9月28日付け)

 古川千家「好村冨士彦先生を偲んで」(「図書新聞」2002年10月12日)

 S.K(古川千家)「編者序言」(好村さんが広島大学文学部を定年退官された際に出版された『退官記念論文集』の編者の序言)

 好村冨士彦「回顧と反省」(『退官記念論文集』に好村さんが寄稿した文章)

16. 水島裕雅「第4回原爆文学研究会」

 著者は、2002年9月1日、長崎大学で開催された「第4回原爆文学研究会」に参加しました。その報告です。

15. 杉原早紀「九十年代に語られた二つの広島の物語--井上ひさし『父とくらせば』『紙屋町さくらホテル』」(『藝術研究』第15号、2002年、pp.1-12)を著者の了解を得て掲載します。

 著者は広島大学大学院在学中の若手研究者。「広島に文学館を!市民の会」会員。若い世代の視点から、井上ひさし氏の近作にそくして、原爆文学がもつ意義と可能性について論じています。

14. 水島裕雅「広島の文学館の可能性」(『藝術研究』第15号、2002年、pp.81-87)を著者の了解を得て掲載します。

 著者は、これまで広島に文学館が設立されてこなかった経緯を紹介し、広島にふさわしい文学館について現実的で具体的なイメージを提案しています。

13. 水島裕雅「死者たちの家」(『ビルメンテナンス』2002年8月号、pp.27-28)を著者の了解を得て掲載します。

 著者は被爆建物としての旧日本銀行広島支店を紹介し、ここを会場として「原爆文学展〜5人のヒロシマ」が開催された意義を論じています。

12. 水島裕雅「広島に文学館を!市民の会について」(『原爆文学研究』創刊号、pp.101-103)を著者の了解を得て掲載します。

 「原爆文学研究会」は、このたび会誌『原爆文学研究』を創刊しました。著者は「近況報告」として、「広島に文学館を!市民の会」結成に至る経緯と「市民の会」の活動を紹介しています。

11. 嘉指信雄「“私たちの悲しみは、戦争を求める叫びではない”--アメリカのもう一つの声」

 著者は「ヒロシマ・ナガサキ平和使節団」のメンバーとして、2002年4月から5月にかけてアメリカを訪問しました。その報告です。使節団のアメリカでの活動や9/11被害者遺族との交流が詳しく紹介されています。

10. 水島裕雅「第3回原爆文学研究会」

 著者は、2002年6月29日、九州大学(福岡)で開催された「第3回原爆文学研究会」に参加しました。その報告です。

9. 「文学資料データベース」好村冨士彦「解説 峠三吉の遺稿「生」について--「ちちをかえせ」が成立するまで」を掲載しました。

 峠三吉の遺稿「生」、およびその下書きメモなどから、峠三吉『原爆詩集』の「序詩」にいたる過程を分析しています。(自筆原稿「生」と下書きメモの写真も掲載されています。)

8. 水島裕雅「原爆文学の意義高める」(「讀賣新聞(広島版)」2002年5月8日付け)を発言者の了解を得て掲載します。

 「語りたい伝えたい ヒロシマ」という連載記事の中での発言です。個人的な経験にそくして、原爆文学の意義や文学館の必要性を強く訴えています。

7. 中山茂「世界の原爆文学」(『思想の科学』1969年8月、pp.14-25)を、著者の了解を得て掲載します。

 著者は広島出身の科学史家(中山氏のHPはここ)。「著者と妻との対話」の形で被爆体験と原爆文学について語っています。末尾に、HP掲載にあたっての著者のコメントがあります。

6. 黒古一夫「核状況に抗する文学--原爆文学の存在意義」(『長崎平和研究』No.12、2001年11月、pp.80-94)を、著者の了解を得て掲載します。

 2001年7月28日、原爆資料館メモリアルホールで行われた「原爆文学展〜5人のヒロシマ 記念講演会」(「広島に文学館を!市民の会」主催)での著者の講演(原題「核の現状と原爆文学--グランド・ゼロからヒロシマ・ナガサキを考える」)を文章化したものです。

5. 水島裕雅「広島に文学館を」(『広島人』2002年春季号、pp.51-56)を、著者の了解を得て掲載します。

 「広島に文学館を!市民の会」誕生の経緯がつづられており、好村「広島文学館への道--広島文学資料保全の会の活動」の続編ともいうべき論考です。

4. 水島裕雅「長崎訪問記--原爆文学研究会と遠藤周作文学館」

 著者は、2002年3月30日、長崎で開催された「原爆文学研究会」に参加し、あわせて遠藤周作文学館を訪問しました。その報告です。

3. 好村冨士彦「広島文学館への道--広島文学資料保全の会の活動」(『新日本文学』2000年9月号、pp.62-67)を、著者の了解を得て掲載します。

 「広島に文学館を!」という運動の先駆けとなった「広島文学資料保全の会」の歩みが綴られています。

2. 好村冨士彦「『原爆詩集』の成立に立ち会う」(「私にとって、一冊の本」『新日本文学』2002年3月号、pp.66-68)を著者の了解を得て掲載します。

 峠三吉と著者との人間的・文学的交流が綴られています。2003年は、峠三吉没後50年の節目の年となります。 

1. 水島裕雅「原民喜の精神史的位置--生誕96年祭記念講演」(広島花幻忌の会『雲雀』創刊号、2002年、pp.2-10)を著者の了解を得て掲載します。

 2001年11月10日、原民喜生誕96年祭における著者の記念講演を文章化したものです。資料として、引用された原民喜のエッセイや詩も収録されています。