日本銀行というのは普通の人はあまり行くところではない。ましてその地下金庫というところは日本銀行に勤めている人でも特定の人しか入れないところであるという。しかしながら、昨年(2001年)の夏に私たちはその地下金庫に入り、展示会までしてしまった。このように言うと大袈裟な話になるが、実はそれは旧日本銀行広島支店というものであって、現在使われているものではない。それでも実際にかつて使われた日本銀行の支店の地下金庫に入れる機会もめったにないし、そこで展示会をするなどということは珍しいことであると思われるので、この機会にその話をしてみよう。
この旧日本銀行広島支店でなぜ展示会ができるようになったかというと、それは日本銀行広島支店が新築移転されたため1992年から空家になっていたこの建物が、2000年7月に広島市の重要文化財に指定されたため広島市に無償貸与されたことによる。
この建物は昭和11年(1936年)に完成した古典様式の広島の昭和初期を代表する歴史的建造物であったが、昭和20年(1945年)の原爆投下で被爆した。爆心地からわずか380メートルという近距離で被爆しながら、堅牢な作りであったため外観はほとんど建築当時と変わらない姿をとどめている。その点は世界遺産に登録された原爆ドーム(旧産業奨励館)が無残な鉄骨ドームの姿で原爆の破壊の激しさを示しているのとは違うが、至近距離で被爆した建造物としてもっと世に知られていいのではないかと思う。
被爆当時この建物の1階と2階は鎧戸を閉じていたため破壊を免れたが、3階は開けていたため全焼し、そのなかにいた17人が死亡した。この建物は「死者たちの家」なのである。建物が堅固であったため大破は免れ二階の食堂は被爆者の収容所になったという。私はかねがねこの建物は原爆ドームと同じく原爆の被害者たちの鎮魂の場所であるべきだと思い、また広島に文学館がないので、この建物を文学館にしてほしいと思っていた。
広島市は2001年1月に旧日銀広島支店を一般公開した。私たちも文学館設立に関心のある人々に呼びかけ、20余人で説明会に参加した。私ももちろんはじめてこの建物のなかに入ったが、さまざまな感慨に打たれた。
この建物は地上3階地下1階(登記上では地上5階地下1階)で、いまでこそ周囲の高層建築の谷間に埋もれた感じがするが、各階の天井は高く、鉄筋コンクリートの壁の厚い重厚な作りで、建築当時は広島では有数の建物であっただろうと思われた。
一番驚ろかされたのは地下金庫である。階段を下りて迷路のような廊下を進むと、監視廊下に囲まれた金庫に達するが、その入口には頑丈な鉄製の柵があり、その内部に入ると厚さ1メートルに近い鉄製の扉がある(この扉は皮肉なことにアメリカ製であった)。その中は現在は何もないのでがらんとした大きな部屋でしかないが、その隣に同じ作りの第2号金庫もある。このなかには当時の紙幣で数億円が常時貯蔵されていたという。
私たちは広島市にこの建物を文学館として活用するよう要望するとともに、有効活用案が確定されるまで市民の企画のために一般公開されたこの建物でその年の夏に「原爆文学展〜5人のヒロシマ」を開催することを決めた。期間は2001年7月から8月の12日間であったが、毎日35度を越える酷暑にもかかわらず3300人以上の方々が熱心に展示を見て感想を書いてくださった。言葉の力が人々の心を打つことに感動する日々であった。戦争の被害の恐ろしさや戦争のための努力の空しさを知るためには、広島に来て原爆ドームやこの旧日銀広島支店の建物を見るのがよいのではないだろうか。
『ビルメンテナンス』2002年8月号、pp.27-28.