回顧と反省

 

 奇妙な矛盾した心境が,このところ私を交互に襲ってゆさぶっている。私が定年退官記念論集を贈られる栄に浴するなんて,つい少し前まで考えてもみなかった。なんとも気恥しい思いが先に立ち,さらに続いて,うしろめたい反省と後悔が胸を締めつける。あれが果たして学問なのか,お前がやってきたことは。あれがドイツ文学研究といえるだろうか。著名なドイツ作家の一人さえまともに論じたことのない,あのような貧しい仕事が・・・

 他方で別な声が私を難じる。お前はいちずに堕落してここまで来てしまったな。大学教授という肩書きをもらって,ぬくぬくと十数年間ひとつの椅子の上にあぐらを書き,体制の歯車の中に完全に組み込まれてしまっているのに,てんとして恥じない。そもそもお前の志した仕事は,もっと異端的なものではなかったのか。今流行らぬ言葉で言えば,もっと「革命的な」ものではなかったのか。既成のアカデミズムから畏怖され呪岨されるほどの破壊力を持った「何か」ではなかったか。それがこんなFestschriftなんぞを出してもらってヤニさがっているなんて,見てはおれんぞ・・・

 どちらも正直な内面の声である。私の業績というものは,まさしくどっちつかずの,「あいまいな」「何か」としか言えない代物だ。

 言われるまでもなく,たしかに私の仕事はドイツ文学者の仕事としては,あまりに片寄った関心の産物である。エッセイストというより哲学者で通るエルンスト・ブロッホの思想の紹介を中心に,ベンヤミン,アドルノら30年代の批評家の果たした役割を解明しながら,彼らの批評に近いアクチュアルな機能を持つ文章を書く,というねらいは立派に聞こえるが,眼高手低,実際に出来上がったものはみすぼらしい十数本の雑文でしかなかった。ユーデントウームへの関心は,ブロッホやベンヤミンをよんでゆくうちにおのずから強められ,「革命的終末論への試み」や「社会主義とユダヤ人問題」などの論稿を生んだが,これもひとつの系統立った考究に至るには程遠いままで断ち切れている。ヴァーグナーに関する論文は『ユリイカ』や『ワーグナー年鑑』からの依頼で書いたがこのテーマは実は早稲田大学の卒業論文『トーマス・マンにおけるワーグネリズム』でヴァーグナーを論じて以来私の心の底に一貫して流れたもので,ダールハウスの『リヒァルト・ワーグナーの楽劇』の訳を手がけたのを機に,もう少し深めてみたいと思ってはいる。

 これら出来損いの仕事の系譜を並べてみると,その断片的な性格がいっそう明らかになり,私の怠惰と気まぐれが証明されているようで恥じ入るしかないが,これらの系譜が断片的になっていることは,私が意図した学問の脱領域的な性格と社会的アクチュアリティーへの希求が招いたものとすることは,あまりにも虫の良い自己弁護になるであろうか。創造的でありたいと願っても,創造的才能から程遠い私の資質を証しているのがこれらの仕事であるが,その中を貫いている私のモットーとも言うべきものがあるとすれば,それは,<過ちのない小心な不毛よりは,過ちを恐れない大胆な試みを!>と要約できるかもしれない。流行の方法論的なもので武装したり,新しいパラダイムの上に自己の学問を基礎づけることは,学問をやっていく上で必要なことであろう。しかし方法は流行りすたれがありパラダイムは時代が変わると変わらざるをえない。私の仕事も方法的にはもう古くなって,かえりみる人はもうほとんどいないだろう。しかしその中でも先のモットーがよく生かされているものは,時代が変わり,方法がすたれても,なお読まれる価値が多少は残っているかもしれない。最悪の場合でも「この道行き止まり」の立札くらいの役目は果たしてくれるのではなかろうか,と手前勝手な評価を自分では下している。

 私がこのように自己を形成してきた過程には,数多くの先達や友人との出会いがあり,私白身きわめて多くのものをこれらの出会いに負うていると感じている。ここでいちいち名をあげるのは略させていただくが,すでに多くの故人を含むこれらの方がたに,先ず感謝の気持ちを表したい。また広島大学文学部のドイツ語学・ドイツ文学講座の同僚だった諸先生方には,学問的にも教室運営の上でも大変お世話になったことを,深甚なる感謝と共に特記しておく。さらにこの17年間に教える者対教えられる者という形をとっていながら,実は私の方がひそかに沢山教わってきた,独文の学部および大学院の学生だった諸君との出会いに,私は心からの謝意を表したい。今後はドイツ文学という枠にこだわらず,もっと自由に領域を横断しつつ,著述と翻訳の仕事に力を注いでゆきたいと思っている。

1995年1月9日

東広島市西条キャンパスの新校舎にて

好村富士彦


『退官記念論文集』