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2006年 広島大学土木会会報
原爆・敗戦を陳腐化させてはならない(俳句に詠む)
―広島土木会の貢献と運営に思うこと―
中本 郷顔(至、31年卒)
広島県瀬戸田町(現尾道市)の私の故郷の実家には、古びたビラが保存されている。そのビラは、広島に原爆が投下された翌日の昭和20年8月7日の昼下がり、小学校(当時は国民学校)6年生だった私が、悪友たちと瀬戸内海の島の砂浜で、遊んでいるときに拾ったビラである。
私は故郷へ寄った時に、必ずこの遺物を眺めて歴史を振り返ってみるが、米国の原爆による10万人~20万人殺掠の想定は、明らかに確信犯罪である事と、当時の日本軍部の狂ったの判断もいまでも許しては成らない。
すなわち、日本は昭和20年7月26日にポッダム宣言(降伏したドイツのベルリンで)の降伏条件を拒否して、日本本土決戦を決意。そのほぼ10日後に広島に「原爆」が投下されているからである。
すでに、広島に原爆投下後であるが、上述の米軍から投下されたビラの1つには、つぎの文言が書かれていた。
日本国民に告ぐ!即刻,都市より退避せよ!
[米国は今や極めて強力な爆薬を発明した。この原子爆弾1個で、優に巨大なB-29(米国爆撃機)2000機が1回に搭載し得た爆弾に匹敵する。この原子爆弾は広島に投下された際、いかなる状態を惹起したか調べて御覧なさい。米国大統領(トルーマン)は、名誉ある降伏に関する13の項目を諸君に提示する。平和を愛する新日本の建設を築くべく、諸君は直ちに武力抵抗を中止せよ。しからば、さらに優秀な武器を持って、戦争を収束させる]
その後も、日本が抵抗を続けた結果、8日にソ連が卑怯にも参戦。そして、9日に長崎に原爆投下され、ついに「国体護持」を条件にポッダム宣言を受諾して、敗戦が決まったのである。私が思うに、当時、いろんな選択肢があったが、もはや軍部指導者の猪突的な判断は狂っていて「沖縄決戦」「原爆投下」「ソ連参戦」「無条件降伏」など、ギリギリの最悪な事態で戦争が収束されたことに、永遠に憤りを感じる。
私の2人の学友も、原爆症のため残念ながら広島大学修学の途中で他界した。
60年間、草木も生えないと言われた「壊滅・惨死都市広島」も、先人達、それも本学出身の多くの先輩たちの優秀な技術力と懸命な努力と進取的な活動力が、今の美しい広島の街を復興させたと言っても過言ではない。
今夏、広島を訪れた時に「原爆」「敗戦」「終戦」「復興」を詠んだ吟行句を掲げる。
散華めき散る噴水の原爆忌 地獄絵に喉からからや原爆忌
広島忌ちちよと雀パンねだる マスカット傷なし八月十五日
骨壷に石ころ二つ敗戦忌 病んでいし白米に愚痴終戦忌
大和艦不沈の伝説終戦忌 機関銃やみくもに撃ち敗戦忌
曼珠沙華街燃えさかる広島忌 広島忌訛もどりし六十年
最後に、広島を訪問した時に、ある同窓から「この土木会の運営が、会費滞納者が多いために大変苦しい」という悲憤慷慨すべき話を聞いた。私は広大工学部土木出身という宿命を誇りとしている。そして、大学を盛り上げるために、また、工学部の名を高めんがために、同窓会の関東支部長として時間を割き、身銭をきって活動してきた。
どうか皆さん方には、土木関係卒業という不変の宿命のなかで、あなた自身の生涯を昇華させるためにも、土木会の運営潤活のために協力して下さるようにお願いしたい。
[俳句の会の助言]で余命を延期する
―『吾輩は癌である』(啓蒙エッセイ)―
「癌」の恐ろしさを実感する
「中本さん、あなたは確実に胃癌です。余裕がありません。そう内視鏡による、癌部剥離処理は無理なので、胃体下部3分の2の切除となるでしょう」
忘れもしない、平成18年9月25日、私の家の近くにある東海大学医学部付属病院の、幕内外科部長室における"胃癌"の宣告があった。その一瞬、豪気にふるまってきた私も、「頭の中が真っ白になった」と記憶している。
常日頃から、誰彼に「癌なんか、俺には寄り付かないよ!癌の方が逃げていくよ!」と悪態をついてきただけに、屈辱と恐怖が、どっと我が身を襲ってきた。
それでも、幕内部長の「切開してみないと、確実なことは言えませんが、今のところ早期癌だと予測できます。あと半年検診が遅れていたら、癌は粘膜下層を突き抜けて、身体中に転移が始まり、地獄を見ることになっていたでしょう」の言葉に、ほっとしたことを思い出す。この胃癌の、早期発見は、『俳句』と『講演』のお陰だと言っても過言ではない。
[癌発見の動機]と[癌早期検診の啓蒙]
私の主宰する句会が2つあり、東京の『東雛』(平成12年創設、56年卒の西野竜太郎さんらが会員)と、もう1つは、大阪の『ひなどり』(平成11年創設、42年卒の中本正明さんらが会員)である。
昨年の8月下旬のそれぞれの句会で、私が「俳句を詠むことは右脳発達を増進させ、また、吟行で歩くから、健康になり、長生きするのが通例である」と強調した。
すると、2、3人の方から「私は胃癌を克服しましたが、癌だけは強気は損気です。中本主宰は、帰宅後ただちに癌検診を受けるべきです。」と強く反論された。
胃癌発見、癌切除(10月19日)順調な快復の後、2つの雑誌社から「"癌早期検診"の啓蒙エッセイを書いて欲しい」との要請があった。ただちに纏めたのが、下のエッセイである。
土木会同窓会の皆様方も「癌なんか怖くない!」と強気で言い張る方こそ、危険であると強調したいのです。
私がそうであったように。
エッセイ『吾輩は癌である』
1.吾輩の誕生
吾輩は癌である。吾輩の生まれも育ちも家主の胃の中である。家主は今から10年ほど前に、約40年の役人生活から、足を洗ったが、家主の胃の中は、かなり疲労しており、吾輩にとって極めて住み易かった。
吾輩が誕生したのは、吾輩自身も定かではないが、平成16年の文化の日前後だったと記憶する。
吾輩の誕生もそうであるが、家主の胃の中で、幼年時代を快適に過ごせた理由は、家主が年を経るに従って「強情」「不摂生」「お人好し」「暴飲暴食」などの「愚かな従体質」に転じたからである。
2.家主の強情さと不摂生
吾輩の家主の強情は、家主の敬愛する文豪"夏目漱石"にあやかっているようだ。ペンネームの"漱石"の由来は、中国のある古い賢人が間違って「石に漱(くちすす)ぎ、流れに枕する」〔正しくは(石を枕に、流れに漱ぐ)〕と逆を言ってしまったが、友人に間違っていると指摘されても修正せずに「いや俺は石で歯を磨く」と強情に言い訳したのを、夏目漱石が、気に入ったところからきている。
吾輩の家主も、漱石に劣らず強情である。ここ5年ほど前から、文学、哲学、心理、歴史、旅行などの書を、夜を徹して読 み耽っており、家主の奥さんが「もう若くないんだから、きちんと睡眠時間をとりなさい。」と諫めても、ただちに「頼まれた講演や執筆のネタにするんだから。」と、一向に馬耳東風の態度を、変えようとしなかった。吾輩は、こんな強情不摂生な家主が、大好きだった。
3.家主のお人好しと暴飲暴食
奥さんが「もう頼まれた執筆や講演を、ほとんど断って、10月14日の44回目の結婚記念日には、二人でゆっくり俳句三昧、食道楽の温泉旅行をしましょうね。思い出の九州(昭和37年、九州地方建設局へ転勤途中、広島で結婚式)へぜひ行きましょう。」と、誘ったのに対して、うんうんと頷いて「これからは、絶対そうするよ。」と誓う。
ところが、次の日には電話口で「来月の15日、松山での講演ですね。引き受けました。」とか、「解りました。タイトルは人材養育ですね。締切りは5日後、OKです。」と、奥さんを簡単に裏切ってしまう。
特に、女性には甘かった。女性対象の講演になると、相当無理なスケジュールでも、凄く疲れていても、馬鹿だから、すぐに「万難を排して参ります。」と、喜んで受けた。
お人好しも度が過ぎていた。
さらに、卑しいほど暴飲暴食が好きだった。パーティーなどで、綺麗どころに、「これ美味しいのよ。食べてみて。」と言われると、調子に乗って、満腹なのにまた食べていた。
特に脂ものに目がなかった。
例えば、ラーメンの脂ぎった汁を、一滴も残さず、飲み干した。この家主の愚かな行動に、吾輩はぞっこん惚れ込んできた。
4.家主の浅はかな健康管理
家主は、講演の締め括りに「皆さん、仕事も生活も、とにかく腹八部目で、健康管理を!」と強調してきた。吾輩は胃の中で、この家主の大嘘つきに、腹を抱えてゲラゲラ笑い転げた。この家主の馬鹿さ加減にむしろ誇りを感じた。
家主は前述のように、吾輩が誕生したころの平成16年の、文化の日が過ぎてから、11月末、中国の三峡ダムを視察した文化の日が過ぎてから、11月末、中国の三峡ダムを視察したけていた。
(中略)
さらに、平成18年の3月に「ヨルダン、シリア、レバノンの、アラブ3国の水事情の紀行文を頼まれた。」と、こともあろうに、危険国を訪問。もちろん、奥さんの制止があったが、「俺は不死身だ!」と強情にこれを振り切った。
旅行中、家主の疲労困憊の中、吾輩は悠々と、胃壁の奥深く侵攻を続けた。帰国後、深夜遅くまで、机に向かっていた。
侵攻を続けた。帰国後、深夜遅くまで、机に向かっていた。
5.吾輩(癌)の発見
このように、忙しさを理由に、平成18年2月の誕生日の内視鏡検査を、家主はスッポ抜かした。
ところが、家主の俳句会の方の警告で、9月始めに、内視鏡検査を受けた。
(中略)
9月25日、家主は、消化器外科では、わが国でも著名な、東海大学の幕内博康外科部長の部屋を訪ねた。部長は、開口一番「確実に胃癌です。3週間のうちに、胃の癌部の深さとか、大腸、食道、肺部の検査を行い、10月18日入院、明くる19日に、胃の3分の2を切除しましょう。」と申し渡された。
(中略)
家主が、恐る恐る「実は10月20日に、地元のライオンズクラブで、また25日は、大阪で講演を、頼まれているので、その後では…。」と言いかけるや否や、部長の鋭い一喝!
「今の一刻が、あなたの地獄行きかどうかを左右する。猶予は許しません。講演は断りなさい!!」に、家主はようやく事の重大さを、痛切に感じた。
6.吾輩(癌)の摘出と家主の回復
10月19日午前9時15分、昨夜から入院していた11階A棟の病室から、家主と吾輩は、奥さんと家族に見送られ、3階の中央手術室に入った。心電図シール、血圧計、酸素濃度計シール、酸素マスクを付け、背中には目覚めた時の 痛み止めを打ち込まれた。そして、点滴から麻酔薬を投与されるや、すぐに昏睡状態に入った。
3時間半の胃切除手術の終焉は、吾輩の抵抗空しく家主の胃袋3分の2とともに、あえなく剥がされ、写真撮影の後、吾輩は廃棄処分され、地獄に落とされた。
家主が目覚めた後、幕内部長から、家主とおくさんはじめ、家族と亡霊になった吾輩に、次のような説明があった。「幸甚なことに、予測どおり早期癌でした。早期発見が、 地獄行きを防いでくれましたね」
その後、家主は回診の医師に「古希を過ぎての年齢からして、驚異的な回復ですね。これで、胃に負担をかけなければ、10年は長生きできる」と言わしめた。
7.自宅での家主と吾輩
(中略)
家主は、体重も85㎏から15㎏減って、70㎏を維持している。ゴルフは、腰の切れが良くなったから、半年後に始め、80歳でエイジシュウター(年齢と同じスコアで回る)も悪くないな~と悟っている。
吾輩は、地獄から全国の後輩たちに、「吾輩の家主のように、頑健を誇り、癌を馬鹿にした、非健康管理人間に、取り付き、まず胃癌を発生させてから全身に転移させて、懲らしめてやりなさい」と檄をとばしている。
[後述] 余命延期の決意
最後に一言。私は60才の時に、「余命、従心(70才)を越える」と、言ってきましたが、この胃癌克服によって「八十の三つ児(3歳に還るの意)」と、余命延期を宣言。
そして、『人は癌を作り、癌は人を創る』の格言を作成し、"余命、人のために尽くすこと"を決意しました。
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