腫瘍・癌への分子生物学的アプローチ

1.

 食道、胃、大腸など消化管の癌は早期発見、早期治療が大切です。早い時期には癌は発生した部位にとどまり、内視鏡あるいは手術で切除することにより完全に治すことができます。しかし、進行すると、癌は周囲の臓器へ広がったり、リンパ管や血管に進入して離れた臓器へ転移します。化学療法(抗がん剤治療)、放射線療法など、癌に対する治療法は日々進歩していますが、転移をきたした癌患者の治療は満足できるものではありません。私たちは癌がどのようにして転移するのかを分子生物学的な手法を用いて調べています。増殖、浸潤、血管新生、接着など転移をきたすために重要な各ステップに関与する癌転移関連遺伝子が明らかとなれば、それらの発現を同時に解析することにより、癌の再発、転移を予測できることができます。また、癌が増殖、浸潤するために重要な働きをしている分子やリンパ管、血管を誘導する血管新生因子を解明して、それらをターゲットとする治療(分子標的治療)へ応用することもできます1,2)。
 癌組織は癌細胞や血管だけではなく、平滑筋細胞、筋線維芽細胞、免疫担当細胞など様々な細胞や、それらを取り巻く豊富な細胞外基質で構成されています。最近、私たちは筋線維芽細胞やマクロファージなどの間質を構成する細胞の癌転移におけるに注目しています。骨髄の中にいる細胞(骨髄間葉系幹細胞)が癌組織内に遊走し、筋線維芽細胞様に変化して生着することによって、癌細胞の増殖や転移を助けることをみいだしました。現在、腫瘍間質に特異的に発現する増殖因子やレセプターの働きを阻害することで、癌のまわりの環境を変えて、癌の浸潤や転移を抑制しようと考えています3,4)。
 また、癌だけではなく、胃にはリンパ腫や間葉系腫瘍(GIST)とよばれる、比較的まれな悪性腫瘍が発生することがありますが、それらの腫瘍の一部を分子生物学的に解析することにより、診断をより確実にしたり、治療効果を予測することが可能となってきました。これらの病気に対しては、有効な分子標的治療薬が開発され、すでに広く診療に用いられています。
 分子標的治療薬の開発が急速に進んでおり、今後、さらに多くの薬剤が臨床の場に登場することが予想されます。しかし、治療効果の乏しい症例や予期しない副作用なども出現すると考えられ、今後、臨床材料を用いて研究することにより、適応症例の選択、薬剤投与法の工夫、他薬剤との併用療法などについての研究を行いたいと考えています。

骨髄由来間葉系幹細胞と癌

癌組織は、癌細胞と間質細胞から構成されており、この間質細胞が癌の進行を助ける役割をもつことが知られています。そのため、癌細胞のみをターゲットにした抗がん剤だけではなく癌と間質の両方をターゲットにした薬の開発に注目が集まっています。間質細胞のなかでも活性化線維芽細胞はさまざまな機序で癌を助けていることが知られており、癌の間質の活性化線維芽細胞は別名、癌関連線維芽細胞(CAF)とも呼ばれています。我々はこれまでにPDGF(血小板由来増殖因子)レセプター阻害剤であるイマチニブを用いることで癌の間質反応を抑え、癌の進行を抑えることができることを明らかにしてきました。
 ヒトの体内では、傷を負って炎症(えんしょう)を起こした部位に骨髄からいろいろな幹細胞(組織のもととなる細胞)が移動してきて組織の再生を助けているといわれています。癌組織の中では持続的に炎症が起きており、骨髄の幹細胞が癌の間質にも移動することがわかってきました。しかし、骨髄の幹細胞が癌組織の中でどのような役割をしているのかはあまり知られていません。
 そのような背景のもと、我々は骨髄のさまざまな幹細胞のなかでも間葉系幹細胞(Mesenchymal stem cells;MSC)と癌細胞の相互作用の研究を行ってきました。その結果、ヒト大腸癌のマウスモデルを用いた実験でMSCが癌の間質に移動し、癌関連線維芽細胞(Carcinoma-Associated Fibroblasts;CAF)に変化して癌を助けていることを明らかにしました5)。またPDGFレセプター阻害剤であるイマチニブはMSCが骨髄から癌の間質へ移動する能力を阻害し、MSCによる癌促進作用も阻害することもわかりました6)(図)。
 このように我々は、骨髄の細胞によってつくられる癌の間質と癌細胞の相互作用の分子生物学的なメカニズムを明らかにし、癌の新しい治療薬を開発することを目指した研究を行っています。

参考文献

  1. Kitadai, Y.*, Takahashi, Y.: Angiogenesis and lymphangiogenesis in human gastric carcinoma. Recent Advances in Metastasis of Gastrointestinal Cancers (Kuniyasu, H., Kitadai, Y., eds) Transworld Research Network, India: pp9-21, 2010.
  2. Kitadai, Y.*, Kodama, M.: Regulation of lymphangiogenesis in human gastric cancer. Trends in Cancer Research, Volume 7, Reseach Trends, India: pp87-93, 2011.
  3. Kuwai, T.*, Kitadai, Y.: Tumor-associated stroma-targeting for stromal cells in colon cancer. Recent Advances in Metastasis of Gastrointestinal Cancers (Kuniyasu, H., Kitadai, Y., eds) Transworld Research Network, India: pp55-64, 2010.
  4. Kitadai, Y.*, Shinagawa, K.: Enhanced growth and metastasis of colon cancer: Role of mesenchymal stem cells. Stem Cells and Cancer Stem Cells : Therapeutic Applications in Desease and Injury, Volume 4 (Hayat, M. A., ed), Springer, pp259-266, 2012.
  5. Shinagawa, K., Kitadai, Y.: Mesenchymal stem cells enhance growth and metastasis of colon cancer. Int J Cancer 127:2323-2333, 2010.
  6. Shinagawa, K., Kitadai, Y.: Stroma-directed imatinib therapy impairs the tumor-promoting effect of bone marrow-derived mesenchymal stem cells in an orthotopic transplantation model of colon cancer.Int J Cancer 132:813-823, 2013.
転移が成立するためには多段階の過程をクリアする必要があります。なかでも血管新生は原発巣や転移巣など局所での腫瘍の増殖や、新生した血管への癌細胞への侵入など、転移過程のなかでも重要なステップと考えられています。
 

2.

 “がん”はどうしてできるのでしょうか。現在、日本人の死因の第一位はがんでありながら、実はその発生メカニズムはごく一部しか解明されていません。がんの遺伝子治療の話題もありますが、発がんメカニズムが分からないままでは、有効な遺伝子治療法の開発もできません。そこで、私たちの研究グループでは、日本人のがんの中でも頻度の高い消化管のがん(食道がん、胃がん、大腸がんなど)に的を絞り、その発がんメカニズムについて研究しています。がんの臨床病理学的な研究とともに、分子生物学的手法を用いて、がん遺伝子やがん抑制遺伝子の解析などを行って、がんの発生過程の解明を目指しています。これまでの私たち研究グループの研究成果ですが、たとえば胃癌を例に挙げますと、
(1) 発がんの外的な要因として、
・ ヘリコバクター・ピロリ菌の感染がその原因の一つであること
(2) 発がんの分子生物学的機序として、
・ マイクロサテライト不安定性(遺伝子不安定性)が胃がんの多発に関与すること
・ がん遺伝子の一つであるK-ras 遺伝子が胃の発がんの早期に関与すること
・ ミトコンドリアDNA異常が胃の発がんの早期の段階に関与すること
・ 染色体10番短腕の対立アリルの欠失が胃の発がんの早期の段階に関与すること
(3) 患者側の要因として、
・ がん抑制遺伝子の一つであるp53遺伝子の多型が胃の発がんに関係すること
などがあり、それぞれ学術雑誌に報告してきています。
 このような研究の積み重ねによって、消化管がんのリスクの高い人の絞り込みや、がんの遺伝子診断ひいては有効な遺伝子治療に結びつけていきたいと考えております。

遺伝子のセントラル・ドグマ
DNAは生物の設計図の働きをしています。DNAはRNAというものに転写され、その後、RNAの情報をもとに、タンパク質が合成されていきます。
対立遺伝子のうち、どちらか一方に変異があれば活性型の癌遺伝子産物を産生し、発癌に関与する遺伝子の事です。 正常な細胞において細胞の無制限増殖を抑制し、その不活性化によって細胞癌化に関与する遺伝子の事です。
DNAマイクロアレイの原理
DNAマイクロアレイは、一度でたくさんの遺伝子の発現の程度を調べることができる方法です。


ヘリコバクターピロリと胃炎、胃癌

ピロリ菌感染による慢性胃炎が、胃発癌に大きな影響を及ぼすことが明らかとなってきました。さらにピロリ菌除菌により、胃発癌が抑制されるか否かを明らかにすることが、この分野の研究テーマの柱です。我々の検討にて、ピロリ菌を除菌することで、癌の増殖速度が遅くなることも分かってきました。

しかし、胃炎患者の全てが除菌できない現在の状況に置いては、「胃癌になりやすい胃炎」を明らかにすることが大変重要です。胃癌を発症する確率の高いひとをなるべく早く同定して、積極的な治療をおこなっていくという考え方です。

そこで、拡大内視鏡を使った胃炎診断、組織学的な胃炎診断に加え、分子生物学的手法を使って、胃炎を解析する研究を続けています。近い将来、「胃癌になりやすい慢性胃炎」や「胃癌になりやすいヘリコバクター」が検査で同定できる時代が来るかもしれません。

 ヘリコバクター感染から胃癌に至る経路は、分子生物学的研究により徐々に明らかにされつつあります。さらにこの分野では、日本国内から数多くの優れた国際的研究が生まれており、当研究室でもこれらの施設と共同で、新しい胃癌診断法の開発に全力を注いでいます。


超音波内視鏡検査と腫瘍・癌

内視鏡的粘膜切除術(EMR)や内視鏡的粘膜下層剥離術(ESD)は適応内であれば低侵襲かつ根治が望める治療法です。現在、内視鏡治療適応は拡大されつつあり、そのため術前精査はより重要となってきています。私たちは生体内において病変の垂直断面像を直接描出し、病理のルーペ像に相当する画像を得ることが可能な超音波内視鏡検査で、より精度の高い治療前診断法の確立について研究しています。
また通常内視鏡では正常粘膜に覆われて正確な診断が困難な粘膜下腫瘍に対してもその病理組織と超音波画像の特徴を明らかにする研究を行っています。

超音波内視鏡像では病理ルーペ像相当の画像が生体内で得られています。


消化管癌・IBDとゲノム

 ゲノムはA・T・C・Gの4つの記号で書かれたヒトの設計図といえます。この情報をもとに蛋白・細胞・組織と形成され、生物を形作っていきます。ゲノム情報は一様なものではなく人それぞれに違いがあります。このような個体差を形成する遺伝情報のひとつに一塩基多型(Single nucleotide polymorphism=SNP)があります。このSNPの中には病気の発症や薬剤の代謝に関係するSNPがあることがわかっています。このSNPの違いを統計学的に解析し判別することによって、疾患の早期診断や予防、リクス因子の同定などに有用と考えられます。我々は消化管癌の発症や炎症性腸疾患治療薬の効果や副作用と関連するSNPの同定を目指しております。またゲノムワイド関連解析などで同定させたSNPが発症に癌や副作用、治療効果にどのように関連するかについて研究しています。

SNPのタイピングの原理(Invader法)
解析結果の表です。各ドットは1症例毎の結果を示しています。
赤ドットはAllele1のホモ、青ドットはAllele2のホモ、緑はヘテロの症例です。